Infinity3




「ロックオン、じゃねぇか」

仕事帰り。車を停車させた後、買い物でもしようと店の前を歩いていると、急に男の声に呼び止められた。
振り向いて、思わず眉を寄せる。同僚の男だ。が、ラッセとは違う。以前からロックオンのことを、卑しい目付きで見ていた男だ。

「どうしたんだ?最近めっきり付き合いが悪いじゃねぇか」

慣れ慣れしく腕を取られ、ロックオンは咄嗟に振り払った。

「悪いな、急いでるんだ」
「おい、待てよ!」

直後。振り払ったはずの腕が再び掴まれ、ロックオンは近くにあった壁に勢い良く押し付けられた。背中を打ち付けて衝撃が走り、小さく呻きを上げる。

「…!何を…」

眉根を寄せて睨み付けると、男は下卑た笑みを口元に貼り付け、ロックオンの耳元に顔を寄せた。

「噂で聞いたぜ」
「……?」
「新しい玩具に夢中なんだってなァ?そんなに具合がいいのかよ」
「ほっとけよ、離せ!」
「待てって言ってるだろ。アンドロイドなんかより、俺ならずっといい思いさせてやるぜ?」

言いながら、男はロックオンの腰を抱き寄せ、卑猥な手つきで撫で回した。ぞっと悪寒が走り抜け、声を荒げる。

「なっ…、離せ!」
「騒ぐなよ。そっちの路地行こうぜ。誰も来ない」
「ふざけるな!」

強引に腕を引かれ、思い切り振り払うと、頬に軽い痛みが走った。

「この、野朗…」

血の味が口内に滲み、殴り付けられたのだと悟る。
同時に、妙な怯えが走った。

「大人しくしろよ、射撃の腕が何だ?力で俺に勝てるか」
「てめぇ…!」

ぎっと強く睨み付けた途端、背後から見知った声が掛かった。

「ロックオン!!」
「……!!ア、レルヤ…」

振り向くと、ここにいるはずもない、アレルヤの姿。
まさか、彼こそがアンドロイドだとは思わなかったのだろう。男は舌打ちし、捨て台詞を残して去って行った。

「大丈夫ですか?!ロックオン!」

駆け寄ったアレルヤに手を取られ、ロックオンは頷いた。

「お前、どうして…」
「心配、だったんです…。あなたが、いつもの時間に帰って来ないから…」
「そう、か…。助かったよ、ありがとな」
「いえ……」

首を振ったアレルヤは、それからずっと無言になってしまった。



そうして家に着くなり、ロックオンはベッドへと乱暴に押し倒された。

「おい、アレルヤ?」

驚いて声を上げると、いつになく真剣な顔が双眸に映った。気配が険しい。怒っているのだろうか。
目を見開くロックオンに、彼は腹の底から絞り出すような苦しげな声を発した。

「他の人が、あなたに触れるなんて…許せない…」
「アレ…ルヤ…?」
「ロックオン、何だろう、この気持ちは。憎いよ、あの男が。あの男だけじゃない。あなたに触れた全ての人が、ぼくは憎い…。あなたに触れるのは、ぼくだけでありたい…」
「アレルヤ…」

信じられない言葉だった。今までのアンドロイドなら、決して口にしない。
アレルヤが戸惑うその気持ちの名前を、ロックオンは知っている。それは、嫉妬だとか、独占欲だとか、そんなものだ。
そのことに驚く以上に、ロックオンはアレルヤの手に触れられる心地良さに酔った。
あの男に触れられて感じた悪寒とは、明らかに違うもの。

「大丈夫だ。俺はもう、お前にしか、許さない」

きっぱり告げたロックオンの唇に、次の瞬間噛み付くような口付けが落とされた。



アレルヤの温度を感じながら、ロックオンはぼんやりと天井を見上げていた。
真っ白い天井。幾度となく、他の人形たちと共に見上げた光景だ。ベッドも、シーツも、何もかもいつもと同じなのに、どうして。

「不思議だな…」

ぽつりと呟くと、隣にいたアレルヤが身を起こした。

「何がです?」
「お前といると、何かさ…あったかい気持ちになるんだ。今まで、こんなこと、なかった」
「ロックオン…」

―本当に、不思議だ。

そう言うと、アレルヤは本当に嬉しそうにその目を輝かせた。



そのまま、表面上は穏やかな生活が続いていた。けれど、仕事の方は日に日にハードになっていた。
密入国者は後を絶たない。仕事とは言え、もう、引き金を引くのに疲れて来た。心が痛まない訳じゃない。
でも、家へ帰るとアレルヤの存在に癒される。だからこそ、何とか続けることが出来ていた。

けれど、そんなある日。
久し振りに勤務時間が重なって顔を合わせたラッセが、深刻な口調で話し掛けて来た。

「なぁ、こんな噂知ってるか」
「ん…?何だ?」
「第四の国からの密入国する、新しい方法だよ」
「あ…?」
「面と向かって密入国しても、国境で俺たちに撃たれる。それでだ、紛れ込むんだよ」
「何…?」
「アンドロイドを製造しているのは、あの国だろ。あそこで、搬入するアンドロイドの中に紛れるのさ」
「な、に……?」

ラッセの言葉に、ロックオンは冷や水を浴びせられるような衝撃を受けた。
アンドロイドの中に紛れて、第四国の人間が…。
脳裏に浮かんだのは、たった一人の人物の顔。

まさか。
そんな…?

「まさか、お前、アレルヤのこと、疑ってるのか…」
「い、いや。だが、お前があんまり変わってるヤツだと言うから…」
「そん、な……」

そんな、ことが…。
ロックオンは銃を握り締め、そして外へと飛び出した。



「馬鹿野朗!!」
「……っ!!」

ガツ!と鈍い音が室内に響き、吹っ飛んだアレルヤの体は床に叩き付けられた。
痛みに眉根を寄せる彼を見下ろして、ロックオンは声を荒げた。

「俺は……俺は国境警備隊なんだぞ!!国境を越えて来た者を撃つのが仕事なんだ!なのに、どうしてお前が…!」

悲痛な叫びに、弁解の言葉などは一切なかった。ラッセの危惧した通りだったのだ。
あの日、アレルヤと出会った日。店の店主は、彼が注文した型と違うと言った。そして、彼はどんなアンドロイドとも違った。
当たり前だ。れっきとした、血の通った人間だったのだ。

ロックオンは拳を握り締め、手を震わせた。迷う必要はない。
何があっても、任務は果たさなければいけないのだ。

「何か、言い残すことはあるか。聞いてやるよ」

銃を向け、ロックオンは低く凄んだ。この場で処分する。それしか、手はないのだ。
恐ろしい正確さを持って自分の額を狙う銃口を見上げ、アレルヤは唇についた血を拭い、そしてよろよろと立ち上がった。

「ロックオン」
「……」
「ぼくのいたあの国は、人権なんかないんです。ぼくたちは生まれたときから誰の愛情に触れることもなく、ただ実験台として、頭の中を弄くり回され…望んでもいないのに体を改造され…そうして生きてきた」
「そうか……。だから……?」

ロックオンは冷たい言葉を発した。
命乞いになど、今更心を揺さぶられたりしない。
今までこうして必死に逃げて来るものを容赦なく撃って来たのだから。
けれど、アレルヤはただ静かに微笑み、そしてゆっくりとその唇を開いた。

「自分が生き延びる為に、仲間をこの手で殺したこともある。地獄のような日々でしたよ」

そこで一端言葉を止め、でも……と彼は続けた。

「でも、一度だけ…。一度だけでいいから、誰かに愛されてみたかった。誰かを、愛してみたかったんです」
「アレルヤ……」
「あなたに会って、それは叶えることが出来た。だから、もう…何も思い残すことはないです。撃って、下さい」
「アレ、ルヤ…」

どく、と心臓の音が高く鳴った。
何かを考える間もなく。
ロックオンの手の平から銃が擦り抜け、そして派手な音を立てて床に落ちた。



「逃げよう、アレルヤ」
「逃げるって、どこへ…」
「決まってるだろ、男女の国だ。そこしかない」
「でも…国境を越える方法なんて…」
「俺は警備隊だぞ?警備の手薄なところくらい、知ってる」

アレルヤの手を取って、そう言った直後。

「そこまでだ」
「……?!」

カチャ、と音がして、弾丸を装填する音が聞こえた。それに、聞き覚えのある声。
振り向いて、ロックオンは目を見開いた。

「ラッセ!!」
「銃を持って飛び出したりするからな、悪いが…追わせて貰った。話も、聞かせて貰ったぜ」
「そうか……」
「ロックオン」

穏やかな呟きに、ラッセは眉根を寄せた。

「ロックオン、今ならまだ間に合う。そいつを撃て」
「ラッセ…」
「そうすれば、目を瞑ってやる。お前の為だ、撃て」

友人の勧告に、ロックオンはゆっくりと首を振った。

「それは、出来ねぇ…。俺を撃つか?ラッセ…」
「俺にお前が撃てるかよ。考え直す気は、ないんだな…」
「ああ……」

しっかりと頷くと、ラッセはこの上なく深い溜息を吐き、そして通信機を取り出した。
恐らく、警察に連絡するのか、警備隊にか。どちらにしろ、仲間を呼ばれれば、逃げ場はない。
目を見張るロックオンの前で、ラッセは相手に繋がった通信機に強い口調で話し始めた。

「こちら、ラッセ。密入国者と思わしき人物が逃亡中だ。場所は、N市街」
「……!?」

それは、ロックオンの家とは正反対の場所だった。彼の言葉に、思わず息を飲む。

「恐らく、西の国境から逃げるつもりだ。応援頼む」

そう言って、ラッセは通信を切った。

「お前…何で…」
「俺が出来るのはここまでだよ。東の国境へ向かえ。あとは、何とかするんだな」
「ラッセ…!恩に着る!」

彼の計らいに目を輝かせ、ロックオンはアレルヤの手を引いて走り出した。

「ロックオン!」
「話は後だ、逃げようぜ」
「ええ……」

きっと、上手く行く。
二人が走る先には、明るい道と、無限の可能性だけが広がっているような気がした。