SS
部屋を訪ねると、扉の向こう側から姿を現した彼の様子に、沙慈は眉根を寄せた。
「刹那、大丈夫?」
いつもより虚ろな目に、酷く疲れたような顔。大丈夫ではないと解かっていても、聞かずにはいられない。
彼の頬はまだ痛々しく腫れていて、唇は凝り固まった血で赤く染まっていた。
けれど、彼は覇気のない顔のまま、ゆっくりと首を縦に振った。
「ああ、大丈夫だ」
「そ、そう……」
とても、そうは見えないのに。
何だか、今にも彼が倒れてどうにかなってしまいそうに見えて、沙慈は扉を閉めて出て行くことなど到底出来そうになかった。
「メディカルルームで借りて来たんだ。手当てくらい、出来るから」
口実のように腕に抱えていた小さな箱を目の前に翳して、沙慈は無理に笑顔を浮かべた。彼は沙慈の申し出を拒もうとはせず、無言のまままた首を縦に振った。
拒絶されなかったことにホッとして、沙慈は彼の部屋の中へ足を踏み入れた。
黙ってベッドの上に腰を下ろした彼の側に身を屈めて、沙慈はそっと赤く腫れた刹那の頬に触れた。
大事なものを失うのは、酷く辛い。沙慈も数年前に肉親を失ったから、それが解からない訳じゃない。彼をこんな風にしたロックオンの気持ちが解からないとは言えない。
それに、いつかは自分もルイスと戦うかも知れない。先ほどはそれを思って、先の見えない不安に胸が痛んだ。恐怖さえ、感じた。
でも、刹那は沙慈の背中を押して、手を差し伸べてくれた。上手く言えないけれど、彼にはきっと、色々なことを背負う覚悟があるのだ。でも、どうしてそこまで。
「きみが、全てを背負うことはないのに」
独り言のように呟きながら、消毒液を浸した白いガーゼをそっと唇に押し付けると、刹那の両の目が少しだけ反応するように瞬いた。
沙慈のことが見えていないのだろうか。何だか遠くを見ているような顔に、胸中で渦巻いている不安が膨れ上がる。彼の反応を引き出したくて、沙慈は必死に言葉を紡いだ。
「刹那、きみは言ってくれたじゃないか、ルイスのことを撃つのかと聞いたとき、それはぼく次第だって」
「………」
「今回も、そんな気持ちだったんじゃないのか」
刹那から、答えはない。
何故か、彼の口元に寄せていた手が小さく震えて、沙慈の視界はぼやけてよく見えなくなってしまった。
(刹那……)
何故か、胸が痛い。自分だって、拳を握り締めて彼を殴り付けたことがあるのに。でも、その後溢れて来るのは苦い気持ちばかりで、少しも気分なんて晴れなかった。寧ろ、罪悪感のような自己嫌悪のような、やり切れない思いに苛まれた。きっと、ロックオン・ストラトスもそんな気持ちでいるのかも知れない。
でも、大切な人を失った悲しみがそれ以上に大きくて、きっと、どうしようもないのだ。
でも、じゃあ、刹那は……。責めを真っ向から受け止めて、言い訳一つせず、どうして全て抱え込んでしまうのだろう。沙慈が銃を向けたときも、沙慈が拳を固めて殴りつけたときも、今回も…いつもそうだ。
そんなことを考えていたら、いつの間にか目に堪っていた涙が溢れて、刹那の膝元に次々と零れ落ちた。
すると、今まで無反応だった刹那の腕がゆっくりと持ち上がって、沙慈の頬に触れた。
「……!」
びく、と反応して顔を上げると、いつものように強い意思を持った彼の双眸が、じっとこちらを見詰めていた。
「刹、那……」
呼び掛けると、彼は涙に濡れた沙慈の頬を何度も確かめるように手の平で撫でた。
ぎこちないのに、とても優しい動き。刹那らしいと、何故か知らないけどそんな印象を抱くと、やがてぼそりと感情の籠もらない声が降って来た。
「泣くな、沙慈」
「……っ、刹那」
こんなときまで、そんなことを。彼の方が泣いているみたいなのに。
それなのに、そんな彼に掛ける言葉が上手く出て来ない。
いても立ってもいられなくなって、沙慈はそっと頬を撫でる刹那の手に自分の手の平を重ねた。
そのまま彼の手を捕まえて頬から離すと、ぎゅっと握り締める。
こうしているだけで、彼の痛みが少しでも癒えればいいのに。
「刹那」
再び小さく呼び声を上げると、沙慈はそっと顔を寄せて、傷付いた刹那の唇に自分のものを重ねた。
沙慈を部屋に迎え入れたときのように、刹那は沙慈を拒まなかった。
彼の唇は柔らかくて温かくて、そして血の味がした。
その唇が小さく震えているのは、彼のせいなのか自分のせいなのかよく解からない。
けれど、刹那の痛みが少しでも癒えるまで、こうして触れていたいと思った。
ややして、ゆっくりと唇を離した後も、沙慈はそこから動けずにいた。
「沙慈」
「……!」
けれど、やがて聞こえて来た穏やかな声に目を上げると、刹那はもう普段と同じような落ち着いた表情に戻っていた。
「お前は作業に戻れ」
「あ、うん……」
損傷したケルディムに、かろうじて出撃出来たけれど、オーライザーだってまだ安定していない。イアンも軽傷だけどイノベイターに殴られて本調子じゃない。沙慈には、やることが沢山ある。
でも、刹那をこのままにしておくなんて。そんな気持ちのまま視線を合わせると、彼はいつの間にか血の止まった唇を指先でそっと撫でた。
「もう大丈夫だ。すまない」
「え、あ……」
その仕草に、先ほどまでその場所に触れていたことを思い出して、急に落ち着かない気分になった。彼の傷を癒そうと必死だったからと言って、あんなことをしてしまうなんて。自分の方も、思ったより動揺していたのかも知れない。
「せ、刹那…!ぼくは…」
何か弁解の言葉をと、発した声は、最後まで口にする前に途切れてしまった。刹那がそっと顔を寄せて、再び沙慈の唇に触れて来たからだ。
「ん…っ!?」
驚いて息を飲むと、刹那は一層強くそうして来た。
さっき、作業に戻れなんてことを言ったのに。すぐに沙慈を解放する気なんて、さらさらないように見える。
(刹那……)
きっと彼は、沙慈の慰めを受け入れてくれたのだ。
恨みも憎しみも、彼は無言で受け入れてしまう。でも、沙慈の思いも黙って受け入れてくれたことには、少しだけ感謝したい気持ちになった。
終