突発性運命6
「聞いたかい、ハレルヤ」
「あ?」
「父さんが食事のとき言ってたよ。別荘に遊びに行く話」
「……」
「いよいよだね」
アレルヤの言葉に、ハレルヤは緊張するように息を吸い込んだ。でも、それは本当に微かだったので、アレルヤは気付かない。彼は少し気分が高揚し、どことなく上機嫌に見えた。
「いつなんだ、具体的には」
「来週の末みたいだよ、多分ね」
「そうかい……」
気の抜けたような返答を返すと、アレルヤの視線が探るように向けられる。
「どうしたんだい、あまり、嬉しそうじゃないね」
「……」
少し前には狂気を帯びた笑みを貼り付けて、待ち望んでいると口にした日なのに。アレルヤの問い掛けに、ハレルヤは無言のまま視線を逸らした。
苛々している。どうしようもなく。
翌日になっても、ハレルヤは落ち着かない気分だった。アレルヤには、原因が解かっているはずだ。敢えて知らない振りをしているのか、ハレルヤを試しているのか。
でも、自分だってアレルヤの望みは叶えてやりたい。彼を満たしてやりたい。いつも、ハレルヤの目的はそれだった。アレルヤ以外望まなかったから、いつだってそうしてやりたかった。
でも、少し前から胸がざわざわして気に入らない。不快で堪らないのに、無茶苦茶にしてしまうことも出来ない。ハレルヤにだって、十分に解かっている。この苛々の原因は…。
「よう、ハレルヤ」
「……!」
ガタン!と音がして扉が開き、ハレルヤは驚いて背後を振り返った。目の前には、柔らかい笑みを浮かべたロックオンの姿がある。
そうだ、彼だ。彼が、全ての原因と言ってもいい。
ハレルヤは目つきを鋭くし、彼を睨み付けた。
「何の用だ、勝手に入ってくんな」
「そんなことより、またお前学校サボりやがったな」
お説教でもするように頭を人差し指で小突かれて、ハレルヤは触れた指先の感触にハッとして息を飲んだ。
「俺の、勝手だろうが」
動揺を隠して、低い声で吐き捨てる。そして強く拳を握り締めると、殊更不機嫌な声を発した。
「出てけよ。今日は勉強なんかする気分じゃねぇんだ」
「ハレルヤ……」
「出てけって行ってんだろ!また……噛み付かれてぇのか?」
ぎらりと金色の目に殺気のようなものを宿して、ハレルヤは凄んだ。怒鳴り声は荒っぽく、人を凄ませるには十分なものだったのに。ロックオンはさして動じた様子もなく、ただ少し困ったように笑っただけだった。
「別にいいぜ……。怖くなんかねぇからな」
「何、だと……?」
「いつもしてんだろ、アレルヤと……」
「……っ!!」
アレルヤの名前に、ロックオンの口から告げられた言葉に、ハレルヤの鼓動は凄い勢いで跳ね上がった。
今、彼は何と言ったのだろう。
アレルヤと、している。
その台詞に、頭の中が一瞬で真っ白になってしまったる。どくどくと心臓の音が大きくなり、呼吸が乱れる。
「よく解らねぇが……お前たちにとっちゃ挨拶みたいなもんなんだろ、だから……」
「……っ!」
直後、こちらに向けて伸ばされた白い手を、ハレルヤは思い切りよく振り払った。以前にそうしたときよりもずっと強く、容赦ない力を込めて、ロックオンの手を拒絶した。
「おい、ハレルヤ?」
「……出て行けよ」
「ハレルヤ……?」
「いいから、出て行きやがれ!!」
今までにないくらい、ありったけの怒号を浴びせると、少しの間の後、何か言いたそうな顔をしたけれど、彼は黙って部屋を出て行った。
「くそったれ!!」
テーブルの上にあるものも、戸棚に飾ってあるものも、ハレルヤは目に触れるものを手当たり次第に床にぶちまけた。こんなことをしても気が晴れる訳ではないのは解かっていたけれど、どうしようもない。
何をこんなに苛々しているのか、あの男の言葉が何だと言うのか。明確に説明出来る者がいるなら、して欲しい。
きっと、彼は軽い気持ちで言ったのだ。ハレルヤとアレルヤがかわしている密かな行為になど気付かず、ただ、キスのことだけ。でも、彼の口からそれを言われてどうしようもなく激昂してしまった。
ありったけのものを床に投げつけ、もう何もなくなると、ハレルヤは力尽きたようにベッドに突っ伏した。
手にしたシーツに力を込めると、それは簡単に裂けてしまった。こう言う風に、こんな風に簡単に破れてしまう布切れみたいに扱えれば良かったのに。そうしたら、アレルヤにあげることが出来たのに。
でも。アレルヤを裏切るなんて、ハレルヤには出来ない。ただ、ロックオン。彼には、彼にだけは、知られたくなかった。アレルヤとのことを。
「何だってんだ、くそ」
小さく呟いて、何気なく床の上に目をやる。粉々に散らばったグラスや花瓶、ロックオンと一緒に使った参考書などが無残に散乱している。
「……?」
そんな中、ハレルヤの目はある一点に留まった後、驚愕に見開かれた。弾かれたようにベッドから身を起こし、グラスの下敷きになっている写真立てを拾い上げる。
「これ、は……」
呆然と呟いたハレルヤの声は、内心の動揺を押し隠せないように大きく震えていた。
「ハレルヤ?どうしたんだい」
夕方。学校から帰ったアレルヤは、部屋の惨状を見て目を見開いた。
「滅茶苦茶じゃないか、何かあった?」
「いいや……」
「いいやって、そんなはずないじゃないか」
「……むしゃくしゃしてただけだ、後で、片付ける」
どうでも良さそうに吐き捨てると、アレルヤはふうっと溜息を吐き出した。
「どうしたんだい、きみらしくない」
「……何でもねぇよ」
探るような声に、首を横に振る。けれど、次に耳に飛び込んで来た台詞に、どきりと鼓動が跳ねた。
「ロックオンに、何かしたのかい」
「……!」
「来週まで、待てなかった?」
「そんなんじゃ、ねぇ」
「なら、いいけど。それより、ハレルヤ、手紙のこと……」
言いながら、アレルヤはそっとハレルヤに向けて手を伸ばした。
きっと、いつもしているように、肩を抱き寄せようとしたのか、頬を撫でようとでもしたのか。けれど、その指先が触れる直前に、ハレルヤはハッとしたように顔を上げ、思い切り声を荒げていた。
「さ、わんな!!」
「……?!」
突然の拒絶に驚いて、アレルヤがグレイの目を驚いたように見開く。数秒して、ハレルヤも我に返ったように息を詰めた。
「あ……」
「ハレルヤ?」
探るような声に、ハレルヤは視線を伏せ、低い声で謝罪の言葉を吐き出した。
「……っ、悪い……アレルヤ」
「……」
「…悪かったよ…」
「ハレルヤ…」
呟いたきり、アレルヤはそれ以上何も言わなかった。彼のことだ。きっと、解かっているのだろう。ハレルヤの中の変化と戸惑いに。
何かが…可笑しくなりだしている。そして、このままではきっと…元には戻らない。ハレルヤは金の瞳に暗く影を落とした。駄目だ。解かっている。早く、早くしなければ。
することは決まっていた。アレルヤ。彼を裏切れるはずは、ないのだから。
その翌週。
家の主人たちは使用人の殆どを連れて別荘へと発った。残されたのは、アレルヤとハレルヤと、ロックオン。そして僅かな使用人だけだった。だだっ広い屋敷の中は静まり返って、いつにも増して重々しく鬱蒼とした雰囲気だった。
誰もいない廊下を見詰め、ハレルヤの胸の中は重く苦いもので溢れた。そうしていつもより静かな夜が更けて、ハレルヤはベッドの中で眠れないまま朝を迎えた。
その日は、朝から冷たい雨が降っていた。
黙って窓の外をぼんやりと見ていたハレルヤの背中に、アレルヤの呼び声が掛かる。
「ハレルヤ」
「……」
振り向こうとせず、雨音に聞き入っているハレルヤに、彼が足を進めてくる。耳元に唇が寄せられ、彼の穏やかな声が聞こえた。
「今晩だよ、ハレルヤ。解かってるよね」
「……ああ」
「ぼくが帰るまで、何もしないでね」
「……」
ハレルヤの返事を待たず、アレルヤはそっと踵を返した。
少しずつ遠ざかる片割れの足音を聞きながら、ハレルヤはいつか見せた、残酷な光を金色の目に浮かべた。