4




もういい、もう止めよう―何て内容のことをアレルヤに言われてからこっち。
彼とは本当にばったりと何もしなくなった。
元々、誘いを掛けていたのはいつもアレルヤの方だったから、当然だ。
気まずくなることはなかったけれど、アレルヤはロックオンと二人だけになる状況を意識して避けているようだった。

(何だかな…)

正直なところ、拍子抜けしたような、気が抜けたような。
とにかく妙な感じだった。
その前には、止めろと言う自分の言葉なんかひとつも聞き入れようとしないほど、強引だったのに。
そうだ、あのときの彼の様子は少し変だった。
アレルヤは、あんな強引にことに及ぼうとする性格じゃない。
何か、怒らせてしまったのだろうか。
それなら、機嫌さえ直れば、その内また何事もなかったようにロックオンの名前を呼んで、部屋に来いと言って来るかもしれない。
そう思い直して、深く考えることを暫しの間放棄した。

でも。何日経っても、そんなことにはならなかった。

(何なんだ、あいつは…)

段々と、ロックオンは自分が苛々していることに気付いた。

だいたい、手を出して来たのは彼だ。
いや、自分だって拒まなかった。
でも、あれだけ熱心に繰り返していたのに、こんなにあっさりと引いてしまえるものなのか。
今までずっと、彼から誘い掛けていたのに。
どうして、今頃になって。

しかも、彼にあんなことを言われてから、皮肉にも彼について考えることが増えた。
前は敢えて考えないようにと意識の隅に追いやっていたのに…。
このままでは、頭の中がアレルヤに占拠されてしまう。
もっと考えなくてはいけないことは沢山あると言うのに。
髪の毛を無造作に掻き上げると、ロックオンは深い溜息を吐き出した。


その、数日後。
非番だったので、気晴らしに外へ出ようとしていたロックオンは、豪邸の側に留めてある車の前でアレルヤと擦れ違った。

「外出ですか、ロックオン」
「あ、ああ…まぁな」
「気を付けて」
「解かってる」

型どおりの会話を交わしながらも、ロックオンの意識は全く別のところに向いていた。
長めの髪の毛に覆われていない方の、彼の顔。
鋭い感じなのに、優しい雰囲気の目。
思わず、何度も見返してしまうほど、整っていて綺麗だ。
何で、こんなに見ているんだと思っても、目を逸らすことが出来ない。
アレルヤは、前からこんな顔をしていただろうか。

「ロックオン?」

じっと見詰める視線に気付いたのか、アレルヤは顔を上げ、戸惑うようにそのグレイの目を揺らした。

「どうか、したんですか?」

言いながら、アレルヤの手がゆっくりとこちらに伸ばされる。
そうして、その手が肩に乗せられた瞬間、ロックオンはびくりと電流が走ったように身を揺らした。

「……っ!」

反射的に手を上げて、アレルヤの手を払い除ける。
パシ!と小気味良い音がして、アレルヤの目は驚きに見開かれた。

「ロックオン?」

名前を呼ばれて、ハッと我に返る。

「わ、悪い。びっくりして…」
「いえ…。ぼくこそ、すみません」
「じゃあ、行って来る」
「はい。気を…付けて」

立ち去ろうとする背中に、アレルヤの視線が突き刺さっている気がして、ロックオンは逃れるように足を早めた。



その後、車に乗り込んでからも、その妙な感覚は消えなかった。
さっきのあれは、何なんだ。
彼に触れられた瞬間、電流が走ったみたいに感じて、体の中が熱くなった。
それに、触れらた部分にだけ、未だに熱が残っているような。

(マジかよ…)

思わずその場所をぎゅっと掴んで、ロックオンは眉を顰めた。
これは、間違いようもない。

触れられたいと、願っている?自分が?
それは、率直に言うと、抱かれたいと言うことだ。
もう一度、彼に。

「……っ」

自覚した途端、カッと頬が朱に染まって、ロックオンは手の平で口元を覆った。

(何だってんだ)

これじゃあ、まるで…。
頭の中に浮かんだ言葉を打ち消すように、ロックオンは数回頭を振った。

そのまま、当てもなく車を走らせていると、辺りはすっかり暗くなってしまった。
気晴らしに出かけたはずなのに、気分は更に最悪だ。
こうなったら今日はもう休んでしまおう。
部屋に戻れば、アレルヤと顔をあわせることもないから。

重い足取りで部屋へ向かっていると、途中でリヒテンダールの姿を見掛けた。
彼は歩み寄るロックオンには気付かず、深々と溜息を吐き出している。

「なんだ、どうした、リヒティ」
「あ、ロックオン…!」

声を掛けると、彼は驚いたように顔を上げ、それからまた大きな溜息を吐いた。

「ロックオンには解からないですよ、苦労してなさそうですもんね」
「……?何がだ?」
「いやなんつーか、上手く行かないもんですよね、恋ってのは」

気の抜けたような答えに、ロックオンは思わず顔を綻ばせた。
もしかしたら、クリスティナのことだろうか。

「恋って、お前…暢気だな、相変わらず」
「いやまぁ、そうですよね、すみません。でも、こんな生活してたんじゃ、おかしくなっちゃいますよ、本当に…。欲求不満ですね」
「…まぁ、そりゃ…」

笑って受け流そうとして、ロックオンはぴたりと言葉を止めた。
何かが、引っかかったからだ。聞き覚えのあるような言葉。
記憶を手繰り寄せると、すぐに思い当たることがあった。

「ロックオン?」
「あ、いや。何でもないさ。とにかく、あまり思い詰めるなよ」
「了解っす」

リヒテンダールと別れて部屋に戻ると、ロックオンはベッドに体を投げ出した。
寝転んで、天井を見上げる。
アレルヤの部屋と、さして違いはない。
いつも、彼の肩越しに見ていた天上と一緒だ。

―ずっとこうしてると、可笑しくなっちまう。
―可笑しくって、どんな感じですか?

いつだか交わした会話。
お互いの言葉が頭の中に浮かび上がって来る。
思えば、あの言葉が始まりだった気がする。
好奇心。興味本位。溜まっていた鬱憤を発散させただけ。
それ以外に、何もないのだった。
あの手があまりに優しいから、すっかり思い違いをしていたのだ。
可笑しいままだったんだ、二人とも。
あのまま、時間が止まっているみたいに。
でも、アレルヤは断ち切った。
そうだ。彼にとっても、自分なんかとあんな行為に溺れているより、その方がいいに決まっている。
折角彼が止めようと言ったのに、真っ当な道を行こうとしているのに、自分から蒸し返して、どうする。

けれど、あのとき触れられた熱は未だロックオンの体の中に巣食って、苦しめていた。
信じられない。ただ触れただけだ。
今までは、そんなの比べ物にもならないほど深い行為を重ねていたと言うのに。
ロックオンは一度頭を振って、髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。
このままでは、体に巣食ったままの熱に理性まで侵食されてしまいそうだ。
興味本位で行為に臨んだことを後悔したけれど、もう遅い。
このままでは、いつか…また流されてしまう。
もしかしたら、相手がアレルヤ…彼じゃないとしても…。
そして、怪訝していた事態は、ロックオンが思っていたよりずっと早く訪れた。

再び、気晴らしにと街へ出掛けたときのこと。

「暇なら、一緒に飲まないか?」

突然、そんな言葉を掛けて来た男がいた。
記憶を辿ってみたけれど、見覚えはない。
軽くあしらおうとして、ロックオンは思わず言葉を止めた。
こちらを見詰める男の視線に、何だか嫌なものを感じたから。
何だろう、この、まるで値踏みでもするような視線は。
警戒心を丸出しにして睨み付けると、男は軽く笑い声を上げた。

「そんなに怖い顔するなよ。ただ、利害が一致しそうだったから…」

「言ってる意味が解からないな」

言い捨てて、その場を去ろうとした腕が、不躾な仕草で掴まれる。

「な、何を…」

驚いて目を見開くと、男は鼻先が触れそうなほどに顔を寄せ、ロックオンの耳元に囁きかけた。

「解かってないな。お前、自分がどんな顔をしているか、解かってるのか?」

「…?俺が、何だと…?」
「欲求不満なら相手になろうかと、言っているんだ」
「何言って…」
「抱いてやろうかってことさ」
「……!!」

どく、と強く鼓動が跳ねた。普段なら、そんな場合じゃない。
今すぐにでもこの不愉快な手を払い除けて、立ち去っている。
でも、ロックオンの足は鉛のように重くて、そこから動くことが出来なかった。
熱の籠もった声に囁かれた途端、優しく自分に触れるアレルヤの手を思い出したからだ。
同時に、とても愛しいものでも呼ぶように、自分の名前の形に動く唇が、目の前にちらつく。

「何、ぼんやりしてるんだ」
「あ、いや…」

顔を上げた途端、襟元を荒く掴まれて、体が引かれた。
覆い被さる影に視界が塞がれた一瞬、瞼の裏に、少し困ったように笑うアレルヤの顔が強烈に浮かび上がった。