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その日、突然チャイムを押して訪れた来客に、沙慈は思わず身構えてしまった。現れたのは、隣に住む刹那・F・セイエイだ。
無茶苦茶なバレンタインからこっち、会うのを極力避けていたので、顔を合わせるのは久し振りだ。でも、あれ以来、 彼は全く姿を見せなかったから、沙慈もようやくあのことを忘れ掛けていたのに。と言うか、忘れようと必死で努めて来た。刹那はきっと、悪気はないんだ。本当に、バレンタインのことを誤解していたのだ。自分を無理な理論で納得させて、沙慈は何とか心の平安を取り戻しつつあったのに。今更、何の用なのだろう。
「刹那……。どうかしたの」
警戒心を露にしながら恐る恐る尋ねると、刹那は相変わらず表情を変えずにぼそりと声を上げた。
「沙慈・クロスロード、今日はお前の誕生日だ」
「え、あ、ああ……、うん」
確かに、彼の言う通りだ。今日は沙慈の誕生日だ。どうして刹那がそんなことを知っているのか解からないけれど、ここへこうして来てくれたと言うことは、もしかして。
「刹那、もしかして、お祝いを言いに来てくれたの?」
顔を覗き込みながら聞くと、彼はこく、と首を縦に振った。他人のそう言うことには物凄く疎そうなのに、わざわざ言いに来てくれるなんて。
「ありがとう、刹那」
素直に嬉しくてお礼を述べると、刹那はゆっくりと首を横に振った。
「まだ礼を言われる筋合いはない。お前に、渡したいものがある」
「え?まさか、プレゼントとか」
「ああ、とにかく、こっちだ」
「え、あ……」
言われるまま手を引かれて、沙慈は刹那の住む隣の部屋へと入った。
「へぇ、ここがきみの部屋か。なんか、殺風景だね」
正直な感想を述べながら部屋の中を見回していると、刹那はぐい、と腕を捲くりながらソファを指した。
「少し、そこで待っていろ、食事の支度をする」
「え……?」
そう言う彼は、いつの間に身に付けたのか、青いエプロンを着けている。どうやら、やる気満々らしい。手料理でもてなしてくれるなんて、一体どうしてそこまでしてくれるのだろう
。
「せ、刹那、そんなことまでしてくれなくても」
「構わない。俺が、そうしたい」
「せ、刹那……」
きっぱりと告げられた台詞に胸を打たれ、沙慈は素直に好意に甘えることにした。
それにしても、何を作ってくれるんだろう。刹那の故郷がどこか知らないけれど、そこの料理とかだろうか。でも、正直何でも嬉しいかも知れない。最近は、ずっと一人だったから。こうして誰かと食事が出来るのは、嬉しい。淡い期待を抱きながら、 沙慈はソファに腰掛けて大人しく待っていた。
けれど、数分後。突然、ガッシャーン!と言う音がして、沙慈はびくりと肩を揺らした 。
「な、何……?」
音がしたのはキッチンの方だ。刹那が、お皿か何か割ってしまったのだろうか。
「刹那、どうかした?」
立ち上がって言い掛けた途端、再び同じような音が聞こえて来た。しかも立て続けに。
「刹那!大丈夫?」
慌てて声を上げると、キッチンからいつもと変わらない冷静な返事が返って来た。
「問題ない。皿を、二、三十枚割ってしまっただけだ」
「二、三十枚……」
その数に呆れを通り越して心配になった沙慈だったけど、刹那が大丈夫だと言うので、 再び大人しくソファにすとんと腰を下ろした。
でも、更に数分後。
今度はドン!と爆発するような音がして、沙慈は飛び上がらんばかりに驚いてしまった。今度は一体何だと言うのだ。迷わずキッチンに飛び込んだ沙慈は、そこの惨状に呆然とした。まず、
割れた皿がこれでもかと言うほど散乱していて滅茶苦茶危ない。しかも、何がどうしたのか、キッチンは粉だらけで、思わず咽そうなほどだ。その上、何をどう混ぜたらこんな不味そうな色になるのか解からない物体が、ボウルの中にたっぷりと入っていた。そして、コンロにはフライパンが乗っていて、何やら真っ黒になった黒いものが異様な匂いを放っている。さっきの音は、どうやらこれのせいらしい。
「せ、刹那……。きっと、火力が強過ぎるんだよ」
沙慈は慌てて刹那の手からフライパンを奪って、火を止めた。
「刹那、もしかしてきみ、料理出来ないの?」
「………」
沙慈の問いに、刹那はぐっと息を飲んで無言になった。そしてそっと視線を伏せ、こく 、と首を縦に振った。
結局、料理に失敗した挙句、片付けまで沙慈に手伝って貰った刹那は、珍しく落ち込んだように悲しそうな顔をしていた。
「すまない、沙慈」
「い、いいよ。別に」
酷い目に遭ったことには変わりないけど、彼の気持ちは本当に嬉しかったから。
「今度は、ぼくも一緒に作るよ」
「沙慈……」
慰めるようとそんな言葉を掛けると、刹那は顔を上げ、口元を綻ばせた。
「じゃあ、何か頼もうか。ピザなんてどう?昔バイトしてたお店があって……」
言いながら、携帯電話に手を伸ばすと、その手ががしりと捕まえられた。
「……?刹那?」
「その前に、渡したいものがある」
「え……?」
用意していたのは、料理だけじゃなかったのか。まさか、プレゼントまで渡そうとしてくれていたなんて。
「ありがとう、刹那」
「いや……」
二人の間に今までになく和やかな雰囲気が広がった。
けれど。
「……」
「……」
いつまで経っても見詰め合ったままで、刹那はプレゼントやらを渡そうとしない。沙慈の頭の中には、沢山の疑問符が浮かんだ。
「せ、刹那……」
「何だ」
「え、ええと、それで、プレゼントは?」
首を傾げながらそう言うと、刹那は真顔で口を開いた。
「もう、ここにある」
「え?どこに……?」
「お前の目の前だ」
「……?!」
その言葉に、沙慈の背筋を嫌な予感が走った。今の感じには、覚えがある。状況は違う。違うけど、まさか。
「せ、刹那……、それって、まさか」
恐る恐る尋ねると、刹那は沙慈の心境を読み取ったように、こく、と首を縦に振った。
「ああ、プレゼントは、俺だ!」
「………!!!」
息を飲む間もなく、掴まれた腕がぐいぐい引かれて沙慈は慌てた。刹那が向かっているのは、ベッドしか置いていない、寝室だ。
「せ、せ、刹那!!ちょっと待って!またこのパターン?!」
ずるずると引き摺られながら、沙慈は青褪めて声を上げたけれど、もう既に時は遅かった。
終