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床に蹲ったまま、どれくらい泣き伏していたのだろう。
ごく短い時間だったに違いないけれど、沙慈にとっては酷く重たく長い時間に思えた。

でも、やがて伸びて来た手に腕を掴まれて引かれ、強引に立たされた。
絶望と後悔のどん底から、強い力に引き上げられたような感覚に一瞬陥る。
顔を上げて目を開くと、自分の腕を捕らえていたのは刹那だった。

(刹那…)

もう、どこかへ行ってしまったのか、あの紫の髪の人はいない。

「刹、那…」

沙慈は震える声で彼の名前を呼んだ。
彼も、事情を知ってしまった。一体、今何を言われるのだろう。
怯えたように見開いた双眸に映ったのは、いつもより少し動揺しているように見える彼の目だった。
けれど、刹那は責める言葉を口にする代わりに、足元がおぼつかない沙慈の腕を取り、引き摺るように歩き出した。

「来い、沙慈」
「…ど、どこへ…」
「ここにいても仕方ない。違うか」

そのまま、刹那はこちらの返事を待たずにずんずんと先へ進み始めた。

確かに、彼の言う通りだ。
ここにいても、何も出来ない。
でも…。

輸送機の座席に腰を下ろした後も、沙慈はただ呆然としていた。
けれど。ここにいたら、何をされるか解からない。
そう言われた言葉だけが、やたらと頭の中に木霊していた。
きみたちは恨まれて当然だと、先刻刹那に言った言葉を、他の誰かから向けられるかも知れない。
そんなことになるなんて、思ってもみなかった。
本当に、どうしてこんなことになったんだろう。

「……う、っ」

込み上げる吐き気に、沙慈は思わず口元を手の平で覆った。



トレミーに戻った後も、沙慈の腕を引いていたのは刹那だった。
艦内はまた慌しく警報やら何やらが鳴り響いている。
彼らは、残ったカタロンの人々を逃がすために、次の戦闘に入るらしい。
また、戦うのか。もうそう言う風に責める気になんてとてもならない。
それに、作戦の指揮を執っていたらしいあの女の人が倒れたとかで、また彼らは窮地に陥ろうとしている。

「戦闘が終るまで、ここにいろ」

あの独房とは違う、普通の部屋の前に着くと、刹那は扉を開けて沙慈の体を中へと押し込んだ。

「刹那…っ」
「話は後だ、ここにいるんだ」
「刹那!!」

出て行こうとする彼の腕を、沙慈は縋り付くような思いで捕まえた。
先ほど、自分を暗闇の中から引き上げてくれた手。
刹那の手だ。
それを捕まえた途端、苦い思いを掻き分けて、熱いものが胸の奥から込み上げて来た。

「すまない、ぼくのせいなんだ。みんな、ぼくのせいで…」
「落ち着け、沙慈…」
「けど、刹那、ぼくは…!」
「沙慈…!」
「……っ?!」

叫ぼうとした言葉が、ぐっと押し付けられたものに塞がれて途切れた。

「――んっ、ぅっ?」

驚いて見開いた双眸に、刹那の顔が映し出される。
温かく、柔らかいもの。
それが刹那の唇の感触だと気付くのに、数秒が掛かった。
彼は沙慈の嗚咽も悲鳴も飲み込むように、ただひたすら黙って唇を押し付けていた。
沙慈が息を飲み、放心したように黙り込むのを見計らって、唇は静かに離れた。

「黙っていろ」
「せ、つな…」
「解かっている。お前だけが悪い訳じゃない」
「……?」

彼はそう言って、自分よりも少し高い位置にある沙慈の首筋に腕を回した。
抱き締めた訳じゃないと思う。
ただ、ぐっと近付いた体温に思考を奪われた途端、耳元で押し殺したような声が聞こえた。

「刹那…?」

よく聞き取れなくて、沙慈は彼の名前を呆然としたまま呼んだ。
でも、問い掛けるような呼び声に応えはなく、刹那は沙慈の両腕を掴んで距離を取った。

「とにかく、ここにいろ。話は後だ」

それだけ言って、刹那は走って部屋から出て行ってしまった。
耳元に、熱い吐息と一緒に残った声。
こうして、世界が歪んでいるから、だから戦う。
よく聞き取れなかったけれど、彼は確かにそう言ったような気がした。