あのときのアレルヤは、確かにいつもと何かが違った。
少し前、捕まえた腕に強く力を込めた彼を思い出して、ロックオンは眉を顰めた。
でも、可笑しかったのはそのときだけだった。
その後、勉強を始める頃にはもういつもの彼に戻っていたから。
きっと、何かがあるのだろうけれど…果たして踏み込んで良いものか。
深く知る必要はないと、初めて来たとき自分でも思った。
だから今までだって、何も尋ねたりはしなかった。
けれど今は、少なからずその心境に変化が起きている。
ロックオンは、アレルヤ・ハプティズムと言う男がどう言う人間なのか、もっともっと知りたいと思った。
そう言えば…弟のことも、妙だ。
弟がいるから家にいたいと言っていたのに、その彼を一度も見たことがない。
「なぁ、アレルヤ…」
「なんですか?先生」
「いや、お前さ…弟がいるって言ってただろ、どうして、いつもいないんだ?」
次の機会に彼の部屋を訪れたとき、ロックオンは思い切って聞いてみた。
すらすらとペンを走らせていたアレルヤはぴたりと動きを止め、そして顔を上げた。
「それは、答えなくてはいけないことですか」
「え、い、いや…」
あくまで穏やかに、でもはっきりと拒絶の意志が籠もった台詞。
何となく、ざわりと胸が騒ぐ。
素直で優しくて懐いている、可愛い弟みたいな…アレルヤ。
でも、本当に…?
そのとき、初めてロックオンははっきりとした違和感を覚えた。
「でも、嬉しいですよ。先生がそんなことを聞いてくれるのは、ぼくに関心があるってことですよね」
「……」
今まで物柔らかにしか聞こえなかったその台詞も、何故だかやたらと白々しく聞こえ、ロックオンは眉を顰めた。
「…ああ、関心なら、あるさ」
じっと、真っ向から覗き込んでそう言うと、アレルヤの目は何かに動揺するように大きく揺れた。
「ハレルヤ、あれは、どう言う意味だと思う?」
広過ぎる家の中。
鏡の前で呟くアレルヤの声を聞くものは、他には誰もいない。
けれど、彼は誰かと熱心に話しているときのように、自らの姿に真剣な眼差しを注いでいた。
「バレてるって?ああ、そうかもね…。彼は、思っていたより、勘がいいみたいだ。それに、そろそろ夏休みも終わりだ…」
そこで一端言葉を切り、アレルヤは冷たい鏡を手の平でそっとなぞった。
「逃げられたら終わりだからね…。もう、遊んでいる暇はないかな…ハレルヤ」
その、翌日。
何だか色々考えてよく眠れなかったせいで、ロックオンはだるい体を引き摺ってアレルヤの家へ行った。
考えてみたら、長い休みの間、殆どここに出入りしていた。
始めは時間だけで帰っていたけれど、段々色々な話をするようになり、食事も一緒に摂ったりしていた。
優しく笑う顔に、柔らかい物腰に、好感を持たないはずがない。
実際、アレルヤとこんなに長く過ごしていて、退屈だなんて思ったことは一度もない。
なのに、自分は彼のことを何も知らない。
それでいい、それでいいのかも知れないけれど。
頭のどこかに、あの夜の街で偶然見た冷たい表情と、ロックオンの腕を掴んだときの不穏さが、引っ掛かって離れない。
そう思うと、放っておけないのが性分だ。
誰だって色々ある。自分がどうにか出来るとは思っていないけれど。
(アレルヤ…)
彼のことは。彼のことだけは、何だか気になって仕方なかった。
「先生?先生、聞いてますか」
「あ……」
軽く肩を揺さ振られて、ロックオンはハッと我に返った。
視線を上げると、アレルヤが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「あ、悪いな。ボーっとしてて」
「どうかしたんですか?考え事?」
「そんなとこだ、すまないな」
「いえ…」
何事もなかったように笑顔を浮かべて見せると、アレルヤのグレイの目は何か言いたそうに揺れた。
それから、少し考え込む素振りを見せ、彼はパッと顔を上げた。
「先生。もし疲れてるなら、少しベッドに横になっていていいですよ」
「あ?何言ってんだよ、そんなこと…」
そんなこと、出来る訳ない。
咄嗟に断ろうとしたのに、アレルヤは笑顔でロックオンの言葉を遮った。
「それに、先生がちゃんと休んでくれた方が、ぼくも集中出来るから」
「いや、でも……わっ?!」
突然、伸ばされた腕に抱えられ、ふわりと体が浮いた。
あまりのことに、引っくり返った声が漏れる。
何て力だ。大の大人一人を軽々と。
暢気に感心している隙に、あっと言う間にベッドへと運ばれ、その上に投げ出された。
「お、おい、何すんだよ」
大人しそうな顔の割りに、意外と逞しい体つきをしているのは知っているけれど。
一体、いつどこで鍛えているのだろう。
「そのベッド、気持ち良いでしょう?結構自慢なんですよ」
「あ、ああ。そう、だな」
彼の言う通り、物凄く寝心地の良さそうなベッドだ。
今こうして横になっているだけでも、気持ちが良い。
いつも、でかいなと、感心しながら眺めてはいたけれど…。
「寝なくてもいいですから、そこにいて下さい。問題が終ったら、呼びます」
「ああ…」
言われるまま、ロックオンは頷いてベッドに背を付いた。
確かに、寝心地は最高だ。
いつもは見ることのない白い天井を見上げて、ロックオンは長い吐息を吐き出した。
NEXT