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そんなことがあった後も、沙慈は未だソレスタルビーイングと行動を共にしていた。
刹那とも、普通に話をしたりする。彼は、あの日のことについて一言も触れようとしなかったし、沙慈からも何も言わなかった。
ただ、作業をしている自分を手伝ってくれる彼と他愛もない会話をしていると、ふと、以前日本で会ったときのような感情が蘇って沙慈を混乱させた。
仲良くなれるかも知れない。そんな風に思って、接していた。
今は、どうだろう。距離を置きたいのに、完全に離れてしまうことは出来ない。込み上げる怒りをぶつければ、直後に罪悪感に苛まれる。親しみを感じているのに、それを認めたくない。
あのとき、あんな状況だったとは言え、体だけは重ねてしまったのに。心は擦れ違ってばかりだ。いや、あんな状況であんなことをしてしまったからだろか。余計、頭の中が混乱している。
あのとき、刹那はどうして沙慈の挑発に乗って来たのだろう。そして、自分はどうしてあんなことを言ったのだろう。いくらヤケになっていたからって、どうして。
(解かる訳ない)
そんなこと、解からない。
刹那はいつも、何も言ってくれない。たまに告げられる言葉は、不可解で沙慈を苛立たせるものばかりだ。
けれど、機動エレベーターが崩壊してから、少しずつ関係に変化が現れていたように思う。
怪我をして帰って来た刹那は、それでも衛星兵器を破壊する為に宇宙に上がろうとした。そのとき、彼はオーライザーのパイロットに沙慈を選んだ。
どうして、彼は自分を戦わせようとするのだろう。彼が言った、守る為の戦い。それから、ルイスを取り戻す為の戦い。
沙慈には、引き金を弾けない。だとしたら、ただオーライーザーに乗って、叫んでいるだけだ。刹那に戦わせ、刹那に引き金を弾かせ。それでいいのだろうか。
それでも、彼は沙慈に乗れと言うのだろうか。
(刹那、どうして)
そう尋ねたいけれど、いつも言葉が出て来ない。
でも、頭の中では何となく気付いていた。彼はきっと、沙慈にルイスを取り戻して欲しいと本気で思っているのだ。どうしてそんな風に思ってくれるのだろう。
それに、本当は感じていたはずだ。ここへ来たときからずっと、刹那がどれだけ沙慈のことを気にしていたのか。彼なりに、とても、自分のことを見ていてくれた。でも、それに気付かないふりをしていたかった。気付いてしまえば、彼を恨み続けることが出来なくなるからだ。
でも、今はもうそう言う思いだけじゃない。もっと、知りたいと思っている。けれど、いつも喉元まで出た言葉は口にすることなく飲み込まれてしまっていた。
それから、再び戦闘が激化して来た頃。刹那は仲間である男の大事な人をその手で撃つことになった。幾度も幾度も振り下ろされるロックオンの拳は一発一発が酷く重くて、悲鳴を上げているように必死で、誰も止めに入ることが出来なかった。沙慈も、心配で駆け付けたものの、足は動かなかった。
何より、刹那が……。
刹那のあの、殴られている間中どこか遠くを見ていた目が、何だか不安で、ずっと瞼に焼き付いて離れなかった。
彼は、何も言わなかった。でも、彼だって傷付いているのは、よく解かった。だからこそ、何も言わなかったのだと思った。
そのことと、再会したとき、彼に銃を向けて詰ったときのことが重なる。あのとき、彼は何も言わなかった。でも、今なら解かる。あのときも、きっと彼は傷付いていたに違いない。
黙って受け入れようとしたのは、自分のしたことの重さを解かっているからだろうか。負い目があるからだろうか。
でも、そこまでして、どうして。
あの何も言わない目が、本当はとても傷付いて、今にも真っ赤な涙を流しそうに見えるのは、何故だろう。
数日後。
戦況が落ち着くのを見計らって、沙慈はそっと刹那の部屋を訪ねた。
「刹那、きみはどうして戦っているの?」
「……どうした、急に」
「理由があるって、言ったよね。それはきっと、ぼくには理解出来ないかも知れない。でも、知りたい」
「……」
「そもそも、きみは……いつから戦っているんだ」
胸に燻っていた疑問をぶつけると、刹那は沙慈から視線をずらした。
「子供の頃からだ。そうするしか、なかった」
「どうして、そんな……」
「そんなことは、俺が聞きたい」
「……刹那」
珍しくはっきりと告げられた言葉に、沙慈は目を見開いた。いつも、彼は何も教えてくれなかったのに。ぽつぽつと語られる声を聞き逃すまいと、沙慈は息を詰めた。
「ずっと、知りたかった。何故、あんなことになったのか。何故、世界はこうも歪んでいるのか」
「それが、きみの戦う理由なのか?」
「ああ、そうだ」
「でも、世界だなんて。ぼくは、自分の大切なものを守りたいと思うだけで精一杯だ」
「……」
「それに、心に傷を負えば、何かを憎みたくなる。きみが世界の歪みを憎んでいるように、ぼくは、きみたちを……」
「……そうだな」
「でもぼくは、きみたちを憎みきれない。戦うことだって出来ない」
「だからお前は、お前の大事なものを守ればいい。彼女を、アロウズから取り戻せ。それだけ考えていればいい」
そう言われて、涙が出て来そうになった。刹那の気持ちが、初めてすんなりと沙慈の胸の中に落ちて来た。戦えと彼が言ったのは、こう言うことなのか。
でも、彼は本当にそれでいいのか。これからも、そうやってずっと痛みを背負って行くのか。
そこで、くるりと自分に背を向けた刹那に、沙慈は焦って声を上げた。
「刹那っ!どこへ?」
「トレーニングをしてくる」
「ま、待ってくれよ!」
思わず、立ち去ろうとしていた腕を捕まえて、沙慈はしがみ付くように彼に身を寄せた。
「沙慈・クロスロード?」
震える肩に、自分の嗚咽が伝わったのか、刹那が小さく息を飲んだのが聞こえた。
沙慈の手を、刹那は振り払おうとしなかった。ただ黙って、沙慈の言葉を待っているように見えた。
数秒の沈黙の後。沙慈は震える声を吐き出した。
「それじゃあ、きみの傷は、どうやったら癒えるんだ」
「戦いで、世界を変える」
「その為に、他の誰かが傷付いても?」
「それでも、戦わなければ何も変えられない」
「刹那……」
けれど、きみは本当は、とても苦しんでいる。
喉の奥から出かかった言葉を、沙慈は飲み込んだ。
そんなことを言っても、自分に出来ることなど、あるのだろうか。刹那の為に。何か出来ることは。
「ぼくは、きみのこと、もっとよく解りたいんだ。きみがぼくの痛みを解ってくれたみたいに」
「……」
「少しだけでいい。刹那……、ぼくもきみのことを知りたい」
こんな風に思うことは、差し出がましいだろうか。でも、言わずにはいられない。
顔を上げると、困惑したような刹那の目が見えた。沙慈の言葉に戸惑い、刹那が揺れている。あんなに恨み言をぶつけても憎しみの感情を投げ付けても、少しも動揺しなかった刹那が。沙慈の掛ける労わりの言葉に揺れて、心を動かしている。
そう思うと、目の奥が熱くなった。
長い沈黙の後。彼は再び視線を伏せ、まるで独り言のようにぽつりと呟いた。
「痛み、か……」
「……刹那?」
「お前のことを考えると、苦しくなる」
「……?」
「あのときからずっと思っていた。お前に触れられないと、痛い気がする」
「……刹、那」
あのとき。
きっと、やり切れない怒りと悲しみがぐちゃぐちゃになった気持ちのまま、体を重ね合った日のことだ。今でも、思い出す度に胸の中が苦いもので溢れる、あの日のこと。
沙慈が目を見開くと、刹那は視線をこちらに戻し、正面から覗き込んで来た。もう、その双眸に動揺の色は浮かんでいなかった。
「沙慈・クロスロード、俺はお前に触れたいと思う」
「せ、つな……」
真っ向から告げられた台詞に、どく、と鼓動が高鳴って、周りの時間が静かに止まってしまったような気がした。
刹那の声だけが、耳元に煩く木霊する。
ゆっくりと伸びて来た手が、そっと頬に伸ばされても、沙慈は動けずにいた。
見開いた双眸には、刹那の姿が映し出されている。
ゆっくりと唇が重なった途端、止まっていた時間が動き出して、沙慈の目の前は真っ赤に染まってしまったような気がした。
手を引かれて、側にあったベッドに押し倒される。即座に圧し掛かる体の重さと温かさに、知らず身が竦む。
でも、抵抗する気にはならなかった。
「沙慈」
「……っ」
ぐっと圧し掛かられて、肢体が密着する。体を走り抜けたのは恐怖でも嫌悪でもなくて、身を焼いてしまうような熱い疼きだった。
彼の痛みを少しでも取り除きたいと思った。それに、沙慈が必要なのだ。
「いいのか、沙慈」
降って来た声に目を上げると、刹那は何だか心配そうな顔でこちらを見下ろしていた。思わず口元を緩め、沙慈は彼をじっと見上げた。
「そんなこと、ぼくには解からないよ。でも、今はきみを慰めてあげたい」
彼が痛みを感じているなら、少しでも。
「きみの痛みを、少しでも、ぼくが……」
「……沙慈」
そっと手を伸ばして、沙慈は刹那の首筋に手を回し、こちらに引き寄せた。初めて沙慈から触れた唇を、刹那は拒まなかった。
「沙慈・クロスロード」
何か、丁重な儀式の前触れのように、静かな声で刹那は沙慈の名前を呼んだ。刹那の目が、自分を見詰めている。
そうだ、まるで儀式みたいだ。肌に触れる刹那の仕草には、興奮や欲と言った感情が殆ど感じられなかった。この行為は、そう言うものじゃない。お互いもっと、心を曝け出す為のものだ。
深く唇を重ねると、体の奥を熱いものが駆け巡った。ただその感情に翻弄されるまま、沙慈は圧し掛かる刹那の体を抱き締めた。
「沙慈」
「……ぁ、せ、刹那……」
ぎゅっと、痛いほど掴まれた手首のせいで指先が白く変わる。
彼の熱が自分を侵蝕していくのが、心地良い。もう、以前感じた苦い痛みはない。刹那も、そうであればいいのに。そう願いながら、沙慈はゆっくり目を閉じた。
それから、長い戦いが終って、沙慈は再会出来たルイスと一緒に地上に降りることになった。
別れる前、沙慈は刹那の部屋を訪ねて、笑顔を作った。
「刹那、ええと、その、今まで色々ありがとう」
「沙慈、色々、災難だったな」
戦いに巻き込まれたことを言っているのだろうか。不器用な彼の言葉に、沙慈は再び笑みを浮かべた。
「これから、どうするの?ソレスタルビーイングに、残るんだよね」
「ああ」
「そっか」
それは、また戦うと言うことだ。それを考えると、まだ複雑なのは拭えない。けれど、今くらいは思ったことを素直に告げたかった。
「ぼくは……戦いは、やっぱり好きじゃないし、誰かが傷付くのは嫌なんだ。だから、ぼくに出来るのはきっと……そう言う世界じゃなくなることを願うだけかな……」
「……」
「でも、もしまた戦いだらけの世界になったとしても、それでもやっぱり、ぼくはきみの無事を、きみの幸せを願うよ」
「沙慈……」
「世界がどうとか、それが大切なのは解ってるんだ。きみが戦えば誰かが傷付くことも」
だから、正しいとか、正しくないとかは解からない。でも、彼の無事を願ってしまうのは、理屈じゃない。
「きみがどうしようもなく傷付いたら、また、少しでも癒してあげたい」
そこまで言って、何だか自分の言葉が恥ずかしくなって、沙慈は照れたように頭を掻いた。
「まぁ、ぼくじゃなくても、きみになら、マリナさんとか、フェルトとか、いると思うけど……」
そこまで言ったところで、ぐい、と肩が引かれて、沙慈の体は刹那の腕にすっぽりと納まっていた。一瞬、何が起きたか解からなくて目を見開く。でも、温かい温度とすぐ側で聞こえる呼吸に、自分が抱き締められているのだと気付いた。
「刹那……」
吐息を吐くように名前を呼んで、沙慈もそっと刹那の背中に腕を回した。
長い時間そうしながら、沙慈は先ほどの言葉を何度も胸中で繰り返した。
きっと、刹那は沙慈の気持ちを解かってくれた。だから、彼がどうしようもなく傷付いたときは、沙慈のところへ来てくれる。そんなときは、自分に出来ることなら何でもしてあげたい。でも、そんな悲しいことは、本当なら起こらない方がいい。
けれど、どちらにしろ……。
刹那・F・セイエイ―。
ぼくはずっと、きみの幸せを願っている。
終