ロク視点。

Pathos3(A)




―あなたが好きですよ、ロックオン。

耳元で囁くアレルヤの声を思い出して、ロックオンはハッとしたように顔を上げた。
慌てて辺りを見回したけれど、誰もいない。当然だ。ここは自室で、扉には鍵が掛かっていて、誰も出入り出来ない。
ハァ…と安堵の息を吐き出すと、ロックオンは頭を抱えた。

最近、いつもこうだ。アレルヤ・ハプティズム。彼との関係が、何と言うか、まずいことになっている。どうにかしなくてはいけない。そんなことは解かっている。この前も修復を試みて、見事に失敗したのだ。手を引かれ、部屋に連れ込まれ、二度目の関係に及んでしまった。無茶苦茶に突き上げられて、意識が遠退く中、さっき聞こえた囁きと同じことを告げられた。前のときもそうだった。あんなことをしながら、彼はロックオンのことが好きだと言う。真っ直ぐで悲しそうな目に見詰められて、熱い手で触れられると、抵抗出来なくなってしまう。もっとはっきりと、強く拒絶しなくてはいけなかったのに。それが、どうしても出来ない。
いや、駄目だ。やはり、拒絶しなくてはいけない。改めて思い直して、ロックオンは首を横に打ち振った。

始まりは、考えなくても解かっている。少し前の、あの日だ。彼の凍り付いたような目が、忘れられない。失敗したのだ。牽制するつもりが、引き金を引いてしまっただけだった。
アレルヤが、何となく自分に対して好意を持っているのは解かっていた。最初は勿論、ただ親しみを抱いているだけだと思ったけれど。徐々にそれが変化して行っていることに、気付いてしまった。変化と言うより、進化だろうか。たまに、熱の籠もった目に見詰められたり、彼の口調にそう言った感情を汲み取ることが出来たり。どうして、よりによって自分などに。アレルヤのことをどう思っているかなど、問題ではない。それ以前の話だ。自分には、あんな真っ直ぐな目を正面から受け止めてやることなど、出来ない。だから、どうにかして逸らしてしまえればと、そう思っていた。
―俺なんか止めた方がいい。
頭の中に浮かんだのはその言葉だけだった。

それで、何かの拍子に二人きりになったときだろうか。

「あの、ロックオン」

ずっと何かを思い悩んでいたアレルヤは、不意に顔を上げて、決心したように口を開いた。けれど、彼がその思いを口にする前に、ロックオンは先手を打った。からかうような笑みを浮かべて、揶揄の言葉を吐く。

「何だ、そんな真面目な顔して。恋の相談でもあんのか?俺で良けりゃ協力するぜ」
「い、え…、そんな…」

息を飲んだアレルヤは、ハッとしたように目を見開き、言葉を濁した。みるみる傷付いたように表情が曇る。そして視線を伏せ、発した言葉は暗く沈んでいた。

「あなたには、誰か、思う人でもいるんですか」
「ああ…」

戸惑うことなく頷く。本当は、今そんな人物などいない。でも、アレルヤの抱いている仄かな気持ちを消し去ってしまおう思ったからだ。

「大事、なんですか、その人のこと」
「ああ、そうだな」
「そう、ですか」

どこか気の抜けたような声でアレルヤは言い、そしてそのまま身を翻した。去っていく背中に、少しだけ申し訳ない気持ちになったけれど、それ以上の感慨はないはずだった。それで、諦めてくれると思った。きっと、まだ淡い感情。でも、そうじゃなかった。アレルヤの根底にある激しさに気付けなかった。
そして、彼が思い詰めたような顔で部屋にやって来たときも、安易に中に入れた。それが彼の衝動を煽ってしまったのだと思う。自分にも責任はある。だから、何とかして止めさせようとしたのに。アレルヤの腕は強く、ロックオンは逃れることが出来なかった。彼の熱があまりに強くて、拒絶の言葉が出て来なかった。穏やかなのに、有無を言わさない。強く拒絶することを、何故か躊躇させるような。
でも、こんなこと、止めるべきだ。これ以上続けていても、アレルヤを傷付けるだけだ。それに。今更、止めさせる以外他にどうしろと言うのか。

今日も。ブリーフィングルームで解散し、自室に戻る途中、側に寄って来たアレルヤに不躾に腕を取られた。

「ロックオン」

耳元で囁かれ、体が緊張するのを、息を吐き出してやり過ごす。

「悪いな、急いでるんだ」

逃れるように身を捩ると、更に強く腕が掴まれた。

「待って下さい、何か用事でも?」
「いちいちお前に言わなくちゃいけねぇのか」

素っ気無く言い捨てた途端、彼の雰囲気が強張るのが解かった。直後、体が引かれ、近くにあった部屋に押し込まれる。

「おい、アレル…」

抗う間もなく、壁に押し付けられ、唇を塞がれる。

「んっ…、止めろ、アレルヤ!」

渾身の力を込めて彼の体を引き剥がし、ロックオンは眉を顰めた。

「これ以上はよせ。いくらお前でも、許さねぇ」

腕を捕らえた熱い手を振り払い、距離を取る。それなのに、彼は意に介した様子もなく、再びロックオンの腕を捕まえて、強引に唇を塞いだ。

「ん…!う…っ」

驚きのあまり、咄嗟に抵抗を忘れる。彼の体は熱くて、ぴたりと合わせられた屈強な胸板に、ロックオンは無意識に体が竦むのを感じた。
濡れた舌が歯列をなぞって口内へ侵入して、ようやく我に返る。

「アレルヤ!」

ハッとして、先ほどよりも強い力で彼を押し退け、ロックオンは怒鳴り声を上げた。
非難と怒りの籠もった声。今まで、こんな風に彼の名を呼んだことも、ここまで声を荒げたこともない。
なのに。あろうことか、彼は唇を嘲るように緩めただけだった。

「そんな顔したって、怖くない」
「え……?」
「怖がってるのは、あなたの方だ」
「……!!」

射抜くような台詞に、びくっと体が強張った。
そんなはずない。そんなはず。

「ち、がう、そうじゃない」

首を打ち振ると、彼はますますその口元を緩めた。

「じゃあ、どうなんです」
「…っ、アレルヤ!」

首筋に唇を寄せられ、生温い感触に肌が粟立つ。ぞくりと震えが走って、ロックオンは彼の腕の中でもがいた。

「もう、よせ!お前だって解かってるだろ。こんなことしても、何にもならねぇって」
「……そうでしょうか」
「……アレ、ルヤ?」

感情の籠もらない声で告げ、持ち上がったアレルヤの指先が胸元に触れる。そのまま、ラインを確かめるように下へと降りる。腰の辺りを撫でる手に、無意識に四肢が強張る。
何を。何を言おうとしているのだろう。双眸を見開き、息を飲んで見守る中、くす、と軽く笑みを零したアレルヤはゆっくりと唇を開いた。

「少なくとも…ぼくに何度も抱かれてるこんな体で、誰かに触れることは出来ないんじゃないですか」
「な……っ」

あまりの言葉に、一瞬呼吸が止まった。

「アレルヤ!」

非難の籠もった呼び声にも、彼は動じない。

「言ったでしょう?怖くなんか、ないって」
「お、前…っ!」

目を見開いた途端、体が引かれて、ベッドの上に勢い良く放り出された。そのままアレルヤの肢体が上に圧し掛かって押さえ込む。

「ん、……んぅ」

ぐっと、強く唇を塞がれて、思わず息が止まった。もがく腕が取られて、強くベッドに押さえ付けられる。

「白い腕だ」
「アレルヤ…っ?」
「ぼくより華奢で、折れてしまいそうですね、簡単に」
「お、前……!」
「力を、抜いて下さい」
「……っ!」

ぎり、と力を込められて、ロックオンの双眸には恐怖の色が走った。



「何で…こんなことを…」

荒く吐き出される呼吸の合間に、生気の抜けたような声を発した。幾度か繰り返される行為に、指先は力を失いベッドに無造作に投げ出されていた。それに、慣らされてしまった体は勝手に快楽を感じ取ってロックオンの肢体を翻弄する。抗う力も気力も奪われ、それでもまだどこまでも自分を貪ろうとするアレルヤへの純粋な問い掛けに、彼は顔を上げ、視線をこちらに向けた。

「最初に…言いましたよね」
「……?」
「あなたが誰のものにもならなければ、それで良かったって」
「あ……っ」

繋がりを深くされ、喉が鳴る。足を割り開かれ、大きく見開いた目に、アレルヤの穏やかな表情が映し出された。

「そう言うことですよ、ロックオン」
「……アレルヤ、俺はっ!」

違う、と叫ぶ代わりに咄嗟に呼び声を上げた。鋭い声色に、アレルヤの動きが一瞬止まる。
どことなく虚ろだった目に探るような色が現れ、彼は僅かに首を傾げた。

「何ですか、ロックオン」
「あ……、いや」
「……?」
「何でも、ねぇ」
「…そうですか」

そこで、何故言葉を飲み込んだのか、自分でも解からない。
ようやく誤解を解く、チャンスだったのに。アレルヤが、耳を傾けようとしていたのに。
胸の中がじくりと疼く。同時に、急激に引きずり出された感情に気付いて息を詰めた。

(もしかして…俺は…)

アレルヤに組み敷かれて抱かれながら、胸中にどっと湧き上がった感情に溺れそうになり、ロックオンはきつく目を閉じた。



あれは、一時的な感情の昂ぶりが生み出した偽のものだろうか。
けれど、翌日になっても胸に溢れる感情は収まらなかった。寧ろ、アレルヤのことを考える度、あの熱い腕を思い出す度、それはますます強くなる。確かめたい。もう一度彼に抱かれれば、きっと解かるに違いない。
ロックオンは唇を噛み締めた。どんな状況であれ、まさか、そんなことを望むなんて。いつの間にか、飲み込まれてしまったのかも知れない。彼のあの、穏やかな目の奥にある静かな激しさに。

待ち侘びるまでもなく、その機会はすぐに訪れた。二日と日を空けず、アレルヤはロックオンの元へとやって来たからだ。

「ロックオン、ぼくの部屋に」

耳元で囁かれて腕を取られ、ぞくりと痺れが走った。絡み付くアレルヤの指先に、鼓動が早まる。ごく、と喉が鳴るのを彼に悟られないように、ロックオンは顔を伏せた。
何を…大人しくされるままになっているのか。今日こそ、言えばいい。
アレルヤは思い違いをしている。早く、あれは誤解なんだとさっさと伝えればいい。なのに、出来ない。
彼に抱かれるまでもない、もう、はっきりと解かっていることだった。

部屋に着くなり唇を塞がれ、体を弄られる。

「んっ、…ん」

熱い手に触れられ、じわりと芯が疼く。

「本当に、感じやすいですね、あなたは」
「んっ、……ぅ」

いつもはひたすら穏やかで優しい言葉しか紡がないアレルヤの唇が、猥らな言葉を吐き、ロックオンを揶揄しながら、そして暴いていく。こんな屈辱はさっさと終わらせてしまえばいいのに、出来ない理由など、一つしかない。

「アレルヤ……」

けれど、呼び声以外の言葉は喉の奥に飲み込んで決して口にしない。
このまま黙っていれば、彼はきっと自分から離れない。歪んだ思いに縛られたまま、きっと、もう離れられない。
そして、自分はそれを望んでいる。そのことに、気付いてしまった。
口にしない限り、彼はきっとこうするのを止めない。
なら、このまま…このままでいい。

「ロックオン、あなたは…ぼくのものだ」

優しい声に呼ばれ、いつもと同じように囁かれ。
抗う代わりに、ロックオンはただ強く彼の背に腕を回し、胸中でそっと応えを漏らした。
―お前だって、そうだ。
お前だって、もう俺のものなんだ。アレルヤ…。