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「あのさ、刹那。初詣に行ってみない?」

今日は、新しい年が始まってまだ二日しか経っていない日の朝だ。
外にちらちらと降る雪を、窓に頬がくっつきそうなほど夢中になって見詰めていた刹那に、沙慈はふと声を掛けた。
昨晩からやたらと冷え込んでいると思ったら、朝起きると雪が降っていた。刹那はとても寒がって、当然のように沙慈の布団に潜り込んで来ていた。
あの日以来、変に意識するのを止めたので、沙慈も彼を温かく迎えてあげている。でも、何だか最近の刹那は人間でいるときの方が長い気がする。猫のときみたいに、人間の姿になっているときでも、寒さを凌ぐようにぐいぐいと体を押し付けてくるので、何だか落ち着かない。でも、確かに刹那がいると温かいし、彼は本当に何もしようとしなかった。ただ、ときどき、寝返りを打ったりする弾みで彼の唇が微かに頬を掠めたりして、ドキっとすることがあった。
それに、刹那がそんな風にする理由はもう一つある。最近、お正月休みに入る前に仕事が忙しくて、なかなか早く帰って来れなかったからだ。そんなとき、彼はどんなに玄関が寒くても沙慈のことを待ってそこにじっと座っている。
きっと、寂しいんだろうと思う。今はそれが解かっているから、拒絶することが出来なかった。
でも、今はお正月休みに入って、ずっと家にいる。折角だし、どこかへ二人で出掛けるのもいいと思ったのだ。幸い、今彼は人間の姿になっている。
人間になるとどうして服まで着ているのかとか、そう言うことが気にならない訳じゃないけど、今はそれより久し振りに遊びに行きたかった。
けれど、沙慈の誘いに振り向いた刹那は、少しの沈黙の後、不思議そうに首を傾げた。

「初詣とは、何だ」

仔猫なのか人間なのか自分でも解からない彼は、そう言うことも解からないらしい。
不可解だと言うように眉根を寄せた刹那に、沙慈は笑顔を浮かべてみせた。

「ええとその、何だろう。正月になると行くものなんだけど、とにかく行けば解かるよ」
「そうか」
「行きたくない?」
「そんなことはない」

そんな会話の後、二人は支度をしてマンションを出た。
外はまだ雪が止まずに降り注いでいて、あっと言う間に頬も手も冷たくなってしまった。

「寒い」
「う、うん、そうだね。でも結構近所だから」

寒そうに身を硬くする刹那を励ましながら、二人で目的地まで足を進めた。
外が寒かったせいか、彼は温もりを求め何度も沙慈の側に擦り寄ってきたけれど、ここは家の中とは違う。いつもベッドの中でくっついているみたいに大の男二人が身を寄せ合って歩いているなんて、ちょっと可笑しい。

「刹那、外ではくっついちゃ駄目だよ、絶対!」
「………」

かなり不服そうな刹那の顔が目に入ったけれど、そこだけは譲れない。沙慈は心を鬼にして、ひたすら足を早めた。



神社に着くと、初めて来る場所に、刹那は物珍しそうにひたすら辺りを見回していた。
沙慈も、一年ぶりの初詣に少し気分が明るくなって来る。数年前、一緒に来た女の子のことが脳裏を掠めて、思わず切ない気持ちになってしまったけれど、刹那がそれを少し癒してくれた。
暫く、二人でおみくじを引いたり、出店で小物を買ってみたりしていたけれど、やがて沙慈はあることに気付いた。
何となく、刹那の口数が少ない。彼は元々無口であまり喋らないが、それだけではない。どうしたのだろう。
刹那の顔を覗き込んで、沙慈は表情を曇らせた。

「刹那、顔色、悪いよ。どうかした?」
「問題………ない」
「そうは見えないよ。もしかして、寒い?」

沙慈の質問に刹那はこくんと首を縦に振った。
確かに、彼の顔色はすっかり青褪めていて、よく見ると肩も小さく震えている。
寒さに弱いのは猫のときだけじゃなく、人間のときもなのだろうか。だとしたら、まずい。

「ご、ごめん、刹那。もう帰ろう」

慌てたように言うと、沙慈は性急に刹那の手を掴んで家へと引き返した。

「手を繋ぐのは、まずい」
「もういいよ。それより、きみの方が心配だから、急ごう」

先ほど自分がくっつくなと言ったことを気にしているのか、刹那は沙慈の手を振り解こうとしたけれど、それどころじゃない。
先ほどよりもぎゅっと力を込めて手を握ると、沙慈は足早に家までの道のりを急いだ。
刹那の手は氷みたいに冷たくて、沙慈の体温もどんどん奪っていくけれど、それでも全然気にならなかった。



そう言う訳で、二人は一時間もしない内に外出を終えてマンションに戻って来た。

「すまない、沙慈・クロスロード」

珍しくしおらしい様子でそう言う刹那に、沙慈は笑顔を浮かべてみせた。

「大丈夫だよ。こっちこそ、無理に連れ出してみたいで、ごめん」

とにかく、一刻も早く温めてあげなくてはと、沙慈はバスタブにお湯を溜め始めた。
お湯がいっぱいになる間、取り敢えず毛布で包んであげると、刹那は温かそうにそこに顔を埋めた。

数十分後。

「もう大丈夫だよ、刹那。お風呂に入って温まって」
「了解」

こく、と頷いてバスルームへ向かおうとした刹那は、一端足を止めて沙慈の方を振り向いた。

「お前も、入れ」
「ええっ?!」
「お前も、寒そうだ」
「い、いや、ぼくはきみの後で入るよ」
「駄目だ、風邪を引く」
「え、ちょ、ちょっと!刹那!」

突然の申し出にうろたえるこちらにはお構いなく、刹那は沙慈の手を捕まえて、ぐいぐいとバスルームの方へ引いた。
先ほど、神社から家までは沙慈が彼の手を引いていたのに、今は逆だ。
それに、何て強い力だろう。全然振り解けない。
そのまま、彼は沙慈の体をバスルームに放り込むと、問答無用でシャワーのコックを捻った。

「うわっ!」

当然、勢いよく降り注いだ湯に服はびしょ濡れになってしまって、沙慈は情けない声を上げた。
そう言えば、今までお風呂に入るときはいつも猫の姿のときで、一緒に入っていたから。だから、刹那はこんなことを言い出したのだろうか。そう思うと、怒る気にもならない。
ただ、服を脱いでから入浴することはちゃんと教えてあげないと。そう思って体の力を抜いた途端、軽い衝撃が来て、沙慈はバスルームの壁に背中を突いていた。

(え……?)

驚いて見開いた目に、刹那の顔がすぐ近くで映し出される。
バスルームはそんなに広くないから、彼が側にいるのは可笑しいことじゃない。でも、何だか急に落ち着かなくなった。

「せ、刹那、退いて」

出口を塞ぐように立っている刹那にそう呼びかけて、彼の体を横へ追いやろうとしたのに。その手ががしりと掴まれて、壁に押し付けられた。

「刹那、っ!」

そのまま、呼び声を塞ぐようにゆっくりと唇が押し付けられる。突然触れた温かい感触に、思わずどくんと鼓動が跳ねた。
以前のようにミルクを欲しがって必死に唇に吸い付いて来たときとは違う。そっと柔らかく、突き飛ばすことなんて出来ないほど優しい仕草に、身動き出来ないまま思考が奪われる。

「ん、……ぅっ」

徐々に深くなるキスに、沙慈は微かな声を上げたけれど、しきりに降り注いでくる湯の音に消されて、きっと刹那には聞こえなかったに違いない。
なんだか、力が入らない。抵抗出来ないし、いつもみたいに叱り付けることも出来ない。
服はすっかりびしょ濡れになってしまって、肌に張り付いた布地が不快で堪らないはずなのに、何故か足は止まったままだ。
やがて、手首を掴んでいた刹那の指先から力が抜けても、沙慈は逃げなかった。ただ、触れてくる心地良い感触に酔いながら、そっと目を瞑った。

そうしている内に、冷たかったお互いの手足も触れ合っている唇も、すっかり温もりを取り戻して、温まると言う目的は果たされたのだけど。
長い時間が過ぎて刹那がようやく唇を離すまで、沙慈はそこから動くことが出来なかった。



結局、バスタブに溜めたお湯はすっかり冷めてしまって、また温め直す羽目になってしまった。
しかも、濡れた服を乾かすのも大変だったし、タオルを用意する間もなかったから、廊下もびしょびしょになって、色々と苦労したけれど、やっぱり怒る気にはならなかった。
何だかずっと、刹那の唇の感触が離れない。どくん、どくん、といつもより大きく心臓の音が鳴っている。
これはきっと、温かい湯に浸かり過ぎたせいに違いない。
動揺を押し隠すように、沙慈はバスタオルで髪の毛を拭いている刹那を振り返って、明るい声を上げた。

「刹那、来年も一緒に行こうね。今度はちゃんと温かくして」
「ああ、そうする」

頷いた彼の顔は、心なしか嬉しそうに見えた。

彼には、まだ色々と教えなくてはいけないことがいっぱいある。
何だか今年は彼に振り回される一年になりそうだけど、それもきっと楽しいだろうな、と沙慈は暢気に思った。