突発性運命4
ロックオンがこの屋敷に来て、既に一ヶ月ほどが過ぎた。
最初は戸惑うことばかりだったけれど、この独特の雰囲気にもいつの間にか慣れてしまった。噂の通り、何と言うか、とても排他的で閉ざされた空間なのだ。聞くと、使用人ももう何年も変わらず勤めている者ばかりで、新しくやって来たロックオンは彼らにとってとても物珍しい存在だったようだ。
それに、アレルヤもハレルヤも、他の者たちとは殆ど口を利かない。主人との間にさえ、会話など滅多にしない。何と言うか、確かに変わっている家だった。
けれど、未だに自分の役割はよく解からないままだ。アレルヤともハレルヤともそこそこ打ち解けることは出来たと思う。けれど、それに何の意味があるのだろうか。
危惧していた給料のことは、心配いらなかった。一瞬目を疑うほどの額を受け取ることが出来た。すぐに自分が必要な分以外はライル宛に送った。
でも。その辺りからだろうか。何だか、どうも腑に落ちない、引っ掛かることがあるのだ。
その前に、もう一つ。この家には自由に使える電話がない。驚くことに携帯電話の電波も入らない場所にあるから、外部とは本当に隔離されているようなものだ。外出も滅多に許しては貰えない。たまに用事を言いつけられても、急ぎのものだったり、門限が設けられていたり。だから、直接的に外とここを結ぶものは手紙くらいしかない。
そう、問題はその手紙だ。家を出るとき、妹のエイミーが言ったのだ。一週間に一回は、ちゃんと手紙を書くと。その手紙が一度も届いていない。金を送っても、ライルからの返事もない。何か、あったのだろうか。それが気がかりで仕方ない。
彼らも忙しいのだろうか。でも、心配だ。
ただ、一つ。病院から領収書が届いた。それは、確かにライルが金を受け取ったことの証拠だと思う。両親の為に、大金が必要なのだ。だからここへ来た。目的が果たせているのなら、これ以上思い悩むべきではないのかも知れない。
でも、一度きちんと外出を申請してみよう。彼らに会わなければ、このもやもやは消えない。
「ロックオン」
「……!」
そこまで思い巡らしたところで、背後から呼び声が掛かり、ロックオンは我に返った。
「すみません、ノックしたんですけど、返事がなかったので」
「いや、大丈夫だ……悪い」
申し訳なさそうな顔で部屋に入って来ていたのは、アレルヤだ。冷淡そうで冷ややかな外見とは裏腹に、穏やかで落ち着き払ったアレルヤ。優しい物言いと、気弱そうな一面と、それから……。
「どうしたんです、何か悩み事でも?」
「あ、ああ、いや……」
ロックオンが首を打ち振ると、彼は少し沈黙し、すぐ後に探るような声を上げた。
「もしかして、家族のこと?」
「……!何で……」
はっきりと言い当てられて息を飲む。ロックオンが目を見開くと、アレルヤは何だか寂しそうな顔で視線を逸らした。
「あなたが前に家族の話をしたときに、そう言う顔をしていたから」
「ああ、そうか……」
そう言えば、前にそんな話をした。ここへ来て、一週間かそこらの話だ。
「羨ましいですね、あなたみたいな人と家族で」
ぽつりと呟かれた言葉に、目を上げる。アレルヤの横顔は寂しそうで、それ以上に何だか危うい感じがした。
「お前には、ハレルヤがいるだろ」
「ええ……」
そう言うと、こちらを見向きもしないまま頷く。彼が見ているものの先には、何があるのだろう。ロックオンには、たまにそれが解からなくなる。
「でも……ハレルヤは、ぼくだから」
「……?」
「ぼくは、彼がいないと生きていけない。酸素がないと呼吸出来ないみたいに、彼がいないときっと、可笑しくなってしまう……」
「アレルヤ……?」
「家族というよりは、半身なんです、ハレルヤは……」
「……」
「ぼくらは、二人で一つなんです」
独り言のようなその言葉に、ロックオンは何も返すことが出来ず、黙って彼の横顔を見詰めた。
アレルヤ、穏やかで優しい彼。でも、最近、もう一つ解かったことがある。以前、彼は言っていた。ハレルヤと家族だからキスをする。別に可笑しいことではない。でも今は、それとは逆のことを言っている。
何だか、どこか危ういのだ。細い一本の糸で均衡を保っているような、そんな気がする。気のせいならそれでいい。でも、何だか目が離せなくなっていた。
「ロックオン、お願いですから、どこへも行かないで下さい」
「……何言ってんだ、行かねぇよ」
「お願いです、本当に……」
そう言って、彼は困ったように笑った。笑っているのに、何故だか泣きそうに見えて、胸が少しだけ痛んだ。
そして、ハレルヤ。双子の弟だと言う彼。ハレルヤもそうだ。たまに、怒っているのに泣きそうに見えるときがある。
この二人のことがあるから、何だか外出も申請し辛かったのだ。
静かに出て行ったアレルヤの背を見送って、ロックオンは溜息を漏らした。
何かが、少しずつ歪んで行くような気がする。一つ一つはごく些細なことなのに……。
それから、大事なことがもう一つある。
この双子は、噂通り殆ど学校に通っていない。つまりは、一日中家にいるか、ふらふらと街をほっつき歩いているかのどちらかだ。これは、全く持ってよくないことだと思う。
一度主人にそれを相談したら、きみが何とかしてくれと言われた。この父親は、彼らに興味がないのだろうか。何はともあれ、何とかしてくれと言われたなら、何とかしてやりたい。
ロックオンはまず、廊下を歩いていたハレルヤを捕まえた。
「なぁ、ハレルヤ」
「何だ」
ぎろ、と睨み付ける視線にはもう慣れてしまった。警戒心の強い野良猫のようで、好意すら持てる。ロックオンは和やかな笑顔を浮かべて彼に足を進めた。
「お前、学校は行かないのか」
「へっ、何を言い出すと思えば」
「笑うなよ、大事なことだろ」
「どーせ行っても意味ねぇんだよ、あそこには親父の息が掛かってんだ。行っても行かなくても、俺らの卒業は決まってるようなもんだ」
「へぇ、そうか」
この家の主人はただの金持ちではないのか。そこまで影響力があるとは思っていなかった。でも、それにしたって、中身のない卒業など意味がない。
「けどよ」
「うるせーなぁ、あんた。余計なお世話なんだよ」
「ハレルヤ、そう言うな。年上の言うことは聞いておくもんだぜ?」
「……ふん」
結局、言うことは聞いて貰えなかったけれど、拗ねたように言うハレルヤの声は、何だかいつも可愛いかった。
続いて、数時間後。ロックオンは今度はアレルヤの部屋へと向かった。ノックと同時に呼び掛けると、バン!と扉が開き、中からハレルヤが慌しく飛び出して来た。
「あ、ハレルヤ?」
「……!!」
ロックオンの姿を認めると、彼の目は驚愕したように見開かれ、それから逃げるように走り去ってしまった。
「おい、ハレルヤ?!」
呼び掛ける声にも耳を貸さず、ハレルヤはそのまま行ってしまった。でも、擦れ違う瞬間に、何だか妙な感じがした。上手く言えないけれど、何と言うか。
「ロックオン?」
「あ、いや」
部屋の中からアレルヤに呼ばれ、我に返る。喧嘩でもしたのだろうか。そんなことを思いながら中に足を踏み入れて、ロックオンは何故だかどきりとした。アレルヤはベッドの上にだるそうに横になっていた。いつもぴたりと着ているシャツが何だかやたらと乱れ、毛布は床に落ち、シーツもぐしゃぐしゃに乱れている。
いや、それが、何だと言うのか。ただ、室内に溢れ返った気だるい空気が、何だか居心地が悪い。
「どうかしたんですか、ロックオン」
けれど、そう言って微笑むアレルヤは、いつもと変わりない。ロックオンは懸念を打ち消して、本題に入った。
「学校に?」
「ああ、ハレルヤには、一蹴されちまったけどな。お前の言うことなら、あいつも聞くんじゃないかと思って」
「それは、そうかも知れないけど」
「無理にとは言わねぇけどさ、考えてみてくれ」
軽い口調でそう言い、ロックオンはすぐに身を翻した。水分を含んだ空気が肌に纏わり付くようで、何だか早く出て行ってしまいたかった。アレルヤの顔を、まともに見れない。
けれど、扉に手を掛けた途端、その腕がぐっと強く掴まれた。
「……!」
いつの間に、こんなに側に来ていたのだろう。熱いアレルヤの指先が絡みつき、ロックオンは無意識に体を強張らせた。
「アレ……ルヤ?」
平静を装い、背後に立つ彼に呼び掛けると、ふっと笑うような気配がした。
「ありがとうございます、ロックオン」
「え……」
「ぼくらのことをそんな風に気に掛けてくれるなんて、本当にあなただけだ…」
「アレルヤ……」
「嬉しいですよ、本当に」
言いながら、アレルヤのもう片方の手がゆっくりと持ち上がって、ロックオンの背中に触れた。
「……!」
びく、と身を揺らし、息を飲むロックオンにお構いなく、アレルヤの指先は肩甲骨の辺りに触れ、肌の下の硬い骨の感触を楽しむように動く。
「あなたの言うとおりにします。学校も、行くようにハレルヤを説得しますよ」
「……っ」
返答しようとしたのに、咄嗟に声が出なかった。何故か、金縛りにでもあったように、体が動かない。手を離せ、そう言いたいのに、声が出ない。どく、と早くなる鼓動に、ロックオンは酷く困惑した。
やがて、ゆっくりと手触りを愉しんだ後、アレルヤの指先はそっと離れて行った。
「よく、似合っていますよ」
「え……?」
「そのシャツ、ぼくがあげたのですよね」
「あ、ああ。そう……だが」
「着てくれて嬉しいですよ、ロックオン」
優しい声に、ロックオンはゆっくりと振り向いた。触れ合いそうなほど側にあったアレルヤの顔は、いつもと同じ。整っていて、穏やかで優しいのに。そのグレイの目に宿る光は、確実に不穏な色を孕んでいた。