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 その日、頼みがあるからすぐに来てくれと沙慈に言われて、刹那は彼の部屋に来ていた。
 彼がこんな風に刹那を呼び出すなんて、とても珍しい。何か大変なことでもあったのだろうか。

「どうした、沙慈」
 目の前に立つ彼に眉根を寄せながら尋ねると、沙慈は落ち着かない様子で、それでも笑みを浮かべてみせた。
「ごめんね、急に」
「構わない。どうした」
「ええと、ちょっと……、モニターの電源が入らなくて……。きみだったら、解かるかな、って……」
「モニターが?」
 沙慈が指し示したモニターの画面は確かに真っ黒で、電源を入れても微動だにしなかったけれど、その理由までは刹那に解からない。そもそも、こう言うことは自分の専門外だ。
「イアンかミレイナに頼んだほうがいい。呼んで来る」
 機器の問題なら彼ら親娘に頼むのは当然のことだ。その方が、問題は即解決出来るだろう。的確な判断を下して、そのまま部屋を出ようとすると、沙慈は物凄く慌てたように、引き攣った声を上げた。
「あ、ちょ、ちょっと待って!刹那!」
「……?」
 突然掴まれた腕に驚いて振り向くと、何だか必死な顔をした沙慈が見えた。
「だ、だったら、いいんだ。イアンさんもミレイナも、何だか忙しそうだったから。別に、今じゃなくてもいいし……」
「……そうか」
 それなら、もう自分の出る幕ではない。そんな思いからまた部屋を出ようとしたけれど、沙慈は掴んだ腕を離そうとしなかった。
「ま、まだいいじゃないか、ちょっと……、話でもしようよ」
 それに、明らかに作り笑いと思える笑みを浮かべて、そんなこと言う。
「だが……」
「お願いだよ、刹那」
「………」
 刹那が何か言う前に、沙慈は縋るような目で頼み込んで来た。彼がそんな風に言うのを、初めて聞いた。自覚はしているけれど、自分は結構、彼に甘いと思う。だから、そんなことを言われたら無碍に出来るはずない。
「解かった」
 刹那が頷いて大人しくベッドに腰を下ろすと、沙慈はホッとしたように胸を撫で下ろした。

「え、ええと、じゃあ、何か飲む?」
 そう言って、沙慈はいそいそと冷蔵庫の中を漁り始めたのだけど、何だかどうも様子が可笑しい。明らかに、何かを隠しているように見える。
「沙慈。何を隠している」
 冷蔵庫の中を探っていた手を捕まえると、沙慈はハッとしたような顔になった。そして、じっと見詰める刹那の双眸から気まずそうに目を逸らす。
「べ、別に……何も?勘違いだよ」
「嘘が下手だな」
「そ、そんなこと!」
 ムキになって何事か反論しようとした沙慈は、先ほどからぎこちない動きをしていたせいもあってか、自分の足に躓いて、思いりベッドに片手を付いた。
「わ……っ!」
 小さな声と共に、沙慈の薄茶の髪の毛が刹那のすぐ側で揺れる。もう片方の腕は、刹那が捕まえたままだ。片手で上手く起き上がれなかったのか、沙慈は咄嗟に刹那の手を振り解こうとした。途端、刹那は捕まえた腕をぐい、と引っ張って、沙慈の体をベッドの上に引っ張り上げた。
「せ、刹那!?」
 慌てた沙慈が引き攣った声を上げるのにお構いなく、あっと言う間に上に圧し掛かって、彼の肢体を押さえ込んでしまった。ついでにもう片方の手も捕まえて、ベッドに押し付ける。
「せ、刹那!?退いてくれよ!」
 視線を泳がせながら、沙慈が抗議の声を上げる。
 応える代わりに体重をぐっと乗せると、細い肩がびくっと揺れた。
「本当に、何でもないのか」
「な、何でも……、ない」
 返す声は、力がない。でも、あくまで白状するつもりはないのか、沙慈はきゅっと唇を噛んで、そっぽを向いたまま黙り込んでしまった。別に無理矢理言わせたい訳でもなかったので、刹那は彼が何を隠しているのか引き出すのは諦めることにした。
 でも、このまま離す気にもならない。
 問い詰める代わりに、刹那は逸らされたままの沙慈の顔をじっと見詰めてみた。日焼けしていない白い肌に、柔らかそうな髪の毛。そして、押さえ込んだままの手首は細い。沙慈だって、宇宙で働いていたのだから、それなりに鍛えているのだろうけど、でも、線が細い。視線をずらして行くと、きゅっと噛み締められた唇が、血の気をなくして薄っすらと白く染まるのが見えた。
 ふと、刹那の視線に気付いたのか、沙慈がそこで顔をこちらに向けた。途端、先ほどよりもびくっと大きく肩が揺れた。ハッと息を飲む音がして、沙慈の胸板は大きく上下する。
 でも、もがいて逃げ出そうとはしない。本気でそうすれば出来るのに、そうしようとしない。刹那がどうしてこうやって自分を見詰めているのか、その意味が知りたいとでも言うように。
 何だか、妙な感じだった。ベッドに押さえ込んで、こんなに密着して――。
 沙慈が何か言いたげに唇を動かしたけれど、言葉は何も出て来なかった。代わりに、血の気をなくしていた唇に、少しずつ赤みが差して来る。
 その様に誘われるように、刹那はそっと顔を寄せた。ゆっくりゆっくり。本当に、スローモーションでも見ているように、ゆっくり。1ミリずつ距離が縮まって行くのを、沙慈は黙って受け入れている。でも、沙慈の目も、刹那の目を見てはいない。
 ああ、彼も、自分と同じ場所を見ているんだ。
 そんなことを思いながら、刹那はゆっくり目を閉じた。

 そして、あと僅かで唇が触れるか触れないかと言うとき。
「クロスロードさん!!セイエイさん!!準備が整ったですぅ!!」
「うわあっ?!」
「…………!」
 突然の通信に、二人は弾かれたように身を起こして、バッと凄い早さで距離を取った。多分、ミレイナに部屋の様子までは見えなかったはずだ。彼女は何だかはしゃぎながら、明るい声で続けた。
「すぐに食堂に来て下さいです!」
 そのまま、ぶつりと通信は切れ、部屋には気まずい沈黙が広がった。

 今のは、どう言う意味だろう。準備とは、何だ。何も、聞いていない。
「どう言うことだ、沙慈」
 答えを求めるように声を上げると、彼は乱れた髪の毛を直しながら、困ったような笑みを浮かべた。
「え、ええとね、実は、今日きみの誕生日だから、皆でお祝いすることになったんだ。それで、準備が出来るまで、きみをここへ引き止めておくようにって言われて……」
「……そうか」
 それで、か。彼の様子がぎくしゃくしていたのが、ようやく解かった。やっぱり、嘘を吐くのが下手な沙慈。スメラギも、今回ばかりは人選を間違えたらしい。
「で、でも、ごめん。何か、こんなことになっちゃって」
「……いや」
 それだけ言って、部屋から出ようと、くる、と背を向けた沙慈の耳が真っ赤になっているを見て、刹那は何だか妙な気持ちが再び湧き上がるのを感じた。
 あと少し。もう少しだけ、準備が整うのが遅かったら、どうなっていたんだろう。
 確かめたい。沙慈に、触れてみたい。
 思わず手を持ち上げそうになったところで、また彼がくるりと振り返って、今度はいつも同じ笑顔を浮かべた。
「そうだ。さっき、言い忘れたけど」
「……?」
「誕生日おめでとう、刹那」
「ああ……。ありがとう」
「ここじゃ、ぼく個人は何も用意出来ないかも知れないけど、何か欲しいものあったら、言ってね」
「考えておく」
「うん」
 それ以上会話はなくなり、二人は皆が待つ部屋へと足を進めた。

 ――何か、欲しいものがあったら。
 刹那の頭の中に、今の沙慈の言葉と、先ほどまでの行為が交互に浮かび上がる。
 あの後、どうなったのか、それが知りたい。さっきの続きがしてみたい。
 そう言ったら、沙慈は受け入れてくれるだろうか。
 ふと、視線を上げて前に行く沙慈を見ると、彼の首筋はまだ仄かに紅潮したままだった。
 きっと、大丈夫だ。受け入れて貰える。
 刹那はそう確信した。