旧約4




そんな関係に変化が現れたのは、それから暫く経った頃だった。
地上に降りていたとき。いつものようにベッドに寝転んで重なり合い、アレルヤの体温を受け止めていた。
もうすっかり肌に馴染んでしまった感触は、どう足掻いても心地良い以外の何物でもない。
ゆっくりと衣服の上から体を弄ばれて、少しずつ呼吸が上がって行く。
思わず、シーツを掴んでいた手を離し、ロックオンは彼の背中に腕を回した。
ただ、体が辛かったから、そうしただけなのだけど。途端、アレルヤの肩が怯えたようにびくりと揺れた。
緩く与えられていた刺激が止んで、きつく閉じていた目を開いてみる。
けれど、彼の表情を伺おうにも、長めの髪の毛に隠れて見えない。

「アレ、ルヤ…?」

どうしたのだろうと、名前を呼んでも返事はなかった。
代わりに、少しの間の後。
突然、頬にぽたぽたと落ちて来たものに、ロックオンは驚いて顔を上げた。

「アレルヤ、お前?!」

泣いている?どうして…。
飛び起きようとしたけれど、圧し掛かるアレルヤの肢体に遮られる。
仕方なく、ロックオンはざわめく胸の内を堪えて、彼の次の行動をひたすら待った。
その間も次々と落ちて来る涙が、頬を濡らす。温かいものが降り掛かる度、胸の奥がどうしようもないほど痛くなった。

やがて、どの位してか。

「ロックオン…」

静かな声が降って来て、息を詰める。

「……アレルヤ?」

探るように声を掛けると、彼はゆっくりと首を横に振った。
髪の毛が揺れて、ようやく見えた顔に、思わずハッとする。
アレルヤは流れる涙を拭おうともせずに、じっとこちらを見下ろしていた。悲壮な顔に、ずき、と胸が痛む。
それなのに、何故か別のところで熱いものが込み上げる。
何だ、これは。
戸惑いながらも黙り込んでいると、彼は途切れ途切れに続けた。

「あなたが、いつかは拒んでくれると思っていた」
「……」
「でも、いつも黙って受け入れるばかりで…。どうしてあなたは、そんなに残酷なんだ…」
「アレ、ルヤ」

何だか堪らなくなって、そっと指先を持ち上げて、頬を伝うアレルヤの涙を掬い取る。

「泣くな…」

声を掛けると、彼は拒否するように慰めを与える手を掴んだ。

「ぼくが間違っていた…。本当に愚かでしたよ。こうしていれば、いつかはあなたの心も手に入ると思った」
「アレルヤ…お前…」
「でも、無理だった…。それなのに、どうしても止められない。あなたが好きだから、抱きたいと思ってしまう…」

そう言って目を閉じると、今まで目尻に堪っていた涙がどっと溢れて一気に頬を流れ落ちた。
アレルヤ。
呆然としたまま名前を呼んで、ロックオンはようやく、次々と自分の中に込み上げて来るものが何なのか、悟ったような気がした。
胸の中が熱い。アレルヤが悲しんでいるのは苦しいのに、彼の唇が自分への思いを語るのに、酷く高揚する。
同時に、以前から燻っていた疑問の答えも出たような気がした。

「アレルヤ、すまない」
「あなたが悪い訳じゃない、ぼくが…どうしても…」
「違うんだよ…そうじゃなくて。いいから、泣くな」

掴まれた手を振り解いて、アレルヤの濡れた頬を手の平で強く拭う。そうして、優しい声で囁いた。

「止めなくて、いいから」
「――!どうして……」
「俺が、止めて欲しくない」

はっきりと告げると、アレルヤは意表を突かれたように息を飲んだ。
けれど、次の瞬間にはその顔がみるみる悲しそうに歪む。

「酷い人ですね、本当に。拒んでもくれない」
「拒む必要なんか、ねぇよ…俺には、出来ねぇ」

ゆっくりと首を振って言葉を吐き出すと、彼は初めてロックオンの異変に気付き、きょとんとしたような顔になった。

「ロックオン…?」

見開いた目が、不安そうにロックオンの言葉を待っている。
どうしたら、上手く伝えることが出来るのだろう。いや、もう散々傷付けてしまって、今更だ…。
すっと息を吸い込むと、ロックオンは思い切って口を開いた。

「俺が受け入れるのは、お前だけだ」
「……ロックオン?」
「お前じゃなかったら、きっと、ここまでしなかった」
「……」
「それに、今は…お前じゃないと駄目だと思ってる……だから……」

だから、何だ。言葉が続かない。
呆れているだろうか、アレルヤ。
今になって、物怖じしている。誰かを受け入れ、心を許すことがこんなに切ないものだとは。
体だけ、と言ったあのときより、ずっと不安で、自分がどうしようもない人間になったような気がする。

けれど、アレルヤはどこまでも実直だった。
暫くの間、彼の目は困惑に揺れていたけれど。何度かの瞬きの後、何かに気付いたようにその視線が定まり、じっとこちらを見詰めて来た。

「それはきっと……、好きってことですよ」
「……そう、かもな」
「そうですよ、絶対」

彼の言葉に、胸の奥が嘘のようにすっと晴れた。
込み上げていた不安も焦燥感も徐々に薄れて行く。
そっと目を閉じると、ロックオンはゆっくりと首を縦に振った。

「ああ、そうだな……。きっと、そうだ」

気付くのが遅れて、悪かった。
囁くように耳元に告げて、ロックオンはアレルヤの体を引き寄せ、力を込めて抱き締めた。



その後。

「じゃあ、あのときの約束は、反故と言うことで」

アレルヤは改めてロックオンの上に圧し掛かりながら、優しい仕草で髪を撫でて、確認するようにそう言った。
あのときの約束…。体はやるけれど、心はやれない。
契約のように交わしたあの言葉だ。もう、何の意味もない。
ロックオンは迷うことなく頷いた。

「ああ、了解だ」

承諾の言葉を確認すると、アレルヤは顔を寄せて唇を塞いで来た。
軽く触れるだけだった唇は徐々に強く押し付けられ、やがて深いキスへと変わった。
緩く開いた唇を割って舌が侵入する。無我夢中でお互いのものを絡め合って、求め合うように侵蝕する。
時間が経つのも忘れてしまったように、長いことそうして、燻ってたわだかまりも何もかも消えてなくなってしまった。
そうして、温かく柔らかいアレルヤの唇と、いつの間にか乾いて消えてしまった涙の痕だけが残った。