突発性運命2
「ハレルヤ」
弱々しいアレルヤの声がして、ハレルヤは後ろを振り向いた。
視線の先に立っているのは、自分と同じ顔、同じ声をした片割れだ。彼は俯き、その顔は暗く沈んでいた。
「何だよ、また泣き付きに来たのか?」
からかうように言うと、アレルヤはゆっくり首を横に振った。
「そうじゃない」
「じゃあ、何だよ」
言った途端、唐突に抱き寄せられ、しがみ付かれた。バランスを崩した体が、アレルヤに凭れかかる形になる。ぎゅっと、強く力を込められて痛みが走る。
馬鹿力で掴むな。胸中でそう呟くが、拒絶はしない。
「何だよ、どうしたって……」
揶揄するように呟く声が、アレルヤの唇に塞がれて途切れた。
「ん、……おい、アレルヤ」
肩を掴んで引き剥がすと、彼はムキになったようにもう一度唇を寄せて来た。
子供みたいなアレルヤ。守ってやれるのは、自分しかいない。今までだって、ずっとそうだった。
「きみは、ぼくを裏切らないよね」
「当たりめぇだろうが、いつまでうじうじしてやがる」
「なら、いいんだよ、ハレルヤ……」
独り言のように呟いて、アレルヤは再びハレルヤに口付けた。今度は深く、強く。
黙って口付けを受けながら、ハレルヤは彼の背に腕を回した。ハレルヤを見て、求めてくれるのはアレルヤだけだ。だから、勝手にすればいい。昔はそうじゃなかった。でも、大事に思っていた存在はある日突然奪われてしまった。だから、ハレルヤはアレルヤ以外もう何も望まない。二人だけで完結した狭くて閉鎖的な世界だったけれど、ハレルヤは不満などなかった。そして、それは確実なはずだった。
―ロックオン・ストラトス。
あの日、彼がこの家にやって来るまでは。
「いいんですよ、ロックオン。あなたはそんなことしなくても…」
「アレルヤ。いや、そうは言うが…」
使用人に混じって夕食の準備をしているロックオンを、アレルヤが穏やかな声で窘めている。やらずに済むと言うのに、自ら進んで支度に勤しむなんて、物好きな男だ。ハレルヤは広い部屋の隅で腕組みをして、起きていることを興味なさ気に傍観していた。
元々、アレルヤが興味を持ったから、ハレルヤもロックオンのことが気になっただけだ。確かに、綺麗な顔をしてはいるけれど、それだけなら女でもいい。
「あなたが働いた分、彼らの給料を引かないといけない。それでも……?」
「え……あ……」
アレルヤにそんなことを言われて、ロックオンは言葉に詰まっている。その様子に、アレルヤは満足そうに微笑した。
「あなたは、ぼくたちだけ見てて下さい」
言いながら、そっと手を伸ばして襟元に触れる。びく、と肢体を引き攣らせる彼を遠巻きに見詰めて、ハレルヤは眉を寄せた。
「ネクタイが曲がっていますよ」
「あ、ああ……悪いな、アレルヤ」
「いえ……」
アレルヤの優しげな笑顔に、ロックオンはすっかりと気を許しているように見えた。手強いと思ったのも、最初だけだ。ちょろいもんだ、あんな男。さっさとずたずたにして、再起不能にしてやる。貞のいい、玩具。ただの退屈しのぎの獲物だ。
ハレルヤは知らずぐっと強く奥歯を噛み締め、胸中で苛立たしげに吐き捨てた。
何だろう、この苛立ちは。今まで感じたことなど、なかったものだ―。
ロックオンが来て、数週間が過ぎたある日。
「アレルヤ、アレルヤ?」
片割れの姿が見えなくて、ハレルヤは屋敷の中を探し回っていた。
「ったく、どこ行った、あいつ」
いつもはだいたいどこにいるか解かるのに。もしかしたら、彼のところだろうか。思い浮かべると同時に、ハレルヤはロックオンの部屋へ直行した。
「おい、ロックオン!」
ノックもせずに扉を足蹴にして開けると、着替えの真っ最中だった彼はぎょっとしたような顔をした。
「ハレルヤか、ノックくらいしろよ」
「うるせぇな、鍵掛けてないお前が悪いんだろ」
悪態を吐いて、ハレルヤはドサッとベッドに腰を下ろした。部屋の中を見回したけれど、アレルヤはいない。退屈だから、少しここに居座るとしよう。
「何だよ、何か用か?」
優しい声で尋ねられて、ハレルヤは目を上げた。ロックオンは、白いシャツの袖に腕を通している最中だ。シャツほどではないけれど、白く柔らかそうな肌。初めて見たときは、シャワーを浴びた後だったから、髪から水滴が滴っていて、もっと……何と言うか……。
ぼんやりしていると、無視されているのだと思ったのか。彼はハァと溜息を吐いて、ハレルヤの隣に腰を下ろした。弾みで体がマットに沈み、少しぎくりとする。アレルヤ以外の、他人の体温。自分から誰かに触れたことはあるけれど、こうして近付かれるのは、慣れない。
警戒心丸出しのハレルヤにもお構いなく、ロックオンは笑顔を作った。
「アレルヤでも探してんのか?」
「……」
言い当てられて、ハレルヤは無言のまま眉を顰めた。
「無視すんなよ、傷付くだろ」
しかも、そんな台詞を吐いて笑っている。
(……んだよ、こいつ……)
ハレルヤは少し苛々しだした。そう言えば。始めの頃はあんなに自分にびくついていたくせに、いつの間にか馴れ馴れしい態度になっている。彼の無防備さは天下一品らしい。でも、何だか……居心地は悪くない。
何故か立ち去る気にならず、ハレルヤとロックオンはそのまま隣り合って話をした。
「なぁ、ハレルヤ…お前たちの、母親は?」
少し経つと、彼はそんなことを尋ねて来た。
「知るか。いなくなっちまったよ。妹を連れてな」
どうでも良いと言う風に吐き捨てると、ロックオンの瞳がサッと曇るのが見えた。
「そうか、悪かったな…」
「ああ?別に。何言って…」
言い掛けて、ハレルヤは言葉を止めた。突然、こちらに伸びて来た手の平が髪に触れ、そこをぐしゃぐしゃと掻き混ぜたからだ。
「……?」
何が起きているのか解からず、一瞬呆気に取られる。暫くそうしていた手が今度は優しく撫でるように動き回り、そこでようやく我に返った。
「な、にすんだ……触んな!」
バシ!と音を立てて彼の手を振り払う。容赦ない力を込めた為、ロックオンは痛みに形の良い眉を顰めた。
「お前なぁ……、自分は人にあんなことしといて、随分勝手な言い草だな、おい」
初対面で脱衣所に忍び込み、無理矢理唇を合わせて来た男の言葉とは思えない。ロックオンの揶揄に、ハレルヤはムキになって喚いた。
「うるせえ!いいから二度とすんなよ!」
「はいはい、悪かったよ」
なのに、彼は気分を害した素振りもなく、肩を竦めてそんなことを言った。
ふと、先ほど勢い良く振り払ったせいか、彼の手の甲が赤くなっていることに気付いて、どきりとする。彼の肌はとても白いから、差し込んだ赤味がよく目立って、とんでもなく悪いことをしたような気分になってしまう。
このままここにいてはいけない。そんな気がして、ハレルヤはベッドから飛び降りた。
「ハレルヤ。食事にはちゃんと来いよ?」
「……」
部屋を出る瞬間、そんなことを言われて、逃げるように扉を潜り抜けた。
それから、ハレルヤは妙に落ち着かない気分だった。どこにいても何をしていても、苛々したり、そわそわしたり。
ドカっとテーブルに足を投げ出して溜息を吐くと、アレルヤが振り向いて肩を竦めた。
「どうしたんだい、ハレルヤ」
「何でもねーよ。気に入らねぇと思ってさ」
「ロックオンがかい?」
「ああ……」
不貞腐れたように応えると、アレルヤは口元を綻ばせた。
―素直じゃないからね、きみは。
そう言われて、ますます面白くなくなった。
それから数日後。何となく、ハレルヤはロックオンの部屋の周りをひたすらうろうろしていた。部屋にいても落ち着かなくて、ついここへ足が向いていた。彼は今、中にいるだろうか。どうせ鍵は掛かっていないだろうから、さっさと扉を蹴破って中に入ればいいのだけど。
少しだけドアノブを捻って、そっと中を覗こうとすると、突然背後から声が掛かった。
「どうした、ハレルヤ」
「あっ!」
思わず、叱られた猫のように身を震わせてしまった。バッと勢い良く振り向くと、いつも通りの笑みを浮かべたロックオンが立っていた。
「用事があるなら入れよ。丁度いい、お茶かなんか飲もうぜ」
「……」
邪気のない声で言われて、ハレルヤは黙って彼の後から部屋に入った。
「話がしたきゃ……いつでも来ればいいだろ。俺が借りてるったって……元はお前の家なんだ」
「……」
「ただし……入浴の前後は止めてくれよ?」
「ふん……」
二人分の紅茶をカップに注ぎながら、ロックオンは何だかからかうような声でそう言った。子供扱いされているような、馬鹿にされているような気がして面白くないのに、怒鳴る気にもならない。ただ鼻を鳴らして顔を逸らすと、彼はまた表情を柔らかくした。
「ほら、飲むだろ」
「いらねぇ」
「あっそ、折角淹れたのにな」
「……」
黙っていると、彼は数日前みたいにベッドに腰を下ろして、ハレルヤに向けて手招きをした。
「じゃあ、こっち来いよ」
「……」
「今日はいきなり触ったりしねぇよ。な?」
くったくのない笑顔に誘われるまま、ハレルヤはふらふらとロックオンの隣に腰を下ろした。
「ほら、これ飲め」
そう言って、一度断られたはずのカップを手渡す。ハレルヤが黙って受け取ると、彼はぽんぽんと頭を軽く叩いた。
「てめ、触んなっつったろ」
「あ、ああ。悪いな、つい」
ぎろ、と睨み付けると、彼は降参するときのような仕草をして謝った。
「なあ、ハレルヤ」
「何だよ」
「お前の妹の話、聞かせてくれよ」
「はっ、何が楽しいんだよ、んなこと」
「知りてぇんだよ、いけないか?」
「……面白くもねぇ話だぜ」
「いいさ、聞かせてくれよ」
本当に物好きで可笑しな男だ。そう思いながらも、辛抱強く耳を傾けようとする彼に、ハレルヤはいつの間にかぽつぽつと話し始めていた。
妹はハレルヤたちより一つ下、名前はマリー。とても仲が良かったような思い出はあるのだけど、あるとき突然母親と一緒にいなくなってしまった。その後、一切連絡は取り合っていないことや、どこへ行ったのかも解からないこと。もう、顔もあまりよく思い出せないこと。けれど、確かに大切な存在だったこと。
「で、それからはアレルヤと親父と三人って訳だ」
いつの間にかベッドに寝転びながら、投げ遣りに言う。同じように寝転んで、真剣に話を聞いていたロックオンは、濃い色の双眸に何だか暗い影を落として頷いた。
「そうか……じゃあ、寂しかったな。俺にも、妹がいるからさ」
「お前にも?」
「可愛いよな、妹ってのは」
「……」
彼の、家族……。慈しむような優しい目になったロックオンを、ハレルヤは黙って見詰めていた。
その後、とっくに空になったカップをテーブルに置いて、部屋を出た。
夜になっても次の日になっても、目の前にちらついて離れなかったのは、優しく頭を撫でる…白くて綺麗なロックオンの手だった。
「止めたい?どうして」
「別に。興味がなくなったんだよ。お前一人でやりゃいいだろ。俺は降りるぜ」
二人で立てた密やかな計画。やる気がなくなったのだと伝えると、アレルヤの憂いを帯びた目は困惑に揺れた。けれど、それはほんの僅かな間だけで。
「ハレルヤ」
すぐに気を取り直したように名前を呼ぶと、ぎゅっとハレルヤの肩を捕まえた。されるがままに、アレルヤの腕に引き寄せられる。温度の低い指先が首筋をなぞり、それから手の平が後頭部を抱え込んだ。
「いいのかい、ハレルヤ。いつかロックオンも……マリーとあの人みたいに、ここを出て行くよ」
「……!!」
囁かれた妹の名前に、どく、と鼓動が跳ねた。目を見開いて息を飲むハレルヤに、アレルヤは静かに続けた。
「それでいいのかい?きみは……」
「……」
「このままじゃ……彼もいつか、ぼくらを裏切る」
ハレルヤの脳裏に、愛しそうに妹の話をするロックオンの顔が浮かんだ。どこか遠くを見ている、彼の綺麗な目。あの目は確かにハレルヤを見詰めていたのに、視線の先にあるのはハレルヤではなかった。
「だから……その前に」
彼が逃げるというなら、そう出来ないように、してしまえばいい。耳元で囁くと、以前と同じように、アレルヤはハレルヤを抱き寄せた。
―ロックオン。
綺麗で眩しくて、遠い人間みたいな彼。穏やかなあの笑顔を踏み躙って、ハレルヤの頭を撫でた白くて優しいあの手も、滅茶苦茶にしてしまえばいい。
「ああ、そうだな……」
柔らかい抱擁を受けながら、ハレルヤは低く冷たい呟きを漏らした。