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「ちょっと待て、アレルヤ!」
顔を寄せた瞬間に、少し焦ったようなロックオンの声が上がった。
部屋の中に溢れていた何とも言えない空気を一瞬で打ち破るような、この雰囲気に似つかわしくない声。
彼の顎に触れて撫でるようになぞっていた指先を止めて、アレルヤは目を上げた。
先ほど上がった声から、アレルヤは彼がもっと狼狽しているものだと思っていたけれど。
間近に見えた綺麗な色の双眸は、ただ、何か言いたそうにじっとこちらを見ているだけだった。
「こうしてさ、ずーっと部屋に閉じ籠ってるのも、楽じゃないよな」
はぁ、と吐息を吐きながら、ロックオンは寝転んだベッドの上で退屈そうに声を上げた。
気を紛らわす為に一緒に酒を飲み始めて数時間経つけれど、彼はずっとこんな調子だ。
特に何を言うでもなく、アレルヤは黙って彼の言葉に耳を傾けていた。
「息抜き出来る訳じゃない。何より、女性とはかなりご無沙汰」
「女性なら、この艦にもいるでしょう」
読んでいた本から目を離さず、他人事のように言うと、ロックオンは大袈裟に溜息を吐いた。
「それはそうだが、フェルトはまだ子供だ。クリスティナは、リヒティがべったりだろ。それに…ミス・スメラギに手を出す訳にはいかないと来た」
「そうですね…」
明らかに適当な感じの相槌だったが、ロックオンは何も言わなかった。
彼自身、自分が他愛のない話をしている自覚はあるのだろう。
「全く、ずっとこうしてると可笑しくなっちまう」
けれど。
やがて吐き出された何気ない一言に、アレルヤは初めて本から目を離し、顔を上げた。
「可笑しくって、どんな感じですか」
「そりゃ、お前…」
「……」
「……」
間近で視線を合わせて、二人は思わず黙り込んだ。
狭いベッドの上に無理矢理座り込んでいたせいか。
姿勢を崩したロックオンにベッドの端に追い込まれていたせいか。
お互いの距離が思っていたよりもずっと近くて、驚いたのかも知れない。
普通なら、慌てて距離を取ってそれで終わりだ。
そうしなかったのは、自分も彼も、既に可笑しくなっているのかも知れなかった。
じっと見詰めると、ロックオンの目の中に、自身の顔が映っているのが見える。
鮮やかな濃い翠色の中に吸い込まれるように魅入る。
同じく、ロックオンも、アレルヤの片方の目の中に、自分の姿を見出しているに違いない。
それほど見詰めうことに、何の意味があるのか。
程よく回った酔いは、思考と理性に歯止めを掛けた。
数秒後。
アレルヤの指先は勝手に持ち上がって、そっと、ロックオンの白い頬を撫でた。
そのまま顔を寄せようとしたのは、普通ではないこの状況で、至って普通の行為だったと思うのに。
「ちょっと待て、アレルヤ!」
ロックオンは急に制止の声を上げて、その流れを断ち切った。
無視して強行するような性質ではない。
アレルヤは縮めようとしていた距離を保ち、そして顔を上げた。
「何ですか?」
「…ああ、ええと」
溜息混じりに返答すると、ロックオンは少し言い淀む様に、ブラウンの髪の毛を無造作に掻き混ぜた。
けれど、それはほんの2、3回のことで、すぐに気を取り直すと真っ向から向き直った。
「最初に言っておくけどな。俺は…あくまで女性が好きなんだ」
予想通りの言葉に、アレルヤは顔色一つ変えずに返答する。
「知っていますけど…それが?」
「いや、だから…」
途端口籠もる彼に、アレルヤは微笑を浮かべた。
「優しいですね、ロックオン。ぼくが誤解しないように、釘を刺してくれている訳だ」
「あ、いや、まぁ…」
「でも、一つ勘違いしていますよ」
「……?」
「ぼくが、あなたに夢中になるとでも?」
「……!」
ロックオンの眉がぴく、と揺れるのを、アレルヤは片方の目でじっと見ていた。
プライドを逆撫でにされたような気分になったのだろう。
ひく、と整った顔を引き攣らせながら、彼は挑むような笑みを浮かべた。
「へぇ、心配ご無用だったって訳か。それは、悪かったな」
「ええ、余計なお世話ですよ」
更にかちんと来たのか、白い額に青筋が浮き上がる。
「それならいい、やりたいようにやれ。止めはしない」
まるで喧嘩でもするように言って、彼はアレルヤの上に馬乗りになった。
ぐい、と両手で掴まれた襟元に、一瞬呼吸が詰まる。
ゆっくりとその手を掴んで襟元から離させると、アレルヤは静かに口を開いた。
「そのつもりですよ、ロックオン」
アレルヤが言い終えると同時に、二人は噛み付くように唇を寄せ合った。
「んっ、ん…」
合わせた唇の隙間から、どちらからともなく声が上がる。
緩く開いた唇を割って中へ侵入し、舌を絡めて軽く吸い上げる。
滑らかなその感触に、アレルヤは夢中になった。
ロックオンの方もそうなのだろう。
言葉を交わすのも忘れて、簡易なベッドの上に寝転んで、何度も体勢を変えながらキスをし続けた。
自分の上に馬乗りになっていたロックオンの肢体は、いつの間にか自分の下にいて、逞しい腕の中に納まっていた。
彼もそれについて、どうこう言うつもりはならしい。
首筋に顔を寄せ、そこに軽く吸い付くと、ロックオンは乱れたベッドの上で小さく身じろいだ。
このまま、体を開いて欲しい。
今なら、拒まれることはない気がする。
止めない、と彼は言った。
ただの、売り言葉に買い言葉。それは解かっている。
けれど、一度口にしたことを、彼は律儀に守ろうとするだろう。
軽口を叩く割に、根は真面目で優しい。
それはよく、解かっているのだ。
「アレルヤ…?」
急に動きを止めた自分を不審に思ったのか、ロックオンから頼りなげな声が上がった。
それは、この先の行為を知らず促しているようにも聞こえた。
「大丈夫…、出来るだけ丁寧にするから」
「お、まえ…」
さらりと言い放つと、彼は息を飲んで目を見開く。
言葉を続かせないように、アレルヤは彼の衣服の中に手を差し入れた。
不躾なその仕草に、彼の体が緊張で強張る。
『最初に言っておくが…』
その言葉通り、今までこんな経験をしたことなど、ないのだろう。
それなのに…。
「本当に優しいですよ、あなたは」
囁くような声でそう言って、アレルヤは彼の両足の奥へと手を差し入れた。