2のアレ視点。
突発性運命3
「ロックオン……今いいですか」
軽くノックして呼び掛けると、目の前にあった扉はすぐに開いた。
「お、アレルヤか……。どうした」
顔を出したのは、ロックオン・ストラトス。今、アレルヤが夢中になっている人だ。
「鍵、掛けてないんですか?」
「必要ねぇだろ、家ん中で」
「でも……不用心だ」
「誰に用心しろってんだよ、お前に?ハレルヤに……?」
「いえ……そう言う、ことじゃなくて」
アレルヤが口籠もると、彼は軽く声を上げて笑った。人好きする柔らかい笑み。見詰めると、心が落ち着かない。
屋敷へ面接へやって来た彼を見たときもそうだった。何とかして、もっと話をしたい。そう思ったから、彼以外の人物を採るなんて考えられないと父親に願い出た。こんなことは初めてだった。ハレルヤさえいれば、今まではそれで良かったのに。
「で、どうしたんだ?」
「あ……」
物思いに耽るアレルヤを、優しいロックオンの声が呼び戻す。当初の目的を思い出して、アレルヤは笑顔を作った。
「これ……良かったら、あなたに着て欲しくて」
「うん?」
アレルヤが差し出したのは、白いシャツだ。目の前に翳されたそれを見ると、ロックオンは首を傾げた。何がどうしたのか、本当に解からないと言う顔に、アレルヤは何だか差し出したままの両手が恥ずかしくなった。
「プレゼント……ですよ。迷惑、ですか?」
「あ、ああ……いや、そうじゃなく」
まさか、こう言うことをされると思っていなかったのだろう。所在なさ気に差し出していた手から、ロックオンがシャツを受け取る。途端、何故か異様に胸の内が弾んだ。
「とにかく、着てみて下さい、きっと似合うと思うんです」
「い、いや、でも……こんな……」
彼は自分のことを使用人だと思っているから、簡単に受け取ってはくれない。それは解かっている。でも、彼はそんなんじゃないのだ。そんなことの為に、来て貰った訳じゃない。アレルヤは徐に手を伸ばして、彼のネクタイをそっと緩めた。
「アレルヤ……?!」
続いて、プツプツとシャツのボタンを外すと、流石にぎょっとしたように身を引き攣らせる。この前、ネクタイを直したときもそうだった。アレルヤの行動にいちいち敏感に反応するロックオンが嬉しくて、つい色々してしまいたくなる。
「おい……何して……」
「すみません……。早く、着て貰いたくて……」
「い、いや。けどさ、貰えねぇよ、こんな……高そうな……」
「そんなこと……言わないで下さい……。折角買ったのに」
「アレ、ルヤ」
あからさまに肩を落として俯くと、困惑したような声が聞こえた。
「でも、俺は一応雇われてる身だからさ、俺だけそう言うことして貰う訳に、行かないだろ」
もう既にこんな立派な部屋まで宛がってもらってるんだ。
そう言う彼に、アレルヤは深い吐息を吐き出した。本当に、こう言うところが手強いのだ。でも、こっちだって、引き下がる訳には行かない。少し考えて、アレルヤは顔を上げた。
「じゃあ、一つだけぼくの頼みを聞いて下さい。そのお礼ってことなら……受け取ってくれますか」
「あ、ああ……それなら……」
承諾を得て、アレルヤの片方の目は嬉しそうに輝いた。
「で、頼みごとってのは?」
「ええと……ハレルヤに聞いたんですけど。彼とキス、したんですよね」
「え……っ」
不躾な台詞に、ロックオンが目を見開く。一瞬でその頬が朱に染まるのを見て、アレルヤは胸の内が複雑な感情で揺れるのを感じた。
「キスってか、噛み付かれただけだぜ?それも、からかわれただけだ」
「ええ。解かっていますよ……」
そこで一端言葉を切って、アレルヤは一歩彼に向けて足を進めた。
同じ高さにある目線。じっと覗き込むと、真剣な自分の姿がその双眸に映っている。こんなものは偽りだ。だから、いつか、本当の意味で自らの手で彼に触れたい。これは、その第一歩だ。
「だから、ぼくも……あなたに触れたい」
そう言って、そっと手を差し出す。顎を指先で捉えると、彼の体はびくりと揺れた。
「アレルヤっ、おい……」
指先が軽く払われる。ハレルヤには、こんな風にされたことない。彼はいつも黙ってアレルヤを受け入れてくれる。ハレルヤとロックオンは違う。それは解かっているけれど。
小さく走った痛みと、ほんの少し触れて離れた熱は、アレルヤの胸の中を酷く掻き回した。
「そう言うのは、女の子に言えよ……俺は男だ。悪ふざけにしてもたちが良くない」
「ロックオン……」
彼の目は戸惑いに揺れている。それに、深層で恐れに近いものすら抱いているような。それは、そうだ。いきなり、キスしたいだなんて……。
自分の余裕のなさに気付くと同時に、アレルヤは落ち着きを取り戻した。傷付いた表情の変わりに、にこりとあどけない笑みを浮かべる。
「解りました……。その代わり、手を……」
「手……?」
両手を差し出すと、ロックオンは反射的に手を出した。無防備な手首を凄い力で捉えたのは、その直後、ほんの一瞬のことだった。
「あ……っ!」
ぐい、と引き寄せられ、ロックオンは驚きの声を上げた。彼の懐に飛び込み、アレルヤはそのまま強引に唇を塞いだ。
「ん、……っ……?!」
何が起きているのか咄嗟に理解出来なかったのか、彼の双眸が慌しく空を泳ぐ。それにお構いなく、アレルヤは彼の頭を抱え込み、顎を捉えて柔らかい唇に貪りついた。
「ん……っ、んぅ……っ!」
舌を捩じ込むと、ようやく我に返ったのか、彼は引き攣った声を上げ、アレルヤの体を押し返した。
「アレ……ルヤっ、お前っ……!」
「ロックオン……」
「よ……せ、アレルヤ!」
「お願いです、もう……少し……」
縋り付くような声色に、動きが止まる。その隙に再び顎を捉えて、唇を奪った。
「んっ……う……」
今度は抵抗が弱い。握り締めた手首に力を込めると、彼は腕の中で小さく身じろいだ。
「お、お前っ……!」
長いキスの後。ようやく解放すると、ロックオンはぐいと唇を拭いながら声を荒げた。心の底から謝罪するつもりなどない。アレルヤはただ穏やかな笑みを浮かべた。
「すみません……突然。でも、いつも……ハレルヤとしかしてなかったから……」
「え、あ……?」
「ぼくに触れてくれるのは、ハレルヤだけだ。ぼくが触れても怒らないのは、彼だけだ。だから、あなたにも……そうして欲しいと思って……」
「アレルヤ……え、ハレルヤとって…」
「いけませんか?家族なんだし、何も可笑しくないと思いますけど」
「あ、ああ。そう……だな……」
ハレルヤとアレルヤの関係。今は口を挟むときではないと思ったのか。言い掛けた言葉を飲み込んで、彼は小さな吐息を吐いた。
「じゃあ、これ、どうぞ」
「あ、ああ。そうだな」
先ほどまでの騒動で床に落ちたシャツを拾い上げ手渡すと、彼は戸惑った末に、結局それを受け取った。ゆっくりと、彼の腕から白いシャツの袖が抜け落ちて行く。顕になった肌は、想像していたよりずっと白くて綺麗なものだった。
思わず、無防備な背中に目を奪われた直後。アレルヤは何かに気付いたように、ぴたりと動きを止めた。
「ロックオン」
「ん、あ?何だよ」
「ハレルヤが、ぼくを探してる気がする」
「あ?何だって?」
「もしかしたら、ここに来るかも知れない」
「双子の勘か」
「ええ……。シャツのこと、ハレルヤが知ったら怒るかも知れない。ぼくはそこに隠れてますから」
「え、おい……」
言い終わらないうちに、ドカドカと不躾な足音が廊下に響いた。
ぎょっとするロックオンを尻目に、アレルヤは新しいシャツを掴んで浴室へと素早く身を隠した。その、すぐ後だった。
「おい、ロックオン!」
そんな怒鳴り声と共に、バァン!と凄い音がして扉が開いた。ハレルヤが足蹴にしたのだ。
「ハレルヤか、ノックくらいしろよ」
「うるせぇな、鍵掛けてないお前が悪いんだろ」
驚くロックオンに、ハレルヤは悪態を吐き、そしてどさりとベッドに横になった。
(ハレルヤ……)
片割れは、自分の存在に気付いていない。いつもなら、何か通じるところがあるから、気付くはずなのに。彼の勘を鈍らせているのは、この、目の前の男だ。
ハレルヤはロックオンの姿を見て、目を奪われたようにその動きを止めていた。
その後。少しだけ話をして、ロックオンが彼の頭を撫でたとき。激高したハレルヤは、ロックオンの腕を力の限り振り払って出て行った。バン!と言う音と共にしまった扉を見て肩を落とすロックオンに、アレルヤはそっと近付いて声を掛けた。
「流石ですね。ハレルヤを手懐けるなんて」
「どこがだよ、思い切り引っ叩かれただろうが」
「でも、あんなハレルヤは初めてです」
「それより……。お前、妹なんていたのか……」
「ええ、まぁ……」
「そうか、どんな……」
「止めて下さい、その話は」
言い掛けた言葉を、冷たく遮る。ハレルヤとの会話で、妹の話題が出た。それは、アレルヤにとって触れては欲しくない話だった。
「あの人たちについて、話すことなんて何もない」
「……アレルヤ」
意表を突かれたように名前を呼んだ彼は、ややして先ほどハレルヤにしたように、優しい手でアレルヤの髪に触れた。
「悪かったな、差し出がましいこと聞いて。でも……お前の、家族なんだろ」
びく、と反応を返して顔を上げると、見えたのは優しい目だった。慈愛に満ちたようなその瞳に、アレルヤは胸騒ぎを覚えた。彼が何を思ってこんな顔をしているのか、解かってしまったからだ。
「あなたの、家族は……」
「妹と、弟がいる。何より、大事だよ……」
「ロックオン……」
返って来た言葉に、アレルヤの胸はズキ、と痛んだ。このままでは、いけない。
吐き気に似た恐怖を感じて、アレルヤは自室まで一目散に走った。
―もう、止めたい。
その数日後、ハレルヤが突然言い出した。
「どうして……」
目を見開くアレルヤに、ハレルヤはどこか不貞腐れたように投げ遣りな態度を取った。
「別に。興味がなくなったんだよ。お前一人でやりゃいいだろ。俺は降りるぜ」
「ハレルヤ!」
今まで、アレルヤの意志に彼が反したことなどなかったのに。不安と困惑は、アレルヤの胸に黒い影を落とした。
「ハレルヤ」
感情の籠もらない声で名前を呼び、片割れの体を側へ抱き寄せる。そして、耳元で囁きを落とした。
「いいのかい、ハレルヤ。いつかロックオンも……マリーとあの人みたいに、ここを出て行くよ」
「……!!」
ハレルヤが息を飲み、体を硬直させるのがありありと解かる。アレルヤは尚も冷淡な調子で言葉を呟いた。
「それでいいのかい?きみは……」
「……」
「このままじゃ……彼もいつか、ぼくらを裏切る」
いつか、捨てられるんだ、また。
「だから……その前に。逃げられないように、彼を……」
効果はてき面なのだと、知っていた。案の定、少しの間の後。
「ああ、そうだな」
ハレルヤは頷き、そして冷たい声を発した。
やがて、抱き寄せたままだった体を、アレルヤはベッドへと引き倒した。逆らう力は感じられず、ハレルヤはその上に横になる。温かい肢体に圧し掛かって、アレルヤは片割れの肩をぎゅっと抱き締めた。今までは、こうしてお互いを感じていればそれで良かったのに。
「不安だよ、ハレルヤ……」
「アレルヤ……?」
肩口に顔を埋めて囁くと、ハレルヤが反応して顔を上げた。
「落ち着けよ、アレルヤ。何とか、してやる……」
「ハレルヤ……」
「お前が欲しいものは、俺が手に入れてやる」
「ぼくも、きみの為なら、何でも出来るよ、ハレルヤ」
引き裂くことだって、壊すことだって、二人なら出来る。
直後、ハレルヤは体の下にある上質のシーツを力を込めて握り締めた。小さく悲鳴のような高い音が響いて布が裂けた後、アレルヤは静かに目を閉じて、瞼の裏にロックオンの笑顔を思い浮かべた。