「何なんだよ、ここ。ろくな酒がないな」
ドカ、とカウンターの席に腰を下ろした若い男。まだ、二十歳そこそこだろうか。先ほどグループで来店した客の中に混じっていた男だ。引き締まった体に満遍なく付いた筋肉。整った顔なのに、何だか尖ったような取っ付き難い雰囲気。迂闊に手を出せば噛み付きそうだ。
店の扉を潜ったときから、ロックオンは彼の存在に気付いていた。人目を引く容貌だ。無理もない。
「それなら、女の子でも呼びますか」
「いい。ざっと見たけど、女もろくなのがいない」
「すみません」
「お前、何だ?マスター?バーテン?」
「バーテン、みたいなものですね」
「へぇ」
自分で聞いておいて、さして興味をそそられた様子のない返事。きっと、かなり酔っているのだろう。
ロックオンはそんな判断を下して、この厄介そうな男を適当にあしらうことに決めた。手元に視線を落として、磨いていたグラスを背後にある棚に並べる為、カウンターに背中を向ける。その途端、再び彼が口を開いた。
「なぁ、お前…俺のことを見てたろ」
「……」
内心を見透かされたことに、少しだけひやりとした感覚が走った。でも、こんなことはよくある。
グラスを静かに置いてから、ロックオンは振り向いてさらりと返事を返した。
「客の顔くらい、一通りは見ますよ。どんな顔であれ」
「そう言う意味じゃねーよ。俺、解かるんだよな、そう言うの」
皮肉が通じない。男はカウンターに不躾な様子で頬杖を突き、熱っぽい口調で続けた。
「お前が俺を見てたの、すぐ解かった」
「…女の子の視線と間違えたのでは?」
「あんな鬱陶しい視線と間違えるかよ」
「そう言わないで下さい。所詮はお遊びですよ。一晩楽しめればそれでいいでしょう」
「女…ねぇ…」
何を思ったのか、そこで彼は言葉を止め、何事か考えるように視線を伏せた。伏せられた睫毛が、暗い照明に照らされて頬にまで影を落としている。よく見ると、女の子たちが喜びそうな、綺麗な顔だ。冷酷で冷淡にも見えるが、内面は驚くほどあけすけで飾り気がなく、荒々しい。だから、目に付くのか…。
「お前は…?」
「……はい?」
ぼんやりとそんなことを考えていたせいか、ロックオンはすぐに返事を返すことを忘れた。と言うより、何を言われているのか解からなかったのだが。ロックオンが目を見開くと、彼は更に続けた。
「お前と楽しむのは、駄目なのか?」
露骨な言葉に、ロックオンは眉を寄せ、すっと目を細めた。
「変わったことを聞くヤツだな…」
軽く吐息を吐き出して、声色を落とす。客用の明るく流暢で丁寧な言葉から、少し軽薄さを感じる声色と言葉に。
カウンターに両肘を付いて、相手の男の目線に合わせる。真っ向からこちらを覗き込む金の目に、どくどくと鼓動が高く鳴った。
「そっちの方が好きなのか」
「ただの好奇心だ。それに、どっちも相手出来た方がいいだろ」
「まぁ、そうだな。けど、俺は駄目だ」
「へぇ、男は嫌いか?」
「そうじゃない。だが、俺は駄目だ。何があっても」
「ふん、そうかい」
彼はつまらなそうに呟いて、そのまま席を立って行ってしまった。人ごみに紛れて彼の背が見えなくなるのを確認して、ロックオンはホッと肩を撫で下ろした。
今までも、ロックオンを口説く男はいたけれど、皆その手強さにすぐ尾を巻いて逃げ出した。中には中々諦めない人物もいたけれど、この店のオーナーの名前に皆恐れをなしていた。少し街に精通していれば、誰しも知っている名前だ。彼を怒らせると、命までも危うい。
あの、名前すら聞かずに帰って行った青年も、同じだろう。一晩寝て酔いが覚めれば、自分が誰に手を出そうとしていたか知って、青褪めることだろう。
数日経つ頃には、ロックオンも彼の存在など綺麗に忘れ掛けていた。
けれど、一週間ほど経ったある日。
「酒、くれよ」
「……」
再び目の前に現れてぞんざいな台詞を吐いた男に、ロックオンは思わず絶句してしまった。同時に、その姿を認めた途端、軽い痺れが頭の中に走った。心地良い痺れだ。自分が、彼の存在を目にしたことに、内心で少しだけ喜んでいるかのような…。
―俺、解かるんだよな、そう言うの。
この前の言葉を思い出して、ロックオンは苦虫を噛み潰したような顔を作った。
「何しに来たんだ」
吐息混じりに言葉を吐く。客に向かって言う台詞ではないが、相手の目的は酒じゃない。そうであれば、邪険にしても良いだろう。
案の上、男は悪びれる様子もなく、にや、と不敵な笑みを浮かべた。
「お前に会いに」
「…ここは、酒を飲む場所だ」
「うるせぇな、酒も飲んでやるよ。ぐだぐだ言うな」
「……」
こう言う客は、以前にもいた。今までは、どうしていただろう。顔色一つ変えず、完璧な笑顔を浮かべて、一定の距離を崩さず…。
いや、もう無理だ。今更完璧な笑顔など、嘘くさいだけだ。こんな簡単にペースが崩されるなんて…。
ロックオンはもう一度深い溜息を吐き出して、一番強い酒を棚から取った。
「今作ってやる、待ってろ」
「なぁ、お前の名前は?」
「ロックオン・ストラトスですよ、お客さま」
「へぇ、ロックオンか!」
嫌味も通じない。名前を告げると、彼は無邪気に目を輝かせた。
「俺は、ハレルヤだ」
「ハレルヤ…」
凶暴で粗野な外見に合わない、賛美歌の一節。美しい響きのその名前を、ロックオンは呟くように復唱した。
それから。ハレルヤと名乗ったその男は、一週間に二、三度はロックオンの店に顔を出すようになった。
別に、それ以上のものを求めてくる訳ではない。ただ、他愛もない会話を交わして、酒を飲むだけ。もし口説かれたら、出入り禁止にしてやっても良いが。今のところそんな素振りはない。
ただ…。野生動物のように鋭い目が、ロックオンを見詰めるときだけ和らいだり、時折、本当に獲物を狙うような恐ろしい目になったり。彼の存在に少なからず振り回されているのは事実だった。だからと言って、どうしようもないけれど。
今日も我が物顔で店にやって来たハレルヤを、ロックオンは複雑な心境で見詰めた。
その晩。
「なぁ、ロックオン」
グラスの中に注がれた酒を一気に飲み干した彼は、ふと独り言のように名前を呼んで来た。
「何だ、もう一杯いくか?」
軽い調子で返事を返した途端、ふいにじっと視線を注がれて、思わずどきりとする。
ロックオンが黙り込むと、彼はあくまで単刀直入に尋ねてきた。
「お前、あのとき言ったことは、まだ変わってねぇのか」
「あのとき…」
「とぼけるなよ、解かってんだろ」
「……」
あのときのこと。初めて会ったときのことだと、すぐ解かった。
―お前と楽しむのは、駄目なのか?
―俺は駄目だ。何があっても。
とぼけるには、分が悪い。少し言葉を止めて、ロックオンは溜息と共に吐き出した。
「ああ、変わっていない」
「少しも?」
「少しもだ」
強い口調ではっきりと言い返す。ほんの少しでも、期待させる訳にはいかない。
けれど、彼の目に宿る力は衰えなかった。
「俺は…お前のことが欲しいと思う」
続けて吐き出された言葉に、思わず胸が締め付けられた。
でも、こちらの答えは決まっている。迷う訳にはいかなかった。
「俺は、物か何かかよ」
「解からねぇのか?なら、はっきり言ってやる」
「…ハレルヤ」
「今すぐにでも、お前をその辺に押し倒して、お前の中に突っ込んで、滅茶苦茶に喘がせて泣かせたいってことだ」
「…物騒なことを言うな」
「お前のことを考えると喉が渇くんだ。酒なんかじゃ、足りない。お前がいい」
とんだ告白だと、ロックオンは内心で舌打ちしたい気分になった。甘い感傷など何もない。深層にある欲望に直接働きかけて、激しく揺さ振り、奮い立たせる。厄介な言葉だ。
「抱かせろよ、ロックオン」
真っ向から見詰められて、ロックオンはただ息を詰めた。上手くあしらう為の言葉など、何一つ出て来なかった。
やっとのことで視線から逃れるように顔を逸らすと、蚊の鳴くような声を吐き出した。
「駄目なんだよ、ハレルヤ。俺は…俺は、あの人のものだから」
それだけを言うのが、やっとだった。
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