23話後。回想。

雄弁な沈黙者




「デュナメスを確認。トレミーへの帰還ルートに入りました」

ホッとしたようなフェルトの声が聞こえて、アレルヤはキュリオスのコックピットで胸を撫で下ろした。
でも、戻って来たデュナメスには、パイロットが乗っていなかった。
皆が彼を思って泣いている中、アレルヤは一人メットを脱いで、無言のまま長い通路を飛んだ。

「泣いてるのかい、ハレルヤ…」

自室に着くと、憂いを湛えた声で静かに呟きを漏らす。
肯定も否定の声もしなかったけれど、もう一人の自分のことだ。
間違えようもないし、理由だって解かる。

「ロックオン…」

あの人のことに、決まっている。

「彼は…仲間だからね」

そう言うと、違うだろ、強がるな―そんな声が頭の中に響いた。
アレルヤにハレルヤのことが解かるように、彼にも自分のことが解かってしまうのだろう。
言い当てられて、アレルヤは口元を歪めた。

「ああ、そうだよ、ハレルヤ…。彼が、好きだよ」

口にした途端、アレルヤの脳裏に、いつだか交わした会話が鮮明に浮かび上がって来た。



どっちの部屋だったのか、よく覚えていない。
ハロがいなかったから、アレルヤの部屋だっただろうか。
お互い夢中で体を重ね合った後、部屋を出る直前になって、彼は不可解なことを言い出した。

「なぁ、アレルヤ。もし俺に何かあったら」
「ロックオン?何…」
「もしもの話だ。聞いておけ。そんときはさ…俺のことなんて、あっさり忘れて欲しいんだ」

何を言っているんだ、この人は。
最初に思ったのはそれだった。
先ほどまで抱き合って温もりを確かめて、好きだと言ったその唇で、何を言い出すのか。
不可解な気持ちは、アレルヤの中でやがて苛立ちに変わった。

「それ、どう言う意味ですか?」
「そのままの意味だ。お前は、まだ何も知らないから」
「訳が解からないですよ、いきなりそんなこと、言われても…」
「アレルヤ…」
「知らないと言うなら、教えて下さい」

離れて行った温もりを捕まえて、無理矢理ベッドに引き戻す。
腕の中に閉じ込めると、彼は優しい笑みを浮かべた。
綺麗な顔だ。綺麗過ぎて、今にも消えてしまいそうな。
アレルヤは何だか言いようのない不安に駆られ、ロックオンの腕を強く掴んだ。

「俺は…お前に同じ思いをして欲しくないんだ」
「……?」
「子供の頃、俺は幸せだった。でも、それは急に崩れてなくなってしまった。その気持ちは、正直、今でもどうして良いか解からないくらい、辛い」
「ロックオン…」
「苦しくて痛くて、怒りで手が震える。自分がなくなってしまいそうになる」
「……」
「戦争根絶なんて、そんな活動をしている俺たちだ。何があるか解からない。もしそうなったとき、俺はお前に…昔の俺のように悲しんで欲しくない」
「ロックオン、何を言ってるのか、解からない」

本当に、彼が何を言いたいのか、アレルヤには解からなかった。
ただ、何だか急に拒絶されたような気になって、彼が遠い人のように思えて、眉を顰めた。
途端、優しい手が持ち上がって頬を撫でる。

「お前は、愛情を知らないと言った。俺はお前に愛情を与えてやりたいと思った。でもな、それを失う苦しみは、味わせたくないんだよ…」
「だからって、忘れろだなんて、そんなの…勝手だ」
「ああ、そうだよ。俺は、勝手な男なんだ」
「ロックオン」
「でも、お前が好きだ。だから…そう思うのは間違ってるか」
「解からない、そんなこと。でも、ぼくだってあなたが好きだ。あなたに何かあったとき、あなたの為に一生苦しめとは…言ってくれないんですか?」

問うと言うよりは、懇願に近かったと思う。
ぎゅっと彼の腕を掴んでいた指先は、いつの間にかがたがたと震え出して、頬には幾つも涙が伝っていた。
落ちた涙が彼の頬に降り掛かると、ロックオンは深い色の双眸を見開いた。

「怖いこと、言うな」
「怖いって…何が」
「俺なんか忘れて、幸せになれよ、アレルヤ」

―今、幸せだ。それだけじゃいけないのか。

言葉にならなくて、アレルヤは口を噤んだ。
代わりに、吐息のような小さな彼の声が聞こえる。

「怖いんだよ、アレルヤ。俺は、自分の怒りを止められないかも知れない。そうなったとき、お前のことが…さ」

最後は言葉を濁して、ロックオンは黙り込んでしまった。
自分を止められなくなる。
そんな風になる彼を、一度だけ見た。
あの砂浜で、ティエリアに対して逆上したとき。
あれは、確か無差別テロの話をしていたときだ。
いつもなら諍いが起きても仲裁するのは彼だったし、周りに常に気を配りフォローしているのも彼だった。
だから、本当に驚いた。

(テロ、か…)

ロックオンの幸せだった時間を奪ったのは、テロなのだろうか。
でも、それ以上聞くことは何だか出来なかった。
その代わり、アレルヤはゆっくりと頭の中で思い巡らした考えを慎重に口にした。

「でも、ぼくは…それでもいい」
「アレルヤ…」
「もう、手遅れですよ。ぼくはあなたに何があっても、あなたのことを忘れないし、きっと死ぬほど苦しむし、泣くと思います」
「……」
「でも、あなたが好きだと言ってくれて嬉しかった。今までそんな風に思ったことも思われたこともなかった。だから、ぼくは……」
「解かったよ、もういい…」
「ロックオン」
「もういいさ、アレルヤ…」

―もう、忘れろなんて言わない。

消え入りそうな声で言って、ロックオンは手の平で目を覆った。
泣いているのだと解かったのは、彼の喉が小さく震え、微かに漏れた嗚咽が耳に届いたからだ。
何かがロックオンの中で解けてなくなり、彼はその後もひたすら声を殺して子供のように泣いていた。
どうして良いか解からなくて、アレルヤは何度も彼にキスをした。
返って来る反応は温かく優しくて、いつものロックオンだった。
そのとき、何故か妙な愉悦に襲われたのを覚えている。
確かに、彼を手に入れたとでも言うような…。



―なぁ、アレルヤ、お前は泣かねぇのかよ。

ハレルヤの声が再び聞こえて、アレルヤは回想から引き戻された。
ゆっくりと顔を上げて、自身の分身に答えを返す。

「ああ…。ぼくは泣かないよ、ハレルヤ」

あのとき、彼の思いを知ることが出来た。
だから、勝手にいなくなってしまったあの人が、何を考えていたのか、解かりたいと思う。
それに、彼がどれだけ強く世界を変えたがっていたか、知ってる。
だからあの人はいつも強く迷いもなく、弱味も見せずにいた。
でも、彼の強固な意志を唯一狂わせる存在があったことも、それに怯えていたことも、教えてくれた。
だから、彼が望んでいた戦争なんかない世界を…彼を狂わせた存在もなくなって、テロもない世界を。
それを見るまでは、戦う。
でも、もし。それが実現したら。

(ロックオン…ぼくは…)

恨み言の一つでも、言って構わないよね?
それから、彼にまだ好きだと告げて…。
彼が帰って来るのを、飽きるほど待とう。
涙が枯れるまで泣くのは、それからでいい。