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「クロスロードさん、今日からここの施設も自由に使って下さいです!」

そんな言葉と共に、ミレイナにぐいぐい背を押されて、沙慈は気付いたらバスルームの前にいた。
地上にいるときくらいしかゆっくりと入浴出来ないから、たっぷりお湯も使っていいと言う。
そりゃ、整備を手伝ったりなんだりで衣服も埃っぽいし、さっぱりしたいと思わない訳じゃない。
でも、何だか落ち着かないし、本当にいいのだろうか。

けれど、そっと手を伸ばしてコックを捻ると、温かい湯が溢れて来て、何だか無性に湯船に浸かりたくなってしまった。
遠慮はいらないと言っていたミレイナたちの言葉に甘えてしまおうか。
立ち込める湯気をそっと吸い込みながら、やがて沙慈は衣服に手を掛けた。



十数分後。
肩の辺りにまで湯に浸かりながら、沙慈はほっと一息吐いていた。
ずっと宇宙にいたし、こう言う風にゆっくり入浴するなんて、本当に久し振りだ。
今のところ、戦闘になる気配もないらしいから、たまにはいいのかも知れない。
でも、このままここにいていいんだろうか。
そんなことを思いながら、沙慈は思わず顔を膝に埋めるように湯に沈めた。
その、直後。
突然、シュンと言う音がして、目の前にあった扉が開いた。

「……?」

驚いてそちらを見やると、そこには刹那の姿があった。

「せ、刹那?!」

沙慈が驚いて声を上げると、刹那はこちらの姿を見詰め、何度か瞬きをした。

「沙慈・クロスロード」

こちらがこんなに慌てているというのに、彼は表情一つ変えない。
ただ、何だか少しだけ不服そうな顔で、じっと沙慈と湯船を見比べてみせた。

「ロックが、掛かっていなかった」
「えっ、あ…」

そう言えば、掛け忘れていた。
彼の衣服を見ると、上半身はインナーだけになっている。
彼も、入るつもりだったのだろうか。

「ご、ごめん、刹那、すぐ出るから」
「構わない、ゆっくり入っていろ」

沙慈の申し出に刹那は首を横に振った。
そうして、そのまま出て行くと思ったのに。
あろうことか、刹那はそのまま衣服を脱いで放り投げ、足を進めてザブンと湯船の中に入って来た。

「わっ?!せ、刹那!何やって!」
「俺も、入るつもりだった」
「だ、だからって、普通入って来る?!」
「………ああ」

当然だと思われた沙慈の抗議は、こくん、と頷いた刹那の仕草によって一蹴されてしまった。


その後。
膝を抱えて、黙ったまま刹那と向かい合って、沙慈は妙に気まずい思いをしていた。
そりゃ、男同士だし、年も同じくらいだし、何も問題ないのかも知れない。
けど、何だろう、この気まずい間は。
何だか沈黙に耐え切れなくなって、沙慈は恐る恐る声を上げた。

「せ、刹那…」
「…なんだ」

こちらに向けられる刹那の目。
湯気のせいか、体温が上がっているからか、いつもより少し濡れているように見える。
何だかじっと見ていられなくて、沙慈はすぐに視線を伏せた。

「こ、この前のことだけど」
「……?」
「どうして…ぼくにあんなこと、したんだ」

言ってから、しまったと思った。
この前のこと。
刹那には、何のことか解かっただろうか。
少し前のことだ。
彼は、動揺して涙を流している沙慈の腕を取り、頬を撫でて、それからゆっくりと唇を重ねて来た。
あのときは、彼のその仕草に癒されていくような気がして、拒否しようなんてことは少しも思わなかった。
でも、後で思えば…あんなことは、可笑しい。
顔を伏せたままそれ以上何も言えないでいると、やがて刹那の落ち着いた声がした。

「よく、解からない」
「……」
「だが、そうした方がいいと思った」
「刹那…」

顔を上げると、間近で彼の双眸がじっとこちらを見詰めていた。
いつも、何を考えているのか解からない、刹那の目。
それに捉えられると、何だか落ち着かない。
そんなことを考えていたら、突然刹那が腕を持ち上げて、湯面には小さな波が立った。
伸ばされた腕が、沙慈の手を掴む。

「せ、刹那?」

驚いて逃れようとすると、そこにぎゅっと力が込められた。
刹那がすっと身を寄せて思わずびくりと体が強張る。
怯えることなんて、ないのに。
でも…触れられると、何故か心の中が掻き乱される。

「じっとしていろ」
「でも…、っ!」

遮ろうとする手を刹那に捕まえられて、そのまま壁に押し付けられた。
近付く気配にぎゅっと目を瞑ると、数秒の間の後、柔らかい唇がゆっくりと押し付けられた。
始めは静かに重なっただけだったのに、やがて少しずつ吸い付くような動きに変わる。
刹那の表情が気になって、沙慈は固く閉じていた目を薄っすらと開いた。 立ち込める湯気で視界は曇って、刹那の表情はよく見えない。でも、彼は目を閉じて一心になっているように見えた。
どく、と心臓の音が不自然に高まった。

「せ、つな…、んっ…」

逃げようとする唇を、彼が追い掛けて来る。
吐息が絡み合って、沙慈は体温が上がるのを感じた。

やがて、刹那の指先から力が抜けると、沙慈の腕は湯の中に音を立てて落ちた。
跳ね上がった飛沫が首筋を濡らし、その上を刹那の唇がなぞる。

「せ、刹那、止め…」

ぞく、と走り抜けた痺れに、上ずった声が唇を突いて出た。
でも、刹那は止めない。
―どうして、あんなことをしたのか。
沙慈の問い掛けに答えを出すように、刹那は何度も沙慈の肌の上にキスを落とした。



そして、数十分後。
すっかりのぼせ上がってぐったりとした沙慈の体を抱えて、刹那がメディカルルームにやって来た。
たまたまそこにいたスメラギは、二人の姿を見て目を丸くした。

「刹那!一体どうしたの?」
「沙慈・クロスロードが、浴室でのぼせて倒れていた」
「ええ?!どうしてそんなことに?!」
「解からない。たまたまロックが開いていたから入ったら…」
「わ、解かったわ。とにかく、早く横になって!」
「す、すみません…」

言われるまま刹那にベッドへと降ろしてもらい、沙慈はそこに身を投げ出した。

「何か冷たいもの持って来るから」
「頼む」

そう言い残してスメラギが出て行くと、まだ火照った頬を手の平で撫でながら、沙慈は刹那に視線を向けた。

「嘘も方便て言うけど…刹那、きみでも、ああ言うこと言うんだね」
「必要とあれば」
「………」

さらりと応えた彼の横顔を見詰めて、沙慈は二度と浴室にロックを掛け忘れることはないようにしようと、固く誓った。