Lovesick
王留美が用意した地上のアジトで、一部のメンバーを残して降下したプトレマイオスのクルーたちは、皆でミッション成功の祝杯を上げていた。ロックオンはクリスティナとフェルトと一緒に他愛もない会話を楽しんでいたのだけど、先ほどから少し離れたところにいるアレルヤとスメラギの様子が気になっていた。と言うのも……。
「さ、アレルヤ、飲みなさい!」
そんなことを言いながら、彼女はアレルヤのグラスにドボドボと大量の酒を注いでいる。先ほどから見ていたのだが、アレルヤは数分前にもグラスの中の液体を必死に飲み干したばかりだった。やっと飲んだ!と言う明るい顔がみるみる困ったように歪んで、ロックオンは苦い笑みを浮かべた。
「あ、あの、スメラギさん、ぼくはもう」
明らかに彼は困惑しているようだが、はっきりと拒否は出来ないらしい。上手くかわす処世術も身に着けていない。
「いいじゃないの、たまには付き合ってくれたって」
既に出来上がっているスメラギを前に、アレルヤはハァ…と深い溜息を吐いた。
「おいおい、あれ、大丈夫か」
「ちょっと、大丈夫じゃないかも」
クリスティナも二人に視線を移し、苦い笑みを浮かべている。
「だよな、飲ませ過ぎだ」
「何とかしないと、ちょっとアレルヤが可哀想…」
「そうだよな…」
彼女の言葉に、ロックオンも溜息を吐いた。フェルトも黙ったままだけど、流石に少し心配そうだ。そろそろ限界だろうか。仕方なく、ロックオンは二人に向かって足を進めた。
「ミス・スメラギ。ちょっと飲み過ぎだぜ、アレルヤが」
「あら、ロックオン!一緒に飲みましょ」
新たな酒飲み仲間を見つけて、スメラギの目が輝く。けれど、すでにその目はとろりとしていて、焦点が合っていない。彼女も相当飲んだのだろう。アレルヤに視線を流すと、彼はロックオンを見て困ったように視線を伏せた。
「じゃ、部屋で飲むか、立てるかい」
「大丈夫よぉ、このくらい」
ひらひらと手を振る彼女に肩を貸し、ロックオンは支えるように腰を抱いた。直後、突き刺さる視線が二つ。目の前のアレルヤと、それから、背後からもう一つ?気のせいだろうか。何気なく振り返ると、フェルトと目があったような気がしたけど、思い違いだろうか。
「ロックオン!」
そのまま一歩足を踏み出すと、アレルヤが性急に立ち上がった。途端、よろける彼に、静止の言葉を掛ける。
「大丈夫だ、お前ももう部屋に行ってろ」
気を利かせたつもりの台詞だったけれど、アレルヤは慌てたようにロックオンの腕を掴んだ。
「ま、待って下さい、ロックオン!ぼくが、送ります」
「あん?」
呆気に取られているロックオンの肩から、彼はスメラギの腕を強引に奪い取った。
「お、おい、アレルヤ」
「スメラギさん、行きましょう」
「何よ、アレルヤ、もうちょっと飲んでから」
「解かりましたから、行きましょう」
呼び止めるロックオンにはお構いなく、アレルヤはそのままスメラギを抱きかかえるようにして行ってしまった。そうして、部屋を出る直前に、彼は一度だけ肩越しにちらりとロックオンの方を振り返った。何も言わない、グレイの目。けれど、何となく睨まれたような、鋭い眼差しを向けられたような、そんな気がした。
お開きになった後、会場の後片付けを手伝いながら、ロックオンは先ほどのアレルヤの目を思い出していた。
あれは、何と言うか、つまり…あれだろうか。前から何となく懐いているように思えたけれど、それがいつの間にか……と言うことか。
「免疫なさそうだもんなぁ、アレルヤのヤツ」
身近にいる存在にそんな風に恋心のようなものを抱く気持ちは、解からなくもない。彼女は確かに酒癖が悪いけれど、魅力的な女性だ。けれど決して完璧な訳ではなく、力を貸してあげたいと思わせるような脆さも持っている。彼女にそんなつもりがなくても、惹かれる相手の気持ちまではコントロール出来ないものだ。それは、ロックオンにも言えることで、自分自身もフェルトから注がれる淡い思いを抱いた視線には気付いていない。得てして、そう言うものだ。
それはさておき。今置かれている状況を考えると、アレルヤの恋に関しても楽観的になどなれない。恋するなとは言わない。フェルトの両親だって、きっとマイスター同士でそう言う感情を抱いて彼女を授かったのだろう。つまり、ミッションに支障が出なければいいのだ、今は。そう言う気持ちが思わぬ力を生むこともある。アレルヤは冷静だし、盲目的になることもないだろう。気持ちが、淡い内は。でも……。無意識にそこまで考えて、ロックオンは緩く首を打ち振った。そこまで干渉する謂れはない。こと、恋に関して第三者の余計なお節介は禁物だ。
その、数日後。スメラギに頼まれていたデータを渡す為、ロックオンはブリーフィングルームに向かっていた。角を曲がる途中で、突然姿を現したアレルヤにぶつかりそうになる。
「アレルヤ」
「あっ、すみません」
彼が同じ場所に向かおうとしているのはすぐ解かった。
「お前もブリーフィングルームに行くのか」
「ええ」
頷いたアレルヤに、ロックオンは手にしていたデータ端末を手渡した。
「丁度良かった。これ、ミス・スメラギに渡してくれ」
「え…?」
「んじゃ、頼んだぞ」
「ロックオン!」
あくまで明るく言い捨てて去ろうとする腕が、彼の手に掴まれる。
「あなたが渡さなくて、いいんですか」
「ん、ああ…」
軽い調子で応答する自分を、アレルヤがじっと見詰める。どこか探るような、あのとき向けられたのと同じような視線。
ああ、もしかして、誤解しているんだろうか。自分とスメラギの仲を?この前、部屋に送ろうなんて言ったのがいけなかったのか。身を引いたなんて思われても、後でしこりが残るかも知れない。少し考えて、ロックオンは単刀直入に話を切り出した。
「アレルヤ、お前…誤解してねぇか」
すっと片方の目が見開かれる。切れ長の冷ややかな目。そこに宿るのは、確実に探るような色だ。小さな亀裂でも綻びでも、放っておくと大きくなってしまう。こう言うのは、早い方がいいのだ。
「誤解って、何がです?」
慎重に口を開くアレルヤに、ロックオンはくったくのない笑顔を浮かべた。
「いや、勘違いならいいんだけどよ、念のため…な。俺とミス・スメラギは何でもないからな、この前部屋に送るって言ったのも…あれは…」
「ええ、解かっています。あなたなら、スメラギさんじゃなくても送ると言ったでしょうね」
言葉を遮って返って来た台詞に、ほっと胸を撫で下ろす。そこまで、アレルヤは短絡的ではないか。自分が危惧していただけなら、それでいい。
「そっか、なら…」
「でも……」
ならいい―。そう言おうとした言葉が、再び途中で遮られた。
「……?アレルヤ?」
目を上げると、彼は真っ直ぐにこちらを見ていた。穏やかな目。でも、どこか含みのある笑みで口元を綻ばせ、そしてゆっくりと声を上げた。
「解かっていても、嫌なことってあるので」
「…!アレルヤ…!」
「じゃあ、これは確実に渡します」
それだけ言って、彼はロックオンの前からいなくなった。誤解されていた訳ではなかった。では、あれは…。あれは、紛れもない牽制だ。彼が消えて行った方、ブリーフィングルームの方をじっと見詰めて、ロックオンは思わず溜息を吐いた。
そんな状態のまま、更に数日が過ぎた。他にも気にかけるべきことは沢山あったから、アレルヤのことだけに考える時間を取られていた訳ではないけれど。ずっと頭の中に引っ掛かって離れなかった。あんな些細なことで、マイスターの間にあつれきが生じてはいけない。幸い、ミッションのときのアレルヤは本当にいつも通りだったし、ロックオンの助言も気遣いも素直に受け入れてくれた。あまり蒸し返しても更にこじれそうだったので、あの話題には一度も触れないまま、時間だけが過ぎた。ただ、時折。
「スメラギさん、この間のミッションですが」
「なぁに、アレルヤ?何かあったの」
そんな風に和やかに会話している二人をよく見かけるようにはなっていた。見る限り、ミス・スメラギにはそう言う感じはない。どちらかと言うと、クリスティナの方がアレルヤには関心を持っていそうだ。でも、それだって、どことなくミーハーっぽいと言うか。彼に他に対象がいれば、肩を竦めながら明るい調子で、残念だわ―などと言う程度のものだと思う。でも、アレルヤは。彼は、少し危うい感じがする。勿論、思い過ごしならそれでいい。気持ちが淡いうちは、それで…。でも、そうじゃなかったら。
(って…別にいいだろうが)
また考え過ぎている。アレルヤだって、もう大人だ。色恋沙汰には干渉しないに限る、この前そう思ったばかりだ。悪い癖だ。そっと眉根を寄せて、ロックオンは片手で頭を抱えた。食堂にでも行こうと部屋を出ると、通路の向こうからフェルトが飛んで来るのが見えた。
「ロックオン」
「フェルト、どうした」
笑顔を浮かべて尋ねると、彼女はハロをこちらに向けて差し出した。
「ハロ、返しに…」
「そっか、ありがとな」
優しい目で彼女を見詰めて礼の述べると、ロックオンはオレンジ色の相棒をその手から受け取った。こく、と頷いたフェルトの頬が、ほんのりと赤く染まる。けれど、ロックオンの視線は別のところに向いていた。彼女の頬の辺りに、落ちた睫毛がくっついている。
「待て、フェルト。頬に何か…」
「え……」
顔を上げた彼女の頬を、手の平で優しく覆う。確認の為、そっと顔を寄せたそのとき。
「あ……」
背後から声がして、ロックオンはぴたりと動きを止めた。
「……!」
声に気付いたフェルトが目を上げ、先に反応する。
「ア、アレルヤぁ?!」
一歩遅れて振り返ったロックオンは、その場に居心地の悪そうに立っているアレルヤを見付けて、引き攣った声を上げた。
「すみません、また邪魔してしまいましたね…」
「いや、だから、誤解なんだっての」
フェルトが去った後、困ったように笑ってそんなことを言うアレルヤに、ロックオンは困惑した声を上げた。これで二回目だ。いつも微妙なタイミングで鉢合わせてしまう。
「だいたい、間が悪いんだよ、お前は」
「そう、かな…良い、と思うけど」
「……あ?」
「いえ、何でも」
緩く首を振ったアレルヤの口元には、僅かに笑みが浮かんでいる。こうしていると、気まずさなんて微塵も感じない。いつものアレルヤだ。
「ロックオン」
「ん?」
そんなことを考えていると、改まったような声に呼ばれて、我に返った。視線が合うと、アレルヤは少し戸惑った素振りを見せた後、やがて口を開いた。
「あなたは……年上が好き、なんですよね」
「は……?」
「前に、そんなこと、言ってたから」
「え、ああ…」
そう言えば、酒の席か何かで酔ってそんなことを口にしたような気がする。
「ま、絶対、って訳じゃねぇがな…」
あくまで好みのタイプを告げただけだ。そう言うと、アレルヤはぴく、と反応するように顔を上げた。
「それって、年下でもそう言う対象に…なるってこと?」
「人によるけどな。あ、言っとくがフェルトとは本当に…」
「解かりました。じゃあ、また」
「おい、アレルヤ!」
話を途中で遮ると、アレルヤは何だか弾んだような声を発して、そのまま行ってしまった。
「全く……」
結局、誤解されたまま…か。まぁ、彼としては、ロックオンの気持ちがフェルトに向いていると思った方が安心なんだろうか。参ったな。こんなことで問題が起こったりしなければいいけれど。と言うか、何故、こんなにアレルヤのことばかり気にしてるんだか。気を紛らわすように髪の毛を掻き上げると、彼が消えた方向の通路を見詰めて、ロックオンは小さく溜息を吐いた。
その、同時刻頃。
―何浮かれてんだ、お前は。
呆れたようなハレルヤの声が聞こえて、アレルヤは視線を上げた。確かに、少し浮き足立っているかも知れない。
「仕方ないよ。あの人が、年下でも好きになるみたいなことを言うから…」
―だからって、見込みがあるとは思えねぇがな。ありゃ、なーんも解かってないぜ?
「本当に……自分のことには鈍いよね、あの人」
正確には、自分に向けられる好意の類に、だろうか。
―回りくどいことしてねぇで、さっさと思い知らせてやれよ。
揶揄するようなハレルヤの言葉に、アレルヤは小さく肩を竦めた。
「ああ、解かってるよ。その内ね…ハレルヤ…」
先ほどロックオンが吐いたよりも深く長い溜息の後、独り言のように呟いたその言葉は、まだ誰の耳にも届くことはなかった。