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刹那・F・セイエイは、食事の乗ったトレイを手に、ある場所を目指してアジトの中を歩いていた。
長い廊下の突き当たりにある部屋。
そこにいる人物に、食事を運ぶ為だ。
彼を止むを得ない理由からあの独房のような部屋に入れて、もう何日になるだろう。

「沙慈・クロスロード、食事だ」

扉を開けて中に入ると、ベッドの上で膝を抱えて蹲っていた沙慈・クロスロードはゆっくりとこちらを見た。

「刹那…。そんなことより、いつまでぼくをここに入れておくんだ」

彼の言葉に、刹那は眉根を寄せた。

「お前こそ、いつまで意地を張るつもりだ」
「意地って、ぼくは…そんな…」
「………」
「………」

二、三言葉を交わしただけで、二人の間に一気に緊迫した空気が広がった。
でも、次の瞬間、沙慈は沈黙に耐え切れなくなったように刹那に向けて声を荒げた。

「だいたい、着る訳ないよ!!ウェディングドレスなんて!!」

沙慈の言葉通り。
部屋の壁際には、これでもかと言うほど純白のウェディングドレスがこれみよがしに掛かっていた。
刹那がスメラギに頼んで取り寄せて貰ったものだと言うのに。どうしてか、沙慈は聞き入れてくれないのだ。
お陰で結婚式を挙げられず、刹那はまだ沙慈のことを沙慈・クロスロードと呼んでいる。

「割と似合っていると…思うが…」
「そんなはずないだろ!それに、そんなこと言われても、嬉しくないよ!」

精一杯のフォローをしたつもりなのに、沙慈は更に機嫌を損ねたのか、壁に拳を叩き付けて叫んだ。

(何だ、一体、何がいけない…)

折角、世界の歪みを破壊したと言うのに。これでは、何も変わらない。
どうしたら良いのだろう。
刹那が黙り込んでいると、沙慈は堪った鬱憤を晴らすように尚も言葉を投げ付けて来た。

「それに、解かってるのか!きみのしたことだって、犯罪みたいなものなんだって!」
「……何のことだ」
「だから、その…、きみが、ぼくを…、む、無理矢理…」
「………」

そこで、沙慈は口を閉ざして、頬を赤らめて俯いてしまった。
何のことだろうと思考を巡らせて、刹那はすぐに理解した。

「この前のことなら、合意だったと思うが」
「……!ち、違うよ!会ったその日に、あんなことに合意する訳ないじゃないか!」

沙慈の言葉に、刹那は赤み掛かった茶色の目を曇らせた。
確かに、スメラギにもやり過ぎだと後で注意された。
でも、始めこそ抵抗していた沙慈だったけど、段々そうでもなくなっていたような…。
迷った末、刹那は再び口を開いた。

「なんなら…ヴェーダに、あのときのデータが残っている。確認してみるか」
「……えっ?」

途端、沙慈の顔が赤から青に変わった。

「音声も映像もきちんと残っているはずだ」
「な、何でそんなものが?!」
「ヴェーダに報告したときに、入力を…」
「そ、そんなもの…!頼むから消去してくれよ!」

彼はベッドの上で壁際に逃げ、嫌だと言うように首を横に何度も打ち振った。

「……」

また、何かが擦れ違っている。
こんな顔をさせたい訳じゃないのに。
どうしたら良いのだろう。
少し考えて、刹那は足を一歩進め、ぎし、と音を立てて沙慈のベッドに膝を乗せた。
びく、と沙慈の体が強張るのを見て、なだめるように声を上げる。

「沙慈・クロスロード」
「こ、今度は…、何?」
「もう…無理なことはしない、お前が嫌がることは二度としない」
「い、今更そんなこと!だいたい、ぼくはキスしたこともなかったのに!ルイスとだって、まだ…」
「俺もだ」
「……え?」
「俺も、そんなことはしたことがない」
「な…、じゃ、じゃあ、どうして…ぼくと」
「お前がいいと思ったからだ」
「…せ、刹那…」

驚いたように目を見開く沙慈の手を取って、刹那はそっと自身の口元に運んだ。
ゆっくりと手の甲に唇が触れると、沙慈は少しだけ身じろいだけれど、でも逃げようとはしなかった。

「とにかく、食事を摂れ」
「うん…、ありがとう、刹那」

ベッドから降りた刹那が笑顔を浮かべると、沙慈も釣られたように笑みを浮かべた。



「また、流されてしまったのね…」
「ええ、そうみたいですね」
「この分じゃその内、あれも着ちゃうわよ、あの子…」
「そうかも…知れませんね」

そんな二人のやり取りを、扉の隙間から心配そうに覗いていた女性陣には気付かず…。
この日、刹那と沙慈の心の距離は少しだけ縮まった。