SS




スメラギから各自待機の指示を受けて、刹那は自室のベッドで無造作に寝転んでいた。
けれど、目を閉じても、少しも眠くならない。瞼の裏に浮かんで来るのは、心をはやらせ、落ち着かなくさせるものばかりだ。
休息するのは大事だけど、こうしていても疲れは少しも取れない。
むく、と無言のまま起き上がると、刹那は自室の扉を潜り抜けて通路へ出た。
と言っても、当てなんてない。薄暗いコンテナでガンダムを見上げた後、刹那は食堂へと向かった。シュンと音がして扉が開くと、中には先客がいた。

(沙慈・クロスロード)

彼の姿に、刹那の足は一瞬だけ戸惑うように止められた。
けれど、彼はこちらに気付く気配もなく、テーブルに顔を伏せたまま動かなかった。
眠っているのだろうか。よく見ると、テーブルには酒のボトルが置いてある。まさか、一人で飲んで酔っていたんだろうか。
それはともかく、こんな場所より、ちゃんとベッドに横になった方が良い。そう思って、刹那はそっと沙慈の肩に触れて揺らした。

「沙慈・クロスロード」
「………ん」

何度か揺らすと、彼は目を覚まし、まだ焦点のよく合っていない目をこちらに向けた。

「あ……、刹那」

何となく、彼の顔は酷く疲れているように見える。それに加えて、呂律の回らない口調。

「どうした」

短い言葉で尋ねると、彼はふっと口元を緩めた。

「少し、眠れなくて。スメラギさんに貰ったお酒を飲んでたんだけど……」
「そうか」
「刹那こそ、どうしたの?」
「……」

沙慈の問いに、刹那は返答をせず、代わりにすとんと彼の隣に腰を下ろした。

―沙慈・クロスロード。
確かに、ここに連れて来たときより、少し痩せたように見える。痩せたというか、やつれたと言うか。
あんなに色々なことがあったのだ、無理ないかも知れない。その上眠れないとあれば、きっと辛いだろう。
でも、自分も同じようなものだ。
眠れない夜。ここに来る前は、ただ、小さな体に銃を抱き抱えて凌いだ。
はなから、刹那の回答に期待してはいなかったのか、沙慈は刹那の言葉を待つ前に、再び酒のボトルに手を伸ばした。

「きみも、飲む?」
「いや、俺はいい」

酒は飲まないと、即座に首を横に振ると、沙慈は少しがっかりしたような顔になった。
けれど、すぐに気を取り直したように側にあったグラスにボトルの中の液体を注ぐと、ぐい、と飲み干した。
スメラギに貰った酒なら、きっとかなり強いはずだ。沙慈の喉の奥に消えて行く酒と比例して、仄かに上気して行く頬を、刹那はただ黙って見詰めていた。
疲れたような表情の沙慈は、数年前、日本で会ったときと大分違う。大人っぽくなっただけじゃない。ただあどけなく優しげな感じだけじゃなく、胸の奥底に何か抱え込んでいるような…。
でも、彼はまだ戻れるのだ。何となく、漠然とそんなことを考えて、刹那は視線を伏せた。

数十分後。
殆ど会話のないまま時間が過ぎ、その間沙慈はずっと飲み続けていた。そのせいか、すっかり酔いが回ってしまったらしい。
先ほどよりもぐったりとした沙慈の腕を自分の肩に回して、刹那は彼の部屋に向かっていた。
沙慈は意識があるのかないのか。されるがままに刹那に身を預けている。
目を閉じていると、数年前の面影が少し残っている気がする。数年前のあどけない笑顔をその寝顔に重ねてみたけれど、すぐに曇ってよく見えなくなってしまった。

部屋に着くと、刹那は沙慈の体をゆっくりとベッドに寝かせた。
枕に頭を乗せると、沙慈は薄っすらと目を開いて、小さく何か言った。
恐らく、ありがとうとか、ごめんとか、そんなことを言おうとしたんだろう。でも、よく聞き取れなかったので、刹那は彼の口元にそっと顔を寄せた。
その途端、ふと、ふわりと酒の香りが鼻先を掠めた。
刹那がまだ味わったことのない、不思議な香り。
いつもスメラギから香っているけれど、何だかそれとは少し違うような気がする。
気が付いたら、まるでその香りに誘われるように、刹那は手を伸ばし、沙慈の唇にそっと触れていた。
つつ、と指先でなぞると、答えるように彼の唇が蠢いた。微かに触れた刹那の指先をもっともっとと誘い込むような動き。彼にそんなつもりはなかったのかも知れないけれど、何故かそんな風に感じた。

「沙慈・クロスロード」

少し、彼の目を覚まさせる為に呼び掛けたけれど、返事はない。
もう一度、先ほどより強く唇をなぞっても、やっぱり反応がない。
直後、もっと触れたいと言う衝動が急激に刹那の中に込み上げた。
触れてはいけない、味わってはいけないもの。
頭ではそう解かっているのに、止まれない。
その衝動に突き動かされるまま、刹那はそっと顔を寄せ、温かい沙慈の唇に自分のものをそっと押し付けた。
先ほどより強く、酒の香りが鼻先を掠める。ただ触れているだけなのに、酔いが回ってしまいそうな気がする。
でも、それだけじゃない。ぐっと押し付けた沙慈の唇は仄かに酒の味がした。温かくて、柔らかい。何だか、心地良い。
ぎこちなく触れた唇の感触に、刹那は暫くの間夢中になった。

「………ん」

我に返ったのは、耳元に小さく掠れた沙慈の声が聞こえたからだ。

「……っ!」

ハッとして、沙慈の体から離れると、刹那は咄嗟に唇をぐい、と拭った。
今、何をしていたんだろう。
こんなことはするべきじゃない。
もう一度改めて、今の感触を忘れようと、先ほどよりも強く唇を拭う。
けれど、頭の奥が痺れたような甘い感覚は、そう簡単に消えてしまうものではなかった。
たちまち、胸の中が罪悪感のようなものでいっぱいになる。
後味は酷く苦いのに、それでも甘いような、不思議な感覚。
もう一度味わえたら、今度はどんな味がするのだろう。
もう一度……。
思わず再び手を伸ばし掛けて、刹那は動きを止めた。
ここで触れたらきっと、歯止めが利かなくなってしまう。何だかそんな気がする。
浮かび上がる好奇心に似た欲求を押さえ込むため、刹那は沙慈に向けて伸ばし掛けた手をぎゅっと握り締めた。