SS




あの日、冷たい風が吹く寒さの中、沙慈は小さな仔猫を拾った。
名前は、刹那だ。
まだ小さくてミルクが好きで、そして結構寂しがり屋の猫。
夜は沙慈のベッドによく潜り込んで来て、いつも一緒に寝ている。
沙慈が知っているのは、そんな愛らしい仔猫のはずだ。
それなのに。

「それなのに、何でこんなことになったんだ」

職場のデスクに向かいながら、はぁーと溜息を突くと、沙慈は頭を抱えた。
今、刹那と言う名前を聞いて思い浮かべるのは、少し大きくなった猫の姿をした彼と、何だか知らないけど自分と同じ年くらいの無愛想な青年の顔だ。

少し前、ミルクを買いにコンビニへ走った日、戻ってみると刹那はもう猫に戻っていた。でも、今度こそは夢だなんて言葉で片付けられなかった。以前のように寝惚けていた訳じゃない。自分の上に圧し掛かって、唇をくっ付けて来た青年の姿を、もう忘れることは出来ない。

「刹那、きみは一体なんなんだ」

そう呟きながら彼の顔を撫でると、刹那は答えるように小さな舌を出して沙慈の手を舐めた。

「……っ」

彼が本当は人間の姿をしていると思うと、そんな仕草にも、いちいちドキっとしてしまう。
それに、またいつ彼が人間の姿になるのかと思うと、始終落ち着かない。他人と一緒に住んでいるようなものだ。
でも、今更捨てることなんで出来ない。
そう言う訳で、沙慈は刹那と奇妙な同居生活をしていた。

でも、相変わらず刹那は沙慈の帰りを玄関で待っているし、寒さを凌ぐようにベッドに入って来るし、そう言うところは今までも変わらない。
ただ、問題はある。例えば。

「わぁ!せ、刹那!」

夜中。突然、ふと目を覚ました沙慈は、目の前にあった青年の寝顔に引き攣った声を上げた。
大きな声で起こされた刹那は、眠そうに目を擦りながらむくりと起き上がった。

「なんだ」

無表情、と言える顔のまま声を上げる彼に、沙慈は声を荒げた。

「人間になってるときはベッドに入ってきちゃ駄目だって、何度も言ってるじゃないか!」
「……。何故だ」
「何でもだよ!だいたい、男同士二人で同じベッドに寝るなんて可笑しいんだって」

沙慈を悩ませているのは、これだ。
刹那が寝ている間に人間の姿になっていること。猫となら、同じベッドでいくらでも寝ていいけど、相手が青年となると、話は別だ。
でも、刹那は沙慈の言葉に不服そうに眉根を寄せた。

「お前は、温かい」
「そ、それは、そうだけど……。だ、だから、人間にならなければいいんだって」
「それは、俺の自由にはならない」
「そ、そんな……」

刹那の言葉に、沙慈も困ったように眉根を寄せた。
刹那が自分の意志で猫になったり人間になったりしている訳じゃないなら、仕方ない。でも、だからって一緒に寝るなんて。でも、追い出して風邪を引かれるのも困る。
どうしたらいいだろう。ソファででも寝て貰おうか。
そんな感じで色々と悩む沙慈にはお構いなく、刹那はまた毛布の中にごそごそと潜り込んでしまった。

「あ、刹那!駄目って言ってるのに」

咎めるように声を上げたけれど、刹那は聞き入れない。

「お前も寝ろ、沙慈・クロスロード」
「刹那!」
「大丈夫だ、何もしない」
「な、何もって、なんだよ!」
「言葉通りの意味だ」

そんなことを言うと、刹那はそのまますうすうと寝息を立てて眠ってしまった。

「刹那……」

あどけない彼の寝顔に、思わず呟きが漏れる。
彼には、本当に他意などないのかも知れない。
でも、何度も何度もキスされてるし、何だか勝手に身構えてしまう。
いや、あれだってキスって言うのか。もしかしたら刹那は、単に何も知らない子供みたいなものかも知れない。人間だとあんな青年の姿だから戸惑ってしまうけど、実際はあの拾って来たときの、仔猫のように…。
そう思うと、少しだけ警戒を解いて、沙慈はゆっくりと自分も毛布に潜り込んだ。
確かに、いつも一人きりだからか、こうして誰かと一緒にいるととても温かい。刹那の体温はとても心地良い。そんなことを思っていると、段々と眠くなって来た。瞼が勝手に閉じる。気だるくて心地良い眠気に意識が引き摺られてしまう。
やがて、沙慈も規則正しく小さな寝息を立て始めた。

「沙慈・クロスロード」

静かな呼び声と共に、目を開いた刹那がゆっくりと起き上がって、頬にキスをしたのには気付かず。その日はもう朝まで目覚めることなく、沙慈は深い眠りに就いた。
ただ、何だか温かいようなくすぐったいような、心地良い余韻だけがずっと残った。