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自分にも、きっと何か出来ることがある。そんな思いから船に残ったけれど、結局具体的には何をどうしたいのか、まだよく解からない。誰かが答えをくれる訳でもない。
刹那たちの武力介入が始まってから、色々なことがあった。何度もくじけそうになったけれど、ルイスとの約束があったから大丈夫だった。
もっと強くなりたい。戦いの為に、誰かを撃つ為に強くなりたいと思っている訳ではない。刹那の言う戦いは、自分には出来ない。
けれど、せめて足手纏いにならないようにと、色々考えている内に、沙慈は気が付いたらトレーニングルームに来ていた。
シュン、と音がして扉が開くと、中には刹那の姿があった。

「あ……、刹那」
「沙慈・クロスロード」

彼はこちらの姿を認めると、意外そうに目を見開いた。
手には、訓練用のものか本物か解からないけれど、銃を握っている。
そう言えば、再会したとき、あの銃と同じようなものを、刹那に向けた。それに、さっきは彼をこの手で殴りつけた。
そのことを思い出すと、思わずその場で足が止まってしまった。
刹那の頬は、少し赤く腫れている。それも当然だ。手加減なんてしなかったから…。
急に、罪悪感のようなものが込み上げて沙慈の胸の中はざわざわと騒いだ。

「せ、刹那……」

謝るつもりなんてなかった。でも、今は気持ちも大分落ち着いているし、何か言葉を…。
そう思って呼び掛けた声が、彼の静かな声に重なった。

「心配いらない。もう行く」
「……!」

沙慈が、自分を拒絶したがっていると思ったのか。刹那はそう言って、浮き出た汗を拭いながら沙慈の横を通り過ぎた。

(刹那…)

殴られたことへの恨みなど、少しも抱いているようには見えない。まるで、殴られて当然だとでも思っているような。
銃を向けたときもそうだった。抵抗どころか、弁解すらしなかった。きっと、沙慈から銃を奪い返すくらい、何てことないはずなのに。
沙慈の拳を避けることだって、簡単に出来ただろうに、それと同じように…。
そう思った途端、手が勝手に伸びて、彼の腕を捕まえていた。



「どうした」
「……あ」

刹那の声に我に返って、沙慈はすぐ彼を捉えていた手を離した。
咄嗟の行動だ。意味なんてない。
取り繕おうとして思考を巡らせて、スメラギの言っていた台詞を思い出した。

「またすぐ…戦いになるんだね」
「ああ、衛星兵器を破壊する」
「……」

衛星兵器。想像を超えた恐ろしいものだ。
でもきっと、彼らなら、何とかしてしまうような気もする。
それに、オーライザーでドッキングしてみて思ったけれど、やっぱり刹那のパイロットとしての技量は凄い。
あのGを物ともしないなんて、やっぱり鍛え方が違うのだろうか。
そのまま、立ち去らずに足を止めた刹那に、沙慈は戸惑いながらも言葉を続けた。

「きみならきっと、大丈夫なんだろうね」
「何故、そう思う」
「前も思ったけど、きみは凄いよ」
「そうでもない」
「そんなこと…ないよ」

沙慈のことを、コロニーから連れ出してくれたときもそうだった。
あの恐ろしい対人兵器を相手に、あんな風に動けるなんて。
一体、どこであんな体術を身に付けたのか。
そう尋ねると、刹那は何だか複雑そうな顔になった。

「訓練された、それだけだ」
「ソレスタルビーイングで?」
「………」
「刹那?」

どこか遠くを見るような顔になった刹那に、何だか不穏なものを感じて、沙慈は彼の顔を覗き込んだ。
でも、そんな表情を見せたのは一瞬のことだった。
直後、顔を上げた刹那は、いつも通りの無表情で、持っていた銃をこちらに向けて差し出した。沙慈が反射的にそれを受け取ると、彼は穏やかな声で言った。

「まだ、俺を撃ちたいか」
「え……?」
「そんな顔をしている」
「い、いや…、そんな…つもりは」

刹那の言葉に驚いて、沙慈はゆっくりと首を横に振った。
けれど、先ほどと同じ疑惑が頭に浮かび上がって、そっと、手にした銃を構えてみせる。

「ただ、きみなら、あのとき、ぼくから銃を奪うのだって簡単だったんだろうと思って」
「……」

言いながら、沙慈は構えた銃口をそっと刹那の胸元へと向けた。
以前怒りに任せてこうしたのとは違う。ただ、少しの好奇心に促されているだけだ。
刹那なら、本当はそう出来たのではないか。何だか知らないけれど、それを確かめたかった。
そして、数秒後。

「うわっ?!」

銃を構えていた手は、あっと言う間に掴まれて捩じ上げられてしまった。抵抗しようとしたもう片方の腕も、あっさり捕まえられ、彼の手の中だ。
本当にほんの一瞬で懐に入られ、沙慈は驚きに目を見開いた。それに、ぎり、と力を込められて思わず眉根を寄せる。

「い、いつ……っ」

何て動きだ。とても、自分には出来ない。
こんな風にされたら、普通なら、これで終っている。
やっぱり、やっぱり刹那は…。あのとき、本気で撃たれてもいいと思っていたんだ。
彼の覚悟のようなものが伝わって来て、沙慈は思わず胸が痛くなるのを感じた。

でも……。
これは、実戦なんかじゃない。このままでは悔しい気もする。
せめて、何か一矢報いてから。
両手が塞がっていたので、沙慈は咄嗟に自由の効く顔を彼の側に寄せた。
どうして、そんなことをしたのか、自分でも解からない。
けれど、直後、唯一無防備だった刹那の口元に、沙慈は自分の唇をそっと押し付けた。
触れたのは、ほんの一瞬だった。

「……っ!」

けれど、耳元で刹那が息を飲む音がして、腕を捻り上げていた力が僅かに緩んだ。

(い、今だ…!)

その隙に彼の手から擦り抜けて、沙慈は急いで距離を取った。
やった。一矢報いた。優越感のようなものが込み上げて、沙慈は少し顔を輝かせた。
でも、息を飲んだ切り、刹那からは何の反応もない。そのまま数秒が過ぎると、急に何だか心配になって来た。
やはり、今のはちょっと、まずかっただろうか。

「せ、刹那…」

様子を伺おうと恐る恐る顔を上げると、刹那は無表情のままで固まっていた。

「刹那、怒った?ごめ…」

慌てて再び距離を詰め、彼の顔を覗き込んだ、その途端。
解放されたばかりの腕が、再びがしりと掴まれた。

「わ……っ」

驚きに叫び声を上げると同時に、ダン!と音がして側にあった壁に押し付けられる。

「刹那…っ!」
「油断したな」
「……!そ、そっちこそ!」

悔し紛れにそう言うと、刹那が眉根を寄せたのが一瞬だけ視界に映った。
けれど、すぐに彼の顔はぼやけ、視界は塞がれて暗くなった。

「せ、つな…?!ん…っ」

何を思ったのか、彼が再び唇を寄せて来たからだ。

(刹那……!)

先ほど自分からこうしたことなど忘れて、沙慈は驚きに息を飲んだ。柔らかく温かい唇が、確かに沙慈に触れている。
どうして、こんな…。考えてみても、解かるはずない。
けれど、時間が経つと、少しだけ冷静になって来た。
これは、彼なりの報復なのか。それとも、何か、他に意図があるのか。
それは解からないけれど、刹那は沙慈の両腕を押さえ込んだまま、尚もゆっくりとキスを続けている。
先ほどは一瞬触れただけで、何も感じなかったけれど、今は違う。
刹那の唇がそっと優しく重なって、そして少しずつ強く押し付けられている。やがてゆっくりと入り込んで来た舌先は、錆びた鉄のような血の味がした。自分が殴ったとき、切れてしまったのだろうか。そう思うと、何故か抵抗することも忘れてしまった。
それに、不思議だ。何でだろう。全然、嫌悪なんか感じない。
いつの間にか指先から力が抜け、握り締めていた銃は手元からゆらゆらと漂うように離れて行く。

「ん、……ぅ」

そのまま、今自分がどこにいてどう言う状況に置かれているのかすら忘れ、時間が止まってしまったように、沙慈は刹那の唇の感触を味わっていた。
我に返ったのは、側にあった扉が、シュンと言う音と共に開いたからだ。

「何をしている、二人とも!」
「……!!」
「……!!」

続いて聞こえて来た、狼狽と怒りに揺れる怒鳴り声に、二人は弾かれたように唇を離して顔を上げた。

「ティエリア・アーデ」
「何をしていると聞いている!!」
「あ、あの、誤解です!な、何も!!」

沙慈は慌てて弁解しようとしたけれど、現場を目撃されている状況では、酷く分が悪い。
案の定、生真面目なティエリアは逆上してしまったようで、つかつかとこちらに向けて足を進めて来た。しかも、綺麗な顔が歪むほどかんかんに怒っている。

「トレーニングルームでふしだらな行為に及ぶとは!しかも、これから大事なミッションがあると言うのに!!何と言うことを…!!万死に値する!!」
「うわっ、や、ちょっと待っ…、話を…!」

沙慈は何とかしてなだめようとしたけれど、既にティエリアは聞く耳持たない。
振り上げられた平手をさらりとかわした刹那は、次に標的になるであろう沙慈に、至ってシンプルな指示を下した。

「沙慈・クロスロード、避けろ」
「無理だよ、刹那!」

当然、避けきれるはずもなく、沙慈はティエリアの渾身の平手を食らう羽目になってしまった。