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その会話を聞いたのは、本当に偶然だった。

(あれは、刹那と…刹那のクラスの、先生かしら)

夕食のおかずで買い忘れたものがあって、マリナは近所のスーパーに買い物に出掛けていた。
そして、帰る途中で、家の前に止まっている車に気付いた。
運転席に座っているのは、マリナと同じ年くらいの、ブラウンの髪の男性。
見覚えがある。確か、転校の手続きのときに見た。
やっぱり間違いない。刹那のクラスの担任教師だ。
どうやら、車で送って貰ったらしい。
車を降りた後も、刹那と男性教師は何事か話し込んでいた。
思わず電柱の影に身を隠して様子を伺いながら、マリナはそっと聞き耳を立てた。

「全く、お前はどうしようもない……バカだ」

教師がそう言うと、刹那はとても嬉しそうに笑ってみせた。

「ありがとう、最高の褒め言葉だ」

(……?!)

なっ、何ですって?!

(今、何て言ったの?!)

二人の会話に、マリナは思い切り息を飲んだ。
どうしようもない、の続きがよく聞こえなかったけど。
でも、その後ははっきり聞こえた。確かに、バカだと言った。
そうしたら、刹那が…笑った。

(せ、刹那が…笑った!?)

どう言うことなのだろう。
ずっと、刹那の笑った顔がみたいと思っていたけれど…。まさか、こんな形で叶うなんて。
刹那にとって、バカって言う言葉が、最高の褒め言葉なのか。

家に戻って夕食の支度をしながらも、マリナは悶々としていた。
刹那の笑顔がみたい。あんな風に、笑い掛けて欲しい。
でも、あろうことかバカだなんて…。そんなこと、嘘でも言えない。
けれど、刹那の笑顔は見たい。見たいに決まって る。
だったら、腹を括らないと。
シーリンにも言われたではないか、毅然としろと。

(そうよ…。しっかりするのよ、マリナ・イスマイール。心を鬼にして…)

遂に覚悟を決めると、マリナはにこやかな笑顔を浮かべて刹那を呼んだ。

「ねぇ刹那…」
「何だ」
「ええと、その…」

一度ごく、と喉を鳴らすと、マリナは思い切って最後まで口にした。

「刹那、あなたって……バカよね」
「………!!!」

(あ、あら……?)

その瞬間。
確かに、ピキ!と音を立てて部屋中の空気が凍り付いた。



「ああ、一体…何がいけなかったの…」

あれから、刹那は口を利いてくれない。部屋に訪ねても、返事がない。
怒らせてしまったのは明確だ。

「刹那……」

がっくりと、床にめりこみそうなほど崩れ落ちると、マリナは悲痛な呻きを漏らした。




また後退。先生はロックオン。