必然の偶然




手の中で遊ばせていた酒のボトルを無造作に放り投げると、ロックオンは深い溜息を吐いた。先ほどから、幾ら飲んでも一向に酔えない。
これと言った理由がある訳ではないが、たまに、心の中に燻った憎しみや弱さが色濃く現れて、どうしようもない夜がある。
今ほどミッションがないことを呪ったことはない。体を動かさずにいると、不安は膨らむばかりだ。
目を閉じると浮かび上がって来たのは、穏やかな笑みを湛えたアレルヤの顔だった。



「どうしたんですか、こんな時間に」

ロックオンの顔を見ると、アレルヤは意表を突かれたように目を見開いた。

「遅くに悪いな。もう休んでたのか」
「いえ、大丈夫ですよ」

アレルヤがいつものように笑顔を浮かべる。どこかホッとするような顔だ。

「ちょっとさ、昼間貸した本が急に気になって…」
「え、ああ…」

用意していた適当な用件を述べると、アレルヤは何の疑いもなく頷いた。
今まで読んでいたのだろうか。枕元にあった本を手に取って、ロックオンの方へ差し出した。

「悪いな、すぐ返す」
「ええ、いいですよ。気にしないで」

本を手に取り、背を向けようとした、瞬間。
ぐっと、強く腕が捕まれ、ロックオンは驚いて身を硬くした。受け取ったばかりの本が手から落ちる。

「アレルヤ?」
「手袋、してないんですか、今日は」
「え、ああ……これから、寝ようと思ってたし、…って、アレルヤ?」

掴まれた部分から熱が伝わり、胸の内が不穏に揺れる。
いや、そんなことよりも、何だか彼の雰囲気が可笑しい。
息を飲んで目を見開くと、続いて低い声が響いた。

「ロックオン・ストラトス…」
「……?!」

感じ取った異変に、思わず手を振り解いて身構える。
大きく見開いた双眸に映し出されたのは、確かにアレルヤであるのに、そうではなかった。



「どうした、間抜けな顔して。ロックオン、だろ」

徐に伸ばされた手にびくりと身構える。
けれど、それがアレルヤの容を成しているせいか、反応するのが遅れた。
その隙に近付いた手が、ぱし、と軽い音を立てて頬を打った。

「なに、を……」
「弱ってる顔だ」
「……っ」
「疲れてぼろぼろで、誰かに縋り付きたいって顔してるぜ。見てると、イラつくなぁ、最高に」

ハハっと短く笑い声を上げ、彼はそのままロックオンの頬を手の平の反対側で撫で続けた。

「可哀想にな、アレルヤは鈍いんだ。優しいだけのあいつに、何を期待してたか知らねぇが、お門違いだよ」
「そう言うつもりじゃないさ、ええと……」
「ハレルヤだ」
「ハレルヤ……か」

聞いてはいる。アレルヤの奥に眠る、もう一つの人格。これが、ハレルヤ。
見透かすような彼の言葉に、ロックオンは不快そうに眉根を寄せた。
けれど、この部屋を訪れたとき、無意識に何かを期待していたのかも知れない。
アレルヤに何か優しい言葉を掛けて、ただ自分が気を紛らわしたかっただけか。あるいは、単に彼の憂いを帯びた目に見詰められたかっただけか。
けれど、過大に何かを望んでいたつもりは毛頭ない。

「ハレルヤ。いくら俺が弱っていたって、甘え方を間違うと、とんでもない目に遭うことくらい解かってる。何も解決出来ず、お互い後味の悪い思いをして終わりだ。アレルヤに求めたりしないさ、そんなことは」
「ふん……」

鼻先で笑い、ハレルヤはそっと頬から手を離した。

「けどなぁ…今の俺はアレルヤじゃねぇ。利害が一致した場合なら、話は別だ。違うかい?」
「…どう言う意味だ」
「お前は、嫌なことを忘れたいんだろ、俺は、退屈しのぎがしたい」

そう言って唇の端を吊り上げたハレルヤは、至って上機嫌に見えた。
何がそんなに楽しいのだろう。凶暴性があるとは聞いていたけれど、これは…。
どこかネジが飛んでいるようには見えるが、言っていることはあまりにまともだった。

「精神的に寄り掛かろうなんて思うなよ。ただ、俺が全部吹っ飛ばして何も考えられなくしてやっからさ」
「何、だって」
「おいおい、やることなんて決まってんだろ?」
「アレルヤ…!」
「何だよ、その顔は?一番手っ取り早いだろうが」
「……っ」
「何も考えられないくらい、滅茶苦茶に善がらせてやるよ」

挑発めいた台詞を吐き、ハレルヤはロックオンに手を差し出した。
酒にも酔えない。だからと言って、縋り付いて甘える存在もいない。それなら、直接熱を感じて、何もかも払拭するしかない。実際、地上にいる間にそう言う行為をしたこともある。
覚えのある、振り払えない誘惑の言葉に、ロックオンはごくりと喉を上下させた。目の前に差し出された魅力的な肉体に、ロックオンの思考は痺れ、理性は上手く働かなくなっていた。
先ほど頬を撫でた冷たい指先が…今目の前に差し出された手が、自分を癒してくれる唯一の希望のように思えた。
気付くと、足は勝手に一歩を踏み出し、彼の懐へと飛び込んでいた。

「アレルヤ…」
「違う、ハレルヤだ」
「ああ、ハレルヤ」

呟くように彼の名前を復唱し、ロックオンは差し出された凶暴な手を取った。

「お綺麗な手だ。俺と同じで血に濡れた…」

触れ合った指が卑猥に絡むと、ハレルヤは愉悦を含んだ声を上げた。



「で、どうする。まぁ、俺は組み敷かれるなんてごめんだが」
「やれやれ、俺に選択肢はなしかよ」

肩を竦めてみせながらも、何となく、始めからそんな気はしていた。
今、この男のせいで妙に被虐心が加速している。どうか、している。
しかも、肉体はアレルヤのものだ。解かっているけれど、もう歯止めが利かない。

「いいぜ、ハレルヤ。お前の好きにしな」

ロックオンが言うと、ハレルヤは口元を歪めて微笑み、髪を掴んで乱暴に顔を引き寄せた。
ゆっくりと触れて来た薄い舌がロックオンの唇を猫のように舐める。
触れては離れる濡れた舌の感触。すぐに物足りなくなり、無理矢理それを絡め取って口内に招き入れると、それからは糸が切れたように夢中で唇を重ね合った。



「お前のことは、嫌いじゃねえなぁ……」
「……?」

ベッドに組み敷いて上に圧し掛かりながら、不意にハレルヤがぽつりと言った。
何か言おうとした声が、肌に走る痛みで遮られる。
白い肌にところ構わず噛み付き、喉を震わせるロックオンの反応を愉しみながら、彼は続けた。

「いつか、滅茶苦茶にしてやりてぇよ」

物騒な台詞に、ロックオンは余裕のない笑みを浮かべた。

「いつかな……。出来れば今は、丁寧にやってくれよ」
「ああ、いいぜ。それなりに……」

行為の火蓋を切って落とすように、ハレルヤは酷く高揚した声で囁き、ぐっとロックオンの体を奥まで貫いた。

「くっ、う、…は!」

深く乱暴に突き上げられ、咆哮に似た声が引っ切り無しに上がる。
ハレルヤは容赦などしなかった。思いのままに煽られた欲望をロックオンに叩き付け、捕まえた腰を荒く揺さ振る。意識が霞むほど強い痛みと快楽に、ロックオンはひたすら身を委ねて溺れていた。
けれど、こちらの反応が気になるのか、それとも加虐心を満たしたいだけか。ハレルヤは時折動きを止め、じわじわと嬲るような愛撫を加えた。
荒っぽい仕草でも、昂ぶりきった体では容易に反応してしまう。更なる刺激を求めて、ロックオンは無意識に強請るような声を上げた。

「ハレ、ルヤ…っ」
「ああ…心配いらねぇ。これから、もっとしてやるよ」
「ん、ん……っ!!」

満足したように再開される律動を受け入れて、四肢が引き攣る。敏感な場所を擦り上げられ、喉を鳴らして声を上げる。左右に開かれた白い足を限界まで押し広げ、ハレルヤは奥まで繋がりを深める。
そうして何度目になるか、再び中へ熱いものが注ぎ込まれる頃には、ハレルヤが言った通り、余計な感傷などは全て吹き飛んでしまった。



目が覚めたとき、真っ先に考えたのはアレルヤのことだった。

「う、アレ、ルヤ…?」

何も考えずに名前を呼ぶと、降って来た声は先ほどと変わらない、ハレルヤのものだった。

「いつまで寝てやがる、いい加減あいつも起きちまうぜ」
「あ、ああ…悪いな」

その言葉にホッとしつつ、気だるい手足に鞭打って起き上がり、衣服を整える。
喉が痛み、発した声は掠れていた。我ながら、少し羽目を外し過ぎた。
敢えて言うなら、この男のせいだ。

「ハレルヤ、このことをアレルヤには…」
「心配すんな、言わねえよ。アレルヤのヤツは、俺が守ってやんないとな」
「そうか…そうだな」

ふざけた物言いだったが、信頼出来る。何故かそう思った。

「まぁ、俺はアレルヤで手一杯だ。けど…お前に何かあったときも…徹底的に暴れてやるよ」

今日の誼みでな。そう言って楽しそうに笑うハレルヤに、ロックオンはそっと肩を竦めた。

「頼もしいことだ、ハレルヤ…」

独り言のように呟きを漏らすと、ロックオンはふらつく足を引き摺って、自室へと戻った。