初恋
「アレルヤ」
「……?」
名前を呼ばれて顔を上げたら、急にロックオンの唇が自分のそれに触れた。
「………」
(……え)
何が起きたか解からなくて、無反応のまま呆然としていると、その感触はすぐに離れた。
その後も、何も反応を返すことが出来ない。
ただ、グレイの目を大きく見開くと、悪戯でもするような笑みを浮かべた、ロックオンの顔があった。
「何だよ、何とか言えよ」
「……え、…あ」
「何すんだとか、止めろとかさ」
「す、すみません。でも、びっくりして…」
未だに呆けたように答えると、ロックオンはハハ、と声を上げて笑った。
「そうだよな、悪い悪い」
ポンポンと頭を手の平で優しく叩かれて、そこでようやく我に返った。
「からかってるんですか。ぼくが、そう言う経験がないって…知っていて」
ちょっとムッとしたようにそう言うと、彼は何だか機嫌良さそうに首を振ってみせた。
「違うよ、アレルヤ…。そうじゃねぇ…」
そうじゃないんだ。
それだけ言って、彼はそのままアレルヤの側から去って行ってしまった。
まだ何だか夢でも見ているみたいな感覚に陥りながら、その背中を見送って、アレルヤは思わずそっと自分の唇に触れた。
何だろう、一体…。
何で、あんなこと。
からかっているんじゃないなら、何だと言うのだ。
ロックオンでも、ああ言うことをするんだ。
いや、そう言う風に言い切れるほど、まだ彼のことを何も知らない。
でも、たった一度の、あんな悪戯みたいなキスと、その後の理解出来なかった台詞だけで。以降、アレルヤはロックオンを、他のマイスターやクルーたちとは少し違う人のように認識するようになった。
でも。その後、あんなことは一度だってなかった。
ロックオンはあの後も、気まずさも後ろめたさも何も感じられないようなしっかりとした視線でアレルヤを見て、普通の会話を投げ掛けて来た。彼との会話を心地良いものだと捉えながらも、アレルヤは何だか釈然としなかった。
食事の時間、本人を前にしてそんなことを考えていると、探るような声が掛かった。
「どうした?何か用か」
「え……」
知らず、じっと彼の口元に視線を注いでいることに気付いて、アレルヤは慌てて目を伏せた。
「な、何でもないです」
「そうか…」
それ切り、また沈黙が広がる。
何を話して良いかなんて解からないから、そのまま俯いて黙り込む。
少しの間の後、やがて、再び彼から声が掛かった。
「ああ、アレルヤ」
「……はい」
「この前のことだけどさ…」
「……?」
「ああ言うことは、俺以外とは…するなよ」
「……?!」
(……え)
まるで、ただ何かを取ってくれとでも言うような、軽い口調だった。
だから、すぐには何を言われたのか解からなくて、ただ片方の目を見開いた。
告げられたばかりの彼の言葉を、頭の中で必死に思い返す。
この前みたいなこと。
ロックオンが指しているのは、あの、軽く唇が触れたときのことに違いない。
そう確信すると同時に、どく、と鼓動が跳ねた。
でも、どんな反応をして良いか解からなくて、ただ呆然と見返していると、ロックオンは急かすように口を開いた。
「返事は?」
「…あっ、は、はい…」
彼が一体どんなつもりでそんなことを言ったのか、アレルヤには解からない。
でも、気付いたら素直にそうやって返答していた。
「じゃあ、また後でな」
アレルヤの答えに、彼はまた優しい顔で笑って、頭に軽く指先で触れて、そのまま前と同じようにどこかへ行ってしまった。
だから、本当のことなんて何も解からないままだ。
アレルヤにはするなといったけれど、あの人はどうなんだろう。
それすらも解からないけれど。
あの、憧れみたいな手の届かない人に、いつかは手が届くようになりたい。
あの白い腕を捕まえて、こちらを向かせて、本当のことを引き出したい。
それは一体いつになるのか、今はまだ到底想像もつかないけれど。アレルヤは、胸の中にそんな密かな決意をしっかりと抱いた。
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出会いはそんな感じだった。もう、何年前のことだろう。
アレルヤとの戯れの始まりを思い出して、ロックオンは思わず側にいる本人にちらりと視線を向けた。途端、気付いた彼が穏やかなグレイの目を揺らす。
「何、ロックオン」
「いや」
思ったより鼓動が跳ね上がったのを押さえ込んで、ロックオンはすぐに視線を離した。今はブリーフィング中だ。落ち着かなければ。何でもないふりなら、慣れている。彼の思う、大人のように振舞うことなら。
でも、彼はいつもそれすらも乗り越えて、触れて来る。手を伸ばして、ロックオンの髪に、首筋に、肌の上に。
「じゃあ、暫くは自由行動よ」
スメラギの言葉にハッと我に返って、ロックオンは顔を上げた。あっと言う間に部屋に戻る刹那とティエリアの後を追って、自分も自室へ戻ろうと足を進めた。
途端、それを縋るように追い掛けて来たアレルヤが、背後から呼び止める。
「ロックオン…」
「うん?」
「聞いた?自由行動だって」
すぐ側まで身を寄せて、彼はそんな言葉を吐く。
今言われたばかりだ、そんなことは知っている。
でも、彼が言いたいのはそれだけじゃないことも知ってる。
解かっていて、ロックオンは知らない振りを決め込んだ。
一瞬、どく、と高鳴った心臓の音は聞こえなかったことにして。
「ああ、知ってるよ。で、なんだ?」
振り向いてそんなことを言うと、アレルヤはその口元をふっと緩めた。
「随分と冷たいね、ロックオン」
困ったように笑う穏やかな顔。
以前は、ロックオンがさっきみたいなことを言おうものなら、どうしてそんなことを言われたのか解からない、と言わんばかりの困惑した顔だとか、悲しそうな何とも言えないような顔を見せたのに。
すっかり余裕たっぷりになったもんだ。
はぁ、と溜息を吐くのを堪えて、ロックオンは白々しく返答を返した。
「そんなことねぇよ、どうした」
でも、アレルヤはこちらの内心などお構いなく、無意識に踏み込んで来ようとする。
「部屋に行っても、いいかなと思って」
「あ、ああ…」
どうも、この押しみたいなものに弱い。
控え目なくせに、強請るような甘えるような声色にも弱い。
いや、きっとアレルヤにそんなつもりはない。自分にだけ、そう聞こえてしまうだけだ。
彼と会ったときは何と言うか、本当に可愛くて、何も知らない子供だったのに。
ちょっと悪戯心でキスして、それがいけなかった。
いや、別に弄ぼうとした訳じゃないけど。
でも、今の状況を考えると、もっと慎重にしておけばよかったと、ロックオンは頭を抱えていた。
「ロックオン…」
そんなことを考えている内にあっと言う間に部屋に着いて、中に押し込まれた。
柔らかい声で名前を呼ばれて、そのまま唇を塞がれる。
「ん…っ、お前、よせって…」
「駄目かい?」
「い、いや…」
悲しそうな声で言われて、つい首を横に振ってしまった。
結局、こうして流されてしまうハメになっている。
しかも、何がまずいって、完璧にアレルヤのペースに乗せられていることだ。
そんなつもりじゃなかったのに。
他のヤツとはキスするな。
彼はあくまでそのロックオンの言いつけを守って、自分以外とキスはしてない。
それはいい。いいのだけど。
でも、問題は。
「時間あるみたいだし、いいかな」
「……っ」
そんな言葉と共に、ベッドに押し付けられて息を飲む。
即座に圧し掛かる重さと温かさに、ロックオンはごくりと喉を上下させた。
「い、いや…、けど…」
「今更、嫌だなんて言わないでね、ロックオン」
「うっ…」
何でこんなことになったんだ。
アレルヤの手が衣服を緩め、脇腹を伝って下肢へと伸びる。
首筋に寄せられた唇は肌に吸い付きながら少しずつずれて、胸の突起を甘く噛んだ。
「う…っ、ん」
「ロックオンは、本当にここが弱いよね」
「あ、ちょっと、待てって…」
「どうして?」
「…っ、どうしてって、あ…っ」
まずいまずいと思いながらも、巧みな愛撫に翻弄されて勝手に声が漏れる。
(こいつ……)
数年の間に、何だかんだ色々と上手くなりやがって。
負け惜しみみたいにそんな悪態を吐いたけれど、すぐに甘い刺激に翻弄されて、頭の奥が痺れてしまった。
初めてキスしたときから、こうなると決まっていたのかも知れない。
だって、男相手にあんなことをしたのは初めてだったから。
アレルヤは、そうは思っていないのか、たまにそのことを聞いてくるけれど。
それだけは、絶対に言ってやるものかと思いながら、ロックオンは更に圧し掛かって来たアレルヤの体温をそっと受け止めた。
終