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「刹那」
不意に、自分を呼ぶ声が聞こえて、刹那は顔を上げた。
目の前には、優しそうな笑顔を浮かべた沙慈の姿がある。
「沙慈・クロスロード」
どうしたのだろう。何故、こんなに優しい笑みを。
そう思っていると、今度は反対側からまたしても呼び声が上がった。
「刹那」
この声も、知っている。とても優しい、今は懐かしい母の声に少し似ている、マリナ・イスマイールの声だ。
「マリナ・イスマイール」
何故、ここに。彼女とは、カタロンの基地で別れたはずなのに。
刹那がそれ切り黙っていると、マリナは片手を上げて、こちらに向かってそっと差し出して来た。
「刹那、私と一緒に行きましょう」
「……?どこへだ」
刹那の問いに、マリナは答えない。ただ、優しい笑顔を浮かべて手を出しているだけだ。思わず、誘われるように手を取ろうとした途端、今度は沙慈の声が上がった。
「刹那、ぼくと一緒に行こう」
「沙慈・クロスロード?」
何が何だか解からず、幾度か瞬きをした刹那に、沙慈もマリナと同じようにゆっくりと手を差し出した。沙慈がこんな風に言うなんて、何だか違和感がある。でも、何故。
それに、一体どこへ行こうと言うのか。どっちの手を取ったらいいのか。
刹那が困惑していると、マリナがこちらに一歩足を進めて来た。
「ねぇ、刹那…、私と彼と、どっちがいいの?」
「マリナ・イスマイール?」
続いて、沙慈も同じように一歩足を進めて来る。
「刹那…。きみはぼくとこの人と、どっちがいいんだ」
「沙慈・クロスロード」
一体これはなんだ。何が…なんだか。
二人は、一体何を言っているのか。
刹那は迫って来る二人を交互に見て、思い切り眉根を寄せた。
何だか、迂闊に手を取ってはいけないような妙な予感がひしひしとする。けれど、いつまでも迷っている訳に行かないような、そんな予感もする。
「一体、どう言うことだ。訳が解からない」
取り敢えず事情を聞きたくてそう言うと、突然、沙慈の顔は悲痛に歪んだ。
「そんな…、酷いよ、刹那!」
「……?」
「散々、散々ぼくの体を弄んだくせに!」
「な?!何を言っている!」
全く持って身に覚えのない沙慈の言い分に、刹那は驚いて目を見開いたけれど、沙慈の態度は変わらない。
「自分の胸に手を当ててよく考えてくれよ!ぼくは、ぼくはきみに……っ」
「……??」
心底戸惑って一歩後ずさりすると、沙慈とマリナもその分ずい、と詰め寄って来た。
「そうよ、刹那…。知らないなんて、そんな悲しいことを言わないで」
「マ、マリナ……」
こっちも同じくらい身に覚えがない。何がどうなっているんだ。それに、なんだ、この何とも言えない焦燥感は。戦闘のときにもここまで嫌なプレッシャーを感じたことは…。
刹那は二人を交互に見やりながら、何だか背中を向けて逃げ出したい衝動に駆られた。こんな気持ちは初めてだ。
そう思っている間にも、二人は少しずつ距離を詰めて、刹那を追い詰めて来る。
「刹那!今日こそはっきりして貰うよ!」
「そうよ、刹那。はっきりして、お願いだから!」
「ちょ、ちょっと待て、二人とも」
「何なら、ぼくだって力づくで!」
「さ、沙慈・クロスロード、お前がそんなことを…!」
「私も手伝います」
「マリナ・イスマイール、あんたまで!」
二人揃ったところで、刹那の体術に敵うはずないと解かっているのに。
何故、こんなに嫌な汗が背を伝うのか。
やがて、こちらに伸ばされた二人の手に、刹那は慌てたように首を横に振った。
「や、止めろ、二人とも!!」
柄にもなく、引き攣った大声を張り上げたところで、ハッと目が覚めた。
「……っ」
額には大粒の汗が浮き上げっているし、何だか寒気までする。
「な、なんだ、今のは……」
周りを見回すと、沙慈の姿もマリナの姿もどこにもない。
「夢、か……」
ほっとしたように呟きを漏らして、刹那は額に浮き出ていた汗をそっと拭った。
一体何だと言うのだ、あの恐ろしい夢は。
ふらふらした足取りで立ち上がると、刹那はトレミーの中にいる沙慈の姿を探した。
彼の姿は、すぐに見付かった。格納庫でハロと一緒にイアンの整備を手伝っていたからだ。
「沙慈・クロスロード」
「刹那…、どうしたの?青い顔して」
こちらの姿を認めた沙慈は、いつになく顔色の悪い刹那に気付いて心配そうに声を上げた。
でも、今はそんなこと、どうでもいい。それより、聞きたいことがある。
すうっと深く息を吸い込むと、刹那は思い切って沙慈に尋ねた。
「お前は、二股をどう思う」
「……え、何?ふ、二股?」
突然そんなことを聞かれた沙慈は、目を見開いたままきょとんとした。
「きみがそんなこと言うなんて…。何かあった?刹那」
「いいから、答えてくれ」
何度か瞬きをしていた沙慈だけど、刹那の真摯な態度に押されたのか、すぐに考えるような素振りを見せた。そして、控えめで穏やかな、でもはっきりとした口調で言った。
「そ、そうだね…、最低かな」
「……………最低、か」
何故か、その一言は刹那に頭を鈍器で殴られたようなショックを与えた。でも、沙慈には悪気もなにもないし、何より訳も解かっていない。
「それが、どうかしたの」
「なんでもない。肝に銘じよう」
「……?う、うん」
首を傾げる沙慈を置いて、刹那はそのままよろよろとよろけながら自室へと戻った。
終