それから、アレルヤの要請で、週二回だったバイトが四回に増えた。
何でも、集中して勉強したいから、だそうだ。
どの道、空いた日は他の生徒を取ろうと思っていたので、ロックオンは快く引き受けた。
バイト代も割といいし、アレルヤは本当に素直だったし、至れり尽くせりだ。
女の子と遊んでいる暇がないのが玉に瑕だけど、この際仕方ない。
ただ、何度行っても、その弟とやらに会うことは出来なかった。
代わりに、ロックオンを待っていたのはアレルヤの質問攻めだった。
「先生って、彼女とかいますか?」
「何だよ、不躾に」
「すみません、ちょっと気になって」
「残念ながら、今はいないよ、特定の人はね」
「そうですか」
こんなやり取りやら。
「先生の好きなタイプって、どんな人ですか」
「うーん、年上かな…。お前は?」
「それは、今は秘密です。その内…」
「何だよ、人に聞いておいて」
「それより、今までの彼女は…」
などなど。
まるでその弟とでもいるように二人分喋るので、退屈はしなかった。
「もういいだろ、それより、問題は進んだのかよ」
「ええ。今…終わります」
「……」
彼の言う通り、問題用紙はほぼ埋め尽くされていた。あんなに会話を交わしていたと言うのに。
しかも、採点してみると、全問正解と来た。
一体、この自分は本当に彼に必要なのか。そんなことを考えないでもなかったけれど。
「先生が来てくれて、本当に助かってます。出来れば、毎日でも来て欲しい」
アレルヤがそんなことを言うので、結局は何も言えなくなった。
だいたい、割の良いバイトを自分から手放す手もない。
それに、ここまで素直に懐かれると、悪い気はしなかった。
夏休みも半ばに差し掛かった頃、ロックオンはバイトのない日に友人と遊びに行った。
「お前、本当に付き合い悪くなったよな」
そう言われて、ロックオンは肩を竦めた。
「まぁ、仕方ないだろ。バイトが忙しいんだからよ」
それにしても、本当に友人の言う通りだ。前は女の子たちとだって良く遊んでいたのに。
面倒見の良いロックオンは後輩の女の子たちにも慕われていて、皆で飲みに行ったりしていたものだ。
皆寂しがっていると聞いて、ロックオンも何だか久し振りに飲んで騒ぎたくなった。
「じゃあさ、あいつら皆呼ぼうか。夕方から飲もうぜ」
そう言うと、友人は喜んで皆を呼び寄せた。
あっと言う間に大人数になり、何だかんだ騒ぎつつ夜の街を歩いていると。
ロックオンはふと、雑踏の中に見慣れた人物を見掛けた。
(ん……?)
あれは……。間違いない、アレルヤだ。
雑然とした雰囲気の中で、どうしてそんなに目についたのか解からない。
彼が、かなり整った顔をしていたからだろうか。
でも、彼はまだ未成年だ。こんな飲み屋街の一角で何をしているのか。
ロックオンは肩に回った友人の腕を振り解いて、足を進めた。
「アレルヤ!」
呼び掛けると、彼はゆっくりと振り向いた。
切れ長の目に長めの髪の毛。そして、逞しい体。間違いない、アレルヤだ。
「お前、何やってんだよ、こんなとこで」
「……」
ロックオンの問い掛けに、彼は何も言わなかった。
何となく、雰囲気がいつもと違う気がするのは、今顔を合わせているのが別の場所だからだろうか。
何となく、彼の持つ独特の穏やかさなど微塵も感じられない。
整い過ぎた顔は、冷淡な印象すら受けた。
それに、もう一つ。
(目が……?)
何だか、違和感がある。確かにアレルヤなのに、何だか。
その正体に気付きそうになった途端、アレルヤはくるりと身を翻した。
「おい、アレルヤ!」
呼び声にも耳を貸さず、彼はそのまま行ってしまった。
(な、何だあいつ、無視かぁ?)
いつもの素直な様子はどこへやら。自分に気付かなかった訳でもあるまいし。
ひたすら首を傾げたロックオンだったけれど、仲間の元に戻って騒ぐうち、そんな気持ちはどこかへ行ってしまった。
翌日。
「う…頭、いてぇ…」
ベッドの上で身を起こして、ロックオンは頭を抱えた。
昨日飲み過ぎた。頭がズキズキ痛むし、吐き気も酷い。
その上、時計を見るともう優に正午を回っていた。
(し、しまった!)
血相を変えてベッドから飛び降りる。
アレルヤとの約束の時間は、とっくに過ぎてしまっていた。
慌てて携帯を手にとって、ロックオンは以前聞いていたアレルヤの電話番号を呼び出した。
『もしもし』
「あ、アレルヤ!悪い、俺…」
慌てて謝罪すると、くす、と笑う声が聞こえた。
『そんなに慌てないで下さい。具合悪いなら、今日は休んでいいですよ』
「い、いやでも、二日酔いなだけなんだ、だから…」
『大丈夫ですよ。気にしないで、その代わり、今週は代わりの日に来て下さいね』
「あ、ああ…それで、いいなら…」
何となく罪悪感に苛まれながら、ロックオンは電話を切った。
そう言えば…。昨日、雑踏の中でアレルヤを見掛けた気がするけれど。
何だろう、よく思い出せない。でも、きっと気のせいだ。
彼があんな態度を取るなんて、想像出来ない。現に今もとても礼儀正しくて優しかった。
余計な考えを振り払うと、ロックオンは再びベッドに突っ伏した。
アレルヤの家に出向いたのは、その二日後だ。
「アレルヤ、悪い…この前は…」
「もういいですよ、気にしないで」
優しい顔でそう言うアレルヤに、ロックオンも素直に頷いた。
その後、いつものように勉強を始めていると。
不意にアレルヤが口を開いた。
「そう言えば、先生。この前の人たちって…誰なんですか」
「え……?」
唐突な質問に、少し考えて、すぐに思い当たる。
二日前、友人や後輩たちと飲みに行ったときのことだ。
「この前って…お前、ちゃんと気付いて」
「すみません、ちょっと急いでいたもので」
「そう、か…」
「それより、誰なんですか?」
「え、ああ…。大学の友人だ。気のいいヤツらでさ。この前も…」
いつもの、質問攻めだ。そう思って、ロックオンは軽い調子で応えた。
言葉を止めたのは、不意に腕を捉えられたからだ。
「……?」
ハッとして顔を上げると、てっきり微笑していると思ったアレルヤの顔には、何の表情も浮かんでいなかった。
「あの人たちと、良く会うの」
「アレ、ルヤ?」
よく会うも何も、大学の友人たちだ。そう返そうとしたのに、言葉が出て来ない。
ぐっと力を込められて、ロックオンはびくりと肩を引き攣らせた。
「お、い…痛い、離せ」
思ったより、ずっと引き攣った声が出た。
無表情だと思ったけれど、違う。これは、何と言うか、静かな怒りのような…。
「アレルヤ…?」
恐る恐る名前を呼ぶと、彼はさっと手を離した。
「ああ、すみません。ぼく、結構力強いんですよ」
「…っ、そう、か…」
先ほどまでの様子が嘘のように笑顔を浮かべたアレルヤに、ロックオンはただ呆然とそう返すしかなかった。
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