Pathos(L)2




誰かを好きになって体を重ねるなんてことは、まだ曖昧にしか考えていなかった。今までの過去を考えればそんな余裕もないし、ミッションをそつなくこなすことだけで頭の中はいっぱいだった。
ただ、少しだけ。見ていると安心するような、胸の奥が温かくなるような、そんな気持ちを抱き始めていたのは確かだ。それは、自分の中に余裕が出て来た証拠だったんだろうか。淡くてまだ小さいものだったけれど、それはアレルヤにとって心地良い感情だった。

でも、そんな仄かな感情は、あの晩に粉々に壊れてしまった。
今、目下に横たわっている人物のせいだ。少し長めの明るい茶色の髪の毛に、深い色の双眸。ロックオン、ロックオン・ストラトスだ。
彼と、酔って体の関係を持ってしまってから、アレルヤはどうにも落ち着かない気持ちを酷く持て余していた。以前抱いていたような、甘い穏やかな気持ちじゃない。彼の存在は、胸の中を一瞬でぐちゃぐちゃにしてしまう。
訳が解からなくなって、どうしようもなくなる。どうしてあんなことをしてしまったんだろう。
でも、あんな目で見詰められて、卑猥に蠢く手に翻弄されて、揺らがないはずない。普段は、あんなにも飄々としていて、遠い感じのする人なのに。
彼のせいで、今まで仄かに抱いていた感情なんて、洗いざらいどこかへ押し流されてしまった。自分を見詰めるあの目にぞくぞくとして、立っていられなくなる。

「う…、んぅ…っ」

短く上がる声まで塞ぐように、アレルヤは押し倒したロックオンの体を夢中で貪っていた。
手の平で肌の上を辿ると、彼は堪らないように身を捩る。アレルヤが与える荒っぽい愛撫に反応して、彼の中の欲求が引き出されていく。同時に、アレルヤも快楽を追うことに夢中になって、徐々に彼の存在に引き摺られて行く。

「アレ、ルヤ… 」

掠れたような呼び声に、どくどくと鼓動が高鳴る。この人が、自分をこんな風にしたんだ。どうして、頭の中は彼のことですぐにいっぱいになってしまうんだろう。
そんなことを何度も考えたけれど、結局何も解からなくて、アレルヤはただ混乱するまま彼のとの行為に溺れていた。



それから、数日が過ぎて。
気分が優れなくてメディカルルームへ向かっていたアレルヤは、ふと、通路の先の曲がり角で見慣れた茶色の髪を見つけた。

(ロックオン)

呼びかけようとした言葉を、思わず止める。

「じゃ、よろしく頼んだぜ、刹那」

そんな風に明るい調子で言う、ロックオンの声が聞こえたからだ。刹那が一緒なのだろうか。そのまま足を進めると、ロックオンが刹那に何かを手渡しているのが見えた。

「了解だ」

受け取った刹那は、こくんと頷いて、ぼそりと相槌を打つ。

「頼んだぜ」
「ああ… 」

それを確認すると、ロックオンは白い腕を持ち上げてそのまま刹那の肩に回した。
ただ、それだけの仕草だ。今までだって、何度も何度も目にしていたのに。
突然、ベッドの上で力なく投げ出された二の腕と、今刹那に回しているその手が重なって、どくんと鼓動が跳ね上がった。頭の奥が熱い。血が昇っている。
どうしたんだ、自分は。
何を考えるよりも早く、アレルヤは更に足を進めて、ロックオンの側へと身を寄せた。刹那はもう用事が終ったからか、アレルヤの方を一瞥して、そのまま去って行った。

「ロックオン」
「おう、アレルヤ。どうした」

こちらを見る彼の目も、いつもと変わらない。なのに、どうして自分だけがこんなに動揺して、暗い気持ちで溢れているんだろう。
そう思いながらも、込み上げる衝動に煽られるまま、アレルヤは手を伸ばして彼の腕を掴んだ。

「ちょっと、来てくれませんか。話があるんです」

そう言うと、彼の目は動揺に揺れるように一瞬だけ大きく揺れた。けれど、彼の返事も聞かないまま、捕まえた腕をぐいぐいと引っ張る。

「おい、どうしたんだよ、アレルヤ」

彼は何度かそんなことを聞いてきたけれど、すっかり影を落としてしまった胸中は、答える余裕も残していない。
アレルヤはそのまま側にあった空の部屋に彼の体を無理矢理押し込めた。そうして、ロックオンの背を壁に押し付けるなり、深く口付けを落とした。

「んっ、… う!」

彼が驚いたように息を飲むのが気配で解かる。一度大きく上下した胸板は、暫くするとその奥でどくどくと煩い音を刻みだした。困惑して動揺に揺れるロックオンの姿は、血が昇った頭の奥を少しだけ冷静にさせたけれど、そんなことでは止まらない。
寧ろ、もっと。もっとこんな彼を見れば、こんな気持ちは落ち着くのかも知れない。
更に深く口内を貪って、舌を捩じ込んで吸い上げる。シャツの裾を捲り上げると、ロックオンは初めて本気で抵抗を始めた。

「アレルヤ…!」

呼び声には、非難の色が籠もっている。無視して行為を進めていると、彼はアレルヤの肩を掴んで力を込めて引き剥がした。

「よせ、こんなとこで!」
「どうして?」
「どうしてって、解かるだろ」
「こんなこと、大したことないって言ったのは、あなただ」
「っ、アレルヤ…!」
「それなら、ここでするくらい、何でもないでしょう」

いつもよりずっと静かな声で言い放つと、彼の目は狼狽に揺れた。けれど、それ以上抵抗する素振りはみせない。
やっぱり。やっぱり、彼にとっては、大したことないんだ。
そう思うと、何だか無性に悲しいような怒りのような気持ちが込み上げて、どうして良いか解からなくなってしまった。
ただ夢中で、いつもしているようにベルトを引き抜き、下衣を引き摺り下ろす。奥へと伸ばして指先で申し訳程度に慣らすと、アレルヤは彼の腰を抱き抱えた。

「んっ、…んっ」

必死で声を殺す様が、やたらと扇情的だ。白い肌はほんのりと赤く染まって、彼が羞恥以上のものを感じているのが解かる。

「ぁ、はっ、あ…ぁ!」
「ロックオン」

何度か腰を揺らして、彼の反応を伺うように呼び掛けると、肩越しに振り返った彼は殆ど焦点の合わないような潤んだ目で、必死に懇願して来た。

「は、やくしろ、アレルヤ」
「……っ」

さっさと、済ませてくれ。そんな台詞に、ずきりと胸が痛む。
解かってる。自分だって、こんなところ、誰かに見られたら困る。どうかしているとも思う。
でも、昂ぶってしまった気持ちが。
いや。
気になっているのは、そんなことじゃない。彼がこんなに慌てているのには、ほかにも理由があるのではないか。そうだ。さっきも思ったけれど、彼は言った。大したことがないことだって。それなら、もしかしたら、自分以外の誰かとも?その相手に、見られたくないから?
いや違う、こんなところ、誰にだって見られたくない。そんなこと解かっているのに。
そう思った瞬間、あまりの動揺と不快さに吐き気がした。頭がぐらぐら揺れて、普通でいられなくなる。
なんだろう、これは。この不快さは。こんなの、嫌だ。

(嫌だよ、ロックオン)

何故か目の奥が熱くなるのを感じながら、アレルヤは苦しみから逃れるように一層強く腰を揺らした。



ただ苦いものしか残さない行為が済んだ後、衣服を無造作に整えるロックオンを見詰めて、アレルヤは目を細めた。
綺麗な首筋に、少し高潮した頬。十分に行為の余韻を残す彼の表情は、堪えていたものが又溢れ出してしまいそうに扇情的だ。
彼に纏わり付く色気のようなものに酔いながらも、アレルヤはきゅっと唇を噛み締めた。

「ロックオン」

静かに呼び掛けると、彼は反応して目を上げる。こんな無理なことを強いたのに、その目に怒りの色は見えない。ただ、気だるそうに、深い色の双眸がこちらを見詰める。じっと見て、彼の本意を汲み取ろうとしたけれど、何も解からない。
仕方なく、アレルヤは重い口を開いて問い掛けた。

「あなたは、ぼく以外とも、こんなことするんですか」
「無理矢理引っ張り込んでおいて、言う事はそれだけか?」
「……!!」

なじるような台詞に、思わず頬が朱に染まる。子供の当てつけみたいな行為を、彼は見抜いているのだろうか。
でも、ここで引き下がる訳には行かない。アレルヤは拳を握り締めて、言葉を選びながら再び口を開いた。

「す、みません。無理にしたのは、謝ります。でも、答えて下さい」
「そんなこと聞いてどうするんだ?やきもちか、アレルヤ」
「ロックオン!誤魔化さないで下さい!!」

図星を突かれて、カッと頭に血が昇る。動揺を誤魔化すように声を荒げると、ロックオンは視線を逸らし、それから大きな溜息を吐いた。投げ遣りな感じには見えない。でも、何だか得体の知れない不安が大きくなる。
どうして、こんな態度を取るのだろう。誘ったのは、彼のくせに。遊びだったから?こんな風に問い詰められるのは、面倒以外の何物でもないのだろうか。胸の奥が痛んで、言葉が出ない。
アレルヤがずっと黙り込んでいると、ロックオンはやがて顔を上げ、さっきとは打って変わって真剣そうな口調で声を上げた。

「アレルヤ、お前はさ」
「え…?」
「お前こそ、どうなんだよ」
「ロックオン?」
「お前、好きな人がいるだろ」
「え……」

先ほどより、確信を突かれたような気がしてハッとした。
好きな人?好き…?

(ぼくが、ロックオンを…?)

そう、なのかも知れない。
欲求に任せているだけだと思っていたけれど、違うのかも知れない。
この気持ちは彼を好きだと言う気持ちから来ているのかも知れない。
あまりに混乱していて苦しくて、前抱いていたような淡い気持ちとは違うから、解からなかった。
でも、そうなんだろうか。だから、刹那にも、他の誰にも、彼が触れるのを見たくなかったんだろうか。

「はい、います」

迷った末、アレルヤははっきりと答えた。
こんなことをしておいてなんだけど、あなたが、好きだ。だから。
続けようとした言葉が、続くロックオンの声に遮られて途切れた。

「じゃあ、もう止めようぜ」
「……?!」

(……え)

「好きなヤツがいるなら、俺とあんなことしてちゃまずいだろ。心配すんな、誰にも言わねぇ」
「ロック…オン」

何を言っているのか、彼は。
そんなことが聞きたくて、彼への気持ちを認めた訳じゃない。そうじゃない。

「待ってよ、ロックオン!」

慌てて声を荒げると、アレルヤはそのまま去ろうとしていたロックオンの腕を強く捕まえた。

「どうして!どうしてそんなことを言うんですか」
「アレ、ルヤ?」

ぐっと捕まえた手に力を込めて、アレルヤはグレイの目を彼に向けた。何だか解からないけれど必死だった。このまま行かせたら、きっともう二度と彼は触れさせてくれない。さっきみたいなのが最後だなんて、いやだ。

「あなたが、あなたがぼくを誘ったくせに。だから、ぼくは…!」
「………」

でも、それ以上は言葉が出ない。声を詰まらせてますます強く腕を掴むと、ロックオンは翠の双眸を細めた。それから視線を伏せ、長い吐息が唇を突いて出る。どこか観念したような表情で、彼は肩からすっと力を抜いた。

「ああ、そうだぜ、アレルヤ」
「……!」
「お前が、欲しかったからだよ」
「ロックオン…!」

誤魔化すような言葉じゃない。きっとこれは、本当の気持ちだ。何故か確信できる。初めて聞いた彼の本音に、どく、と鼓動が音を立てて鳴った。

「だからお前を誘った。けどな、お前が自覚しちまったなら、もうこれ以上は、っ」

続けられる言葉を遮って、アレルヤは徐にぐっと彼の唇を塞いだ。

「ん…っ、…ぅ?!」

ロックオンが驚いたように息を飲む。構わずに、彼の後頭部を抱え込み、もう片方の腕で腰を抱き寄せた。



「ぼくも…」
「…うん?」

長い時間、気の済むまで彼の唇を味わって、ゆっくりと顔を離して声を上げると、とろりとしたような声が聞こえた。ロックオンの息も、上がっている。彼が、アレルヤのキスに確かに反応して、ロックオンが表情を変えている。そのことに気分が酷く高揚するのを感じながら、優しい仕草で彼の髪を撫で、アレルヤは言葉を続けた。

「ぼくも、そうなんです」
「……?」
「あなたの言う通り、以前、あなたとあんなことする前に、気になっていた人がいたのは本当です」
「……」
「でも、あなたとあんなことをしてから、あなたのことばかり気になって」
「…アレルヤ?」

何て言ったらいいのかなんて、解からない。ずっと、自分の気持ちもロックオンの気持ちも解からなくて、考えないようにしていたから。その代わり、逃げるように快楽を追い求める行為に没頭していた。
でも、それだけじゃもう足りない。ロックオンの気持ちが欲しい。自覚してしまったら、そう思わずにいられない。
アレルヤは一度ごくりと喉を鳴らし、それから出来るだけ落ち着いた声を発した。

「でも、あれから、あなたのことを考えるだけでいても立ってもいられないんです。苦しいし、落ち着かないのに、あなたのことばかり考えてしまう」
「アレルヤ…」
「それで、気付いたのかも知れない。ぼくも、あなたが好きだって」

最後まで告げると、ずっと目を見開いて聞いていたロックオンは、何も言わずに顔を逸らしてしまった。握り締めた拳で口元を覆い、アレルヤの視線から逃れるように表情を伏せる。

「ロックオン」

急に不安になって彼の両肩を捕まえると、ロックオンはびく、と身を強張らせた。

「ロックオン?」

不安そうに名前を呼ぶと、彼は慌てたように首を振って、アレルヤと自分との間を遮るように手を上げた。

「い、いや、悪い」
「ロックオン、ごめん、こんなこと言われて、嫌だった?」
「そうじゃなくて、んなこと、言われると思ってなかったから、なんつーか…」
「ロックオン…」

今まで見たことのない、酷くうろたえた様子でそう言い、彼はごほんと小さく咳払いをした。顔を覗き込んでみると、頬が薄っすらと赤い。こんな彼は、当然だけど初めて見る。

「ロックオン」

もっと、彼のこんな顔がみたい。
そんな気持ちに煽られるまま、アレルヤは手を伸ばして彼の頬を包み、強引に唇を重ねた。

「ん…っ、ア、レルヤ…」

暫くそうした後、乱れた息を吐いたロックオンは、熱を帯びたような視線をこちらに向けた。
以前、この目で誘われて、何もかも解からないまま抱いてしまったけれど、もう後悔はしてない。

「あなたが好きだよ、ロックオン。あなたもそうだって、思っていいんだよね」
「……そう、言ってるだろ。俺はずっとお前が欲しかったんだよ」
「ロックオン」

そう言われて、ようやく頭の中にも胸にも巣食っていたもやもやは吹き飛んでしまった。
その代わり、次々と込み上げて来る欲求に煽られるまま、アレルヤはもう一度ロックオンに深いキスを落とした。