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暗い部屋に戻ってずるずると床に崩れ落ちながら、沙慈は先ほどまでの出来事を思い出していた。何年ぶりかに聞いた、ルイスの声。彼女だって、すぐに解かった。懐かしい声で、必死に自分を呼んでいた。
彼女にずっと会いたいと思っていたけれど、それは決してあんな形でじゃない。どうしてこんなことになってしまったんだ。

「どうして、こんなことに……」

先ほどと同じようにそう呟くと、続いて浴びせられた刹那の言葉が思い出された。
同時に、彼を殴ったばかりの手が痛む。

「刹那……」

込み上げて来たのは、怒りだけじゃない。悲しさとかやり切れない事実への困惑とか。そう言ったものを、全て刹那にぶつけてしまった。
でも、刹那の言葉は、沙慈には理解出来ないものだ。
彼の思いも考え方も、自分のものとは相容れない。
でも、じゃあ、自分は何故まだここにいるのか。ふと、そんなことを考えると、頭の中には沢山の刹那とのやり取りが浮かんで来た。

刹那・F・セイエイ。無表情で無口で、何を考えているかよく解からない。初めて会ったときから愛想がないなと思っていた。笑った顔も、見たことがなかった。何となく仲良くなれるんじゃないかと、根拠のない思いを抱いたことはあったけれど、彼はいつの間にかどこかへ消えてしまった。何度か思い出してみても、やっぱりよく解からない人だったと感じるだけだった。
でも、今は違う。刹那と言う人物が少しずつ見え始めて来た。勿論、根本的な部分は相容れない。けど、初めて見せた笑顔は本当にホッとしたような、仲間を思いやる優しさが滲み出ているものだった。
それに…。それに、たまに自分に向けられるあの何とも言えないような目とか、何か言いたそうなのにその度に噤まれた唇とか。ぎゅっと握り締められた手の平とか。
けど、それらが全て目に入らなくなるほど、怒りが爆発してしまうこともある。怒りと言っても、それは刹那だけに抱いてる訳じゃないけれど。
どうしてこうなってしまうのか解からなくて、もどかしさが全て目の前に容を成している刹那に溢れ出してしまう。

でも、彼を殴りつけたって、心は晴れたりしない。現に、手はまだ痛くて、胸の辺りもずきずきする。あんな風に誰かを殴ったことなんて一度もなかったのに。自分がこんなに感情的になるなんて、知らなかった。どうしていいのか解からなくて、色々な思いでどうにかなりそうだ。
ふと、床に崩れ落ちたままの耳元に、以前彼が言っていた言葉が聞こえた。

―解かって貰おうとは思わない。恨んでくれていい。

思い浮かべた台詞に、沙慈はぐっと拳を握り締めた。
彼の言う通りだ。どうして、自分はここに残る決断なんてしてしまったんだろう。恨んでいるはずの人たちの中に残って…。カタロンの人たちの為だと言うなら、もっと別の場所でも何かが出来たかも知れない。
それに、恨み言をぶつけながらも、刹那ともイアンとも、それに他のクルーたちとも、沙慈は普通に会話して、人間らしい温かい気持ちも感じてきた。
彼らといると、沙慈は自分がどうして良いのか解からなくなる。
彼らと…。いや、刹那と…。

「恨めなんて……」

そう出来るなら、とっくに……。
呟き掛けて、沙慈は言葉を飲み込んだ。
もっともっと、酷く嫌いになれたら、いっそ、心の底から憎んでしまえたらいいのに。全部刹那たちのせいにして、きっとあの子が今そうやって苦しんでいるように、心の中を憎いと言う思いで真っ黒にしてしまえたら。
いや、そんなことより…、自分のことより、ルイスは今頃どんな思いでいるだろう。
そうだ。とにかく、ルイスに会いに行かなくては。どの道、自分には戦うことなんて、人を殺すなんて出来るはずがない。
だから、これ以上心の中を掻き乱される前に。何としても彼女に会って、こんな風に葛藤したことなんて全てなかったことにしよう。そうしたら、きっと、元通りになれる。

「ドウシタノ、サジ!ドウシタノ、サジ!」
「……!」

そこで、自分を呼ぶハロの声に沙慈はハッと我に返った。

「何でもないよ、大丈夫」

力ない笑みを浮かべてハロをなだめながら、沙慈は重い仕草でノーマルスーツを脱ぎ捨た。

全てなかったことになんて、出来るはずはない。もう、戻ることなんて出来ない。本当は解かっている。
頭のどこかで、そう囁く自分の声が聞こえたけれど、沙慈はそれを心の奥深くに押さえ込んだ。
そうして、やり切れない思いのまま、力なくベッドに身を埋めた。