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突然、目の前に明るい光が広がっているように見えて、刹那は眩しさに目を細めた。
ここはどこだろう。見覚えも何もない、ただ光だけが広がっているような場所だ。その光は、温かいような優しいような、見ていると気持ちが落ち着くような色をしている。
辺りを見回してみると、ふと、その中に人影が立っていることに気付いた。
眩しさを堪えて目を凝らすと、やがて浮き上がって来た輪郭に、見覚えのある人物が重なる。
刹那より少し高い背丈、短い茶色の髪の毛。
思い浮かぶのは、優しい柔らかい印象の笑顔と、対照的に、憎しみと悲しみで歪んだ痛々しい表情。
「沙慈・クロスロード」
呼び掛けると、彼は少しだけ反応するように身を揺らした。
でも、彼の顔はこちらに向けられない。
確かに、刹那の声が聞こえているはずなのに、沙慈はこちらを見ない。
彼の方へ足を進めようとして、刹那は光の手前で立ち止まった。
沙慈のいる場所は、刹那に踏み込むことは出来ない。
あの優しい場所に、自分は足を踏み入れることは出来ない。
「沙慈・クロスロード…」
なのに、何故かこちらを向いて欲しくて、刹那はもう一度名前を呼んだ。
けれど、相変わらず彼はこちらを向かない。
でも、優しげな横顔と人懐こい笑みが口元に浮かんでいるのが手に取るように解かる。
こっちを向け。こっちを向いて、刹那の方を見て欲しい。
そんな風に思いながらも、やはり自ら手を出すことは出来ない。
ふと、自分の足元を見回すと、どんよりとしたように暗く、今まで流して来た血の色に染まっているように見えた。
対照的に、沙慈の立っている優しい場所。あれは、以前、まだ子供だった頃、自らの手で壊してしまったものだ。もう、戻ることの出来ない過去のものだ。
だから…自分はここから見詰めているだけだ。
「刹那……!」
そこで、遠くで誰かが自分を呼んでいるような声が聞こえた。
目を上げると、沙慈はまだ自分の手の届かないところに立っている。
だから、自分を呼んでいるのは沙慈ではない。
じゃあ、この声は……。
「刹那!刹那って!」
「……!」
そこで、一層大きな声に呼ばれて、刹那は我に返った。正確には、目を覚ました。
どうやら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
目を見開くと、ここは自分の部屋で、すぐ側で沙慈・クロスロードその人が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「沙慈・クロスロード」
「刹那、大丈夫?」
「……何がだ」
「何か、魘されてたから」
「……」
沙慈の言う通り、額には汗が浮かび上がっているし、先ほどまで、何だかあまり居心地の良くない場所にいたような気がする。けれど、頭が鉛のように重くて、何があったのか思い出すことは出来なかった。
「それに……」
「……?」
「い、いや…、何でもないよ。大丈夫なら、いいんだ。ごめん、勝手に入って」
何か言い掛けた沙慈は、きょとんとしたような刹那の顔を見て、すぐに話題を逸らしてしまった。
先ほどまで、自分がうわ言のように沙慈の名前を呼んでいたことは、もう覚えていない。
仄かに高潮した沙慈の頬が見えたけれど、そのことに関係あるのか、刹那に解かるはずもない。
「呼んでも返事がなかったから。スメラギさんに頼まれたんだ、刹那に渡して欲しいって」
そう言って、彼はデータメモリを刹那に向かって差し出した。
沙慈の白い手が、こちらに向けて伸ばされる。
それに気付くと同時に、刹那は無意識のままに、その腕を強く捕まえていた。
慌てることなんてない、落ち着いて手を伸ばすだけで捕えられる位置に、沙慈の体温はあった。
なのに、何故こんなにも性急に捕まえたくなったのだろう。
「刹那?」
差し出したものではなくて腕の方を掴まれた沙慈は、少し困ったような顔をしながらも、手を振り解こうとはしなかった。
けれど、不思議そうに首を傾げ、優しい眼差しで刹那の顔を覗き込んで来た。
「やっぱり、何かあった?」
「いや、何でもない」
本当に、何でもない。
ゆっくりと首を振りながら、刹那は沙慈の腕を掴んでいた指先からそっと力を抜いた。
けれどその代わりに、解放されて安堵したように力を抜いた沙慈の体ごと、ぐい、と自分の方に引き寄せた。
「せ、刹那…?何……」
バランスを崩した沙慈が、刹那に寄り掛かりながら慌てたような声を上げる。
でも、何故か彼を解放することが出来ない。今離してはいけないような、そんな気がする。
そのまま彼の背に腕を回して、刹那は温かい体をそっと抱き締めた。
「刹那…?」
「………」
耳元に、戸惑う沙慈の声が聞こえる。けれど、彼はやはり刹那の手を拒絶しなかった。
もし振り解かれたら、追い掛けることはきっと出来ない。でも、そうじゃないなら。なんでもいい、もう少しだけ、こうしていて欲しい。
そう思いながら、刹那は沙慈の体に回した腕にぎゅっと力を込めた。
終