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沙慈の家に突然の来客が訪れたのは、和やかな休日の朝のことだった。
チャイムが鳴ったので、慌てて玄関に出て扉を開けた沙慈は、そこに立っていた人物に目を丸くした。

「せ、刹那・F・セイエイ」

何も言わずに立っているのは、隣に住んでいる無口な青年だ。
一体どうしたのだろう。
いつも、沙慈が夕飯のおすそ分けなどを持っていっても、殆ど愛想のない対応しかしてくれなかった彼。受け取ってくれることも、お礼を言ってくれることもあったけれど、沙慈には到底心が籠もっているとは思えない態度だった。
でも、その彼がどうして。何か、用でもあるのだろうか。
すぐに気を取り直して、沙慈は刹那に向けて笑顔を作った。

「どうしたの、刹那。きみから来るなん……」

言い掛けた言葉は、突然伸びて来た手にがしりと腕を掴まれて、最後まで口に出来なかった。先ほどよりも目を見開く沙慈に、刹那は一言だけ、無表情のままで告げた。

「来い」
「へ?」

何がなんだか解からないまま、ぐいぐい引かれて、家の外に連れ出される。慌ててつま先に引っ掛かっていただけの靴を履いて、鍵を閉めると、刹那は更に沙慈の手を引っ張り出した。

「せ、刹那っ?!」
「デートに行く。来い」
「え、えっ?!ちょ、ちょっと?!」

デート?刹那がデート?一体、誰と。
と言うか、刹那のデートと自分に、一体何の関係が?
まさか、まさか相手はこの自分なのでは?!

「せ、刹那!一体どう言う」
「黙っていろ」
「そ、そんな…っ」

抗議の言葉は一切受け付けて貰えず、結局沙慈は問答無用でずるずる引き摺られてしまった。

やがて、ようやく刹那が足を止めたのは、大きなジープの目の前だった。もしかして、刹那の車だろうか。

「これ、きみの?刹那」
「ああ、俺のガンダムだ」
「が、がんだむ、車の名前?」
「そうだ、早く乗れ」

こく、と頷いた刹那に促されるまま、沙慈は恐る恐る車のバックシートに乗り込んだ。
途端、腕を掴まれて引き摺り下ろされ、助手席に放り込まれてしまった。

「お前はこっちだ」
「う、うん…、じゃあ…お言葉に甘えて」

有無を言わさない雰囲気に、沙慈はシートベルトを締めながら引き攣った笑みを浮かべた。
自分が助手席と言うことは、どう考えても自分も主役の一人だ。刹那のデートの相手は、やっぱり自分なんだろう。でも、何で。
そんなことを考えている間に、刹那もいそいそと運転席に乗り込み、ベルトを締めると同時に物凄い勢いで発進をした。
ギュン!と言う擬音がぴったりなほど思い切り加速し、沙慈は車に掛かったGのお陰で座席に引っくり返った。

「せ、刹那!スピード出し過ぎ!」

青褪めて訴えたけれど、刹那から答えはない。
代わりに、ぼそ、と独り言のように呟く声が聞こえた。

「ガンダムだ」
「は?」
「俺が、ガンダムだ!」
「意味不明だよ!刹那!」
「トランザム!」
「速い!速過ぎるって!刹那!制限速度の三倍出てるよ!!」

道路をひたすら暴走する刹那に、沙慈は泣きそうになりながら叫びを上げた。もう生きた心地がしない。
意識が遠退きそうになったところで、ようやく刹那はアクセルを緩めた。
やっとのことで恐怖から解放された沙慈は、額に浮き出た汗を拭いながら、ホッと安堵の息を吐き出した。

「し、死ぬかと思った」
「問題ない」
「ま、まぁね……」

もう、何でもいい。
半ば投げ遣りに思ったところで、刹那はこちらを見て、また意外なことを言い出した。

「そろそろ帰る」
「え、も、もう?!い、一体何しに来たんだよ、刹那!」
「デートだ」
「そ…、そうだったね…」

所謂、ドライブデートってものだろうか。
でも、今のはその辺のジェットコースターより怖かった。
先ほどの恐怖を思い出して身震いすると、刹那は眉根を寄せながらこちらを覗き込んで来た。

「何か、不服なのか」
「しょ、正直に言うと、不服なことだらけだよ」
「………」

はっきり言うと、刹那は黙り込んで下を向いてしまった。
刹那なりに、沙慈を喜ばせようとしてくれたのだろうか。そう思うことにして、沙慈は諭すように優しく声を上げた。

「刹那、こう言うのは、ちゃんと好きな子を誘うものだよ。でも今日に限っては女の子じゃなくて良かったかも知れないね」

そうでないと、さっきのドライブだけで失神ものだ。

「でも、ぼくもああ言うのはあまり得意な方じゃ…」

言いかけて、沙慈は思わず言葉を止めた。
すぐ側に、刹那の気配が近付いていたからだ。見開いた沙慈の双眸に、目を閉じた刹那の顔がいっぱいに映し出された。それがぼやけて、何も見えなくなると同時に、唇に何かが触れた。

(え……?)

頭が真っ白になってしまったみたいに、何が起きたのかすぐには理解出来ない。
でも、確かに口元に柔らかい感触がした。

「せ、つな?」

唇が離れた後も、彼の名前を呼んだだけで、あとは何の反応も返せなかった。
今、一体何が起きたんだろう。さっきの恐怖の影響で、単に錯覚してしまっただけだろうか。



「帰るぞ」
「え、あ……」

我に返ると、既に車は発進されていた後だった。
刹那の横顔は、もう何事もなかったみたいに無表情だ。
もう、先ほどあったことなど嘘のように。

(刹那……)

何で、さっきはあんなことをしたんだ。
当然そんな疑問が頭を掠めたけれど、もう確かめるような雰囲気じゃない。
沙慈は思わず口元を指先でなぞって、それから黙って顔を伏せた。

でも、車は行きと違ってちゃんとゆっくりと走ってくれている。
何だか知らないけど、それが解かっただけでも今日のごちゃごちゃは全て許せるかな、と思ってしまった。