蜻蛉3
それから、時間がある限りはお互いにキスをして抱き合って、体を重ね合った。
ロックオンは相変わらず、ここへ来た理由は話してはくれない。
でも、会話を交わすよりもっと、アレルヤは触れ合う行為に夢中になっていた。
「んっ、もう、無理だって」
「大丈夫ですよ、もう一度」
「あっ、アレルヤ」
敏感になった場所を揺すり上げると、ロックオンは柔らかい喉を仰け反らせて鳴き声を上げた。
きっと、自分だけが知っている甘美な声。
本当に堪らない。この快楽には、抗えない。
「ロックオン…」
何かを上手く伝えることが出来るほど、器用ではない。
ただ、胸に燻る思いをぶつけるように、アレルヤはロックオンを抱いた。
拒まれることは一度もなかった。
ロックオンはいつも優しい眼差しでアレルヤを見詰めて、そして受け入れてくれた。
そんな日々を過ごして。
二週間はあっと言う間に過ぎて、最後の日になった。
腕の中に納まっているロックオンの姿は、もう彼がどこかへ行ってしまうなど考えられないほど、自然なものになっていた。
でも、この夢みたいな現実を、当たり前だなんて考えたことはない。
「ロックオン、今日で二週間だけど。でもまた、会えるよね。ここへ来てくれるかい」
朝、仕事に出掛ける前。いつものように玄関先で見詰めるロックオンに、アレルヤは縋るような眼差しを向けた。
学生のときみたいに、逃がしてしまいたくない。確かな約束が欲しかった。
白い頬に手を伸ばし、指先でそっとなぞると、翠の双眸が真っ直ぐにアレルヤに向けられた。
「ああ、また会えるよ、アレルヤ」
その言葉にホッと胸を撫で下ろし、アレルヤも釣られるように笑みを浮かべた。
「夜までは、いれるんだね?なるべく、早く帰って来るよ」
「ああ、待ってるぜ、アレルヤ」
その言葉に送られて、アレルヤは部屋を出た。
ふと、通路を曲がる前に振り返ると、いつもはすぐに閉まってしまう扉がまだ開いてた。
こちらが曲がりきるまでずっと見送っているロックオンの姿に、アレルヤは彼がここへ来た日のように、眩しそうに目を細めた。
仕事を終えた後、アレルヤは慌てて帰り支度を始めた。
真っ直ぐに帰りたいけれど、今晩は最後の日だ。
また、いつものように酒を一緒に飲みたい。きっと、彼はまたじゃがいもが入った料理を作ってくれているに違いないから、それを食べながら一緒に話をしたい。
それに、あんなに体を重ねているのに、まだきちんと彼に好きだと告げていないことも思い出した。
焦って自分のものにしたくて、夢中だった。でも、何も伝えてない。
何だか照れ臭いけれど、あの人に、好きだと言おう。
アレルヤは買い物を急いで済ませ、走ってマンションまで向かった。
けれど、駐車場に足を踏み入れたところで、違和感に気付いた。
(あれ…?)
いつも明かりが漏れているアレルヤの部屋は、真っ暗なままだった。
眠っているんだろうか。
部屋の前に着くと、アレルヤは急いで扉を開けた。
「ロックオン?」
声を掛けても返答がない。
「ロックオン、いないのかい」
先ほどより大きな声を発してみたけれど、返って来るのは沈黙だけだった。
どこかへ、買い物にでも出掛けているんだろうか。待っていると言ったのに。
そう思って、買って来た酒を冷蔵庫にしまい、アレルヤは彼を待つことにした。
いままでずっと一人だったから、何も思わなかったけれど。ロックオンとの生活に馴染んだ今では、一人きりのこの場所が、痛いほど寂しく感じる。
ロックオンも、いつもこんな気持ちで自分を待っていたんだろうか。
何だか、落ち着かない。早く、帰って来て欲しい。
そう願っても、いつになってもロックオンは戻って来なかった。
携帯の番号も何も知らないから、連絡も取れない。あの人は、それすらも教えてくれなかった。
まさか、と言う思いがアレルヤの胸中に浮かび上がる。
学生時代の切ないような気持ちをありありと思い出した。彼に会えなくなって、ぽっかりと胸に穴が開いたようだった。
でも、今はそれだけじゃすまない。こんなに親しく大事な人になってしまった今となっては、もう会えないなんて、考えたくもない。想像しただけで足元がぐらつき、目の前が真っ暗になる。
冗談じゃない。
アレルヤは上着を掴んで、彼を探しに行こうと玄関先に立った。
その途端。凄いタイミングでチャイムが鳴った。
(ロックオン!)
差し込んだ希望に目を輝かせて、思い切り扉を開けると、そこにはよく見慣れた彼の顔があった。
アレルヤはホッとして、そして声を荒げた。
「ロックオン!どうしたんだい、もう帰って来ないんじゃないかって、心配して…」
「あんたか、アレルヤ・ハプティズムってのは」
「……?」
(え……?)
けれど、言い掛けた声は、静かな声に遮られてしまった。
何だ。
今、彼は何と?
不思議に思って片方の目を上げると、酷く沈んだような、疲れきった表情のロックオンが見えた。
(ロックオン?)
頭で理解するより早く、本能的にはっきりとした違和感を覚えた。
目の前の男。
あの人と同じ顔、同じ声。でも、どこか違う。
何より彼からアレルヤに向けられる雰囲気が、全く知らない人へのそれのようだ。
「あなた…は?」
恐る恐る尋ねると、彼は聞き覚えのない言葉を口にした。
「俺は、ライルだ」
「……ライル?」
「あんた、兄さんを、知ってるだろう」
「え……」
兄さん?弟がいたなんて、聞いたことない。
でも、この顔。彼が指しているのは、ロックオン・ストラトスのことに違いない。
ぎこちなく頷くと、彼は何だか辛そうな顔になった。
「何か、あったんですか」
けれど、アレルヤが問い掛けると、彼は気を取り直したように言葉を紡ぎだした。
アレルヤにとっては、到底信じ難い、ありえない言葉を。
「少し前、今日で丁度二週間になるんだが…事故にあったんだ、兄さんが」
「……?」
「あんたのところへ行くってメールが来て、部屋を出てそのまま…。悪かったな、連絡出来なくて。ずっと病院にいたんだ」
「病…院…?」
この人は、何を言っているんだろう。
ロックオンと同じだけど、違う。
双子?兄弟がいたなんて、そんなことも知らなかったのに。
「ずっと意識不明だったんだが、今朝…」
「………え?」
ライルと名乗った男がその後に続けた言葉は、アレルヤの頭の中に誰か別の人物の話をしているような錯覚を起こした。一瞬走った悪寒に、頭が真っ白になる。
「今朝ようやく意識が戻ったんだけど、その途端どっかに行っちまってさ」
「え、あ……」
思わず、自分が思い描いた事態に、アレルヤはぶるりと身震いをした。
そんなはずない。もう二度と考えたくない。
あまりにも青褪めたアレルヤの様子に、ライルと名乗った彼は心配そうに顔を覗き込んで来た。
「あんたに言っても仕方ないのに、悪いな、心配掛けて」
「い、いえ、そんなことは…」
「何か解かったら、連絡してくれ。これは俺の番号だから」
そう言ってアレルヤに携帯番号の書いたメモを渡すと、ライルはそのまま踵を返して行ってしまった。
数分経っても未だに真っ暗な部屋の中で、アレルヤはぼうっと気が抜けたように座り込んでいた。
ロックオンがずっと意識不明だったって、どう言うことだろう。じゃあ、今までアレルヤが触れていたのは誰だったんだろう。
でも、今はそんなことはどうでもいい。
彼は一体どこに行ってしまったんだろう。もう、戻らないんだろうか。
確かに、二週間だけ置いてくれと行ったけれど、今朝は、又会えると言ってくれたのに。
ぼうっとそんなことを考えながら、どのくらいそうしていたんだろう。
不意に、再び耳元にチャイムを鳴らす音が聞こえた。
さっきの人が何か言い忘れたのだろうか。
ライル、と言った。あの人と同じ顔の彼を、再び見るのは何だか辛い。
咄嗟には動けなくてそのまま座り込んでいると、ドンドンと扉を叩く音がした。
「おーい、いないのか、アレルヤ」
「……?!」
扉の隙間から聞こえて来た声に、アレルヤは弾かれたように顔を上げた。
今の声は、間違いない。アレルヤの知っているロックオンのものだ。
先ほどの無気力さが嘘のように力強く立ち上がると、アレルヤは勢い良く扉を開けた。
「ロックオン!」
「わ……っ」
物凄い速さで開いた扉に、そこの前に立っていた彼は驚いて声を上げた。
「何だよ、電気も点けねぇで、いないのかと思ったぜ」
「ロックオン」
陽気に話す彼は、ロックオンに、アレルヤが何度も抱いたロックオンに違いなかった。
「アレルヤ、悪いな、遅くなっちまって」
「ロック、オン」
「どうした、そんな顔して。怒ってんのか?」
「い、いえ、違いますよ。中、入って」
アレルヤはゆっくり首を振って、それから笑顔を作って彼を部屋の中へと迎え入れた。
「どこへ行っていたんです」
「ちょっとな…、でももう大丈夫だからさ」
「そう、ですか」
それ以上は何も聞くことなんて出来なかった。
そんなことより、一刻も早く彼の存在を確かめたくて、アレルヤは強く拳を握り締め、それから無防備な背中をぎゅっと抱き締めた。
「ア、レルヤ?どうした」
痛いほどに力を込めても、しっかりと手応えがある。
戸惑う声は、いつも耳にしている、アレルヤの胸を高揚させる、ロックオンのものだ。
もう二度と離さないようにと力を込めると、アレルヤは彼の耳元へと囁いた。
「ロックオン、あなたが…」
「……うん?」
「ぼくは、あなたが好きだよ」
「……アレルヤ」
「学生の頃は、きっと憧れみたなものだったと思うけど、今はそうじゃない。あなたが好きだよ、ロックオン」
今までのわだかまりを吐き出すように言うと、所在なさげに揺れていた彼の手が持ち上がって、アレルヤの腕を優しく撫でた。
「俺もだよ、アレルヤ…」
「ロックオン…」
「俺も、お前が好きだよ」
彼の言葉を聞くと同時に、アレルヤは上体に回していた腕をそっと解いて、彼の頬を撫でた。
顎を掴んで背後に引き、顔を寄せる。
ゆっくりと合わせ、そのまま深く強く貪った唇は、初めてそうしたとき同じ温かい感触がした。
終