朝方、まだ日が昇らない時間。
地上のアジトの長く続く薄暗い廊下を、気だるい手足を引き摺って、ロックオンは自室へと向かっていた。
ホテルの部屋でシャワーを浴び損ねた。さっさと済ませてベッドに寝転んで、あとは泥のように眠りたかった。
そんな状況だったから、誰にも会いたくなかったのに。部屋に辿り着く途中で、トレーニングルームから出て来たアレルヤに出くわした。
「アレルヤ?」
「あ、ロックオン…」
思わぬ出会いに、アレルヤも驚いたように片方の目を見開いた。
「こんな時間にトレーニグか?熱心だな」
「ええ、何となく…落ち着かなくて」
他愛もない会話を交わして、彼の側を通り抜けた瞬間。
「ロックオン…。何だか、いい匂いがしますね」
不意に、アレルヤからもう一度声が掛かった。
「え、ああ…」
「何か、花みたいな…何の…」
言い掛けて、アレルヤはハッとしたように言葉を止めた。昨晩から、ロックオンが戻っていなかったことを思い出したのだろう。
顔を上げると、彼は何だか可哀想なくらいに赤面していた。
「す、すみません…立ち入ったことを」
「いや、まぁ、見逃してくれよ。な…?」
刹那たちには、内緒だ。
軽い調子で耳元に囁いて、ロックオンはアレルヤの肩をぽんと叩いた。途端、ぎくりと身を強張らせたアレルヤに、苦い笑いを浮かべたくなる。
以前、フェルトの頭を抱えていたときも、タイミング悪く部屋に入って来てしまった彼は、真っ赤になって顔を逸らしてしまった。
アレルヤの生い立ちはよく知らないが、きっと、恋愛沙汰とは無縁の生活をして来たんだろう。
でも、彼だってもう子供じゃない。
ロックオンが一晩の相手を求めに街へ出掛けていたのだと、すぐ悟ってしまったに違いない。花のような匂いが、その残り香だと言うことも。でも、だからと言って、すぐに割り切った行為を理解出来る訳ではないのだろう。
少し、軽蔑されただろうか。
そう思うと、少しだけ切ない気分になった。
それから、数日が過ぎた日。
再び非番が訪れて、ロックオンはいつものように身支度を始め、街へ出ようと部屋を出た。
広い屋敷の通路を、少し浮き足だった感じで歩いていると、アレルヤと擦れ違った。
「出掛けるんですか、ロックオン」
「ああ。何もないとは思うが…留守はよろしく」
軽い調子で話し掛けて、通り過ぎようとした途端。
突然伸ばされたアレルヤの手に、きつく腕を掴まれた。
「……?」
ぐっと強く力を込められて、目を見開く。
「アレルヤ?」
探るように呼び掛けると、彼は何だか思い詰めたような顔をしていた。少し戸惑った後、ゆっくりと唇が開かれる。
「今日も、その…行くんですか」
「……え?」
率直な質問に、ロックオンは意表を突かれて息を飲んだ。
彼が何を言っているのか、思い当たることは一つしかない。
数日前、擦れ違ったときのこと…。
また、誰かとそう言う戯弄を交わしに行くのか、そう聞きたいのだろう。
そのアレルヤの口調も、わざわざそんなことを尋ねて来る訳も、そんな行為に無意識に非難するような感情を抱いているから、だろうか。そうとしか考えられない。真面目なアレルヤには、理解し難いことなのだろう。
「あのな、アレルヤ…」
もう少し大人になれば、お前にも解かる。
月並みな言葉で諌めようとした途端、更に意外な言葉が耳に飛び込んで来た。
「ロックオン、その人のこと……好きなんですね」
「……え?」
ぐっと、掴まれた腕に力が込められる。
アレルヤの手は、その屈強なものとは相反して、何だか小さな子供が縋り付くように震えていた。
「好きかって……」
何を、言ってるんだ。
思わずそう口にしようとして、ロックオンは言葉を飲み込んだ。
アレルヤ。
彼は、ロックオンが思っていたよりもずっと無垢そのものだったようだ。
この間の相手が、ただ体を重ねるだけの関係ではなく、お互い思いを通わせた、恋人同士の関係だとでも思っているのだろう。
彼にはきっと、想像もつかないに違いない。ただ、熱を散らすだけの相手が欲しい気持ちなんて。
何だか、急に彼の前に立っているのが居た堪れなくなって、ロックオンは落ち着きなく視線を伏せた。
けれど、答えを求めるようにじっと見詰める視線に気付き、すぐにいつも通りの自分を取り繕った。感情も動揺も押し殺して明るく振舞うことなど、慣れている。落ち着いた年上の顔になって、ロックオンはアレルヤの肩に手を置いた。
「そう言うことは止めにしようぜ、アレルヤ。詮索しない、それがルールだろ」
「ロックオン…」
「頼むよ、俺を困らせるな」
「……はい、すみません」
まだ何か言いたげだったけれど、アレルヤは口を噤み、名残惜しそうに手を離した。
きつく握り締めていた指先はゆっくりと離れていったけれど、彼の感覚と温かさは、暫くロックオンの腕に残って消えなかった。
本当に必要としているのは、心底甘やかしてくれるような、自分を包んでくれるような人物だったのだろうけれど。いつ何があるかも解からないこんな状況で、誰かとそんな関係を作り上げるのは至難の業だ。守秘義務のこともあるし、何より、時間がない。
プトレマイオスのクルーとは、そんな関係にはなりたくない。何か、任務に支障が出るかも知れない。それに、皆自分たちが戦って生きているだけで精一杯だ。
だから、今求めているのはこう言う…一時的で構わないから慰めを与えてくれる手だ。
ベッドに組み伏せられながら、ロックオンはそんなことを考えて、ぼんやりと天井を見上げていた。
正直、相手に不足したことはない。ロックオンが望めば、いくらでもそんな相手は見つかった。男でも、女でも。昨日、残り香を移して行ったのは綺麗な顔立ちの女性だったけれど、今日は違う。組み敷かれて圧し掛かっている体は、ロックオンよりも屈強で力強い。
ゆっくりと中を駆け巡る快楽に溺れる中、ふと…白い天井に、数時間前見た人物の顔が浮かび上がる。
アレルヤ。
先ほど、ロックオンの腕を捕まえた彼の手。
そう言えば、凄い力だった。いつの間に、あんな…。
体も腕も屈強になって、身長までいつの間にか同じ高さまで来て…。
彼も、当然だけどもう男だ。
未成熟だと言うこともない、逞しくて引き締まった男の体。
ロックオンがこうして今相手にしている男と、少しも変わるところがない。
それどころか、綺麗で整った顔立ち。鋭利な目なのに、優しくて、何だか…。
(アレルヤ……)
名前を呟いた途端、何故かじわりと下肢が疼いた。
途端、ぐい、と奥まで突き上げられて、白い喉が仰け反る。
「あ……っ」
唇が緩く開き、掠れた声が漏れて、ロックオンは自身の反応に少なからず驚いた。いつも、そんなに派手に喘いだりするタイプではない。何より、快楽に溺れている自分の声など、聞きたくもないから、殊更抑えるようにしていたのに。何故か今は歯止めが利かなかった。
中を抉られ突き上げられる度、幾度も甘い声が上がる。
相手は艶を含んだロックオンの声に煽られるまま、突き上げる速度を速めて行った。
「……んっ」
圧し掛かる肢体が、足を掴む二の腕が、いつも見慣れているアレルヤのものへと掏り返られる。そんな錯覚に陥って、必死に頭を振ろうとするのに、いつの間にか引き出された痺れに翻弄され、ロックオンも徐々に限界へと引き摺られて行った。
(ア、レル…ヤ…)
弾ける瞬間、何故か再び瞼の裏にアレルヤの顔が強烈に浮かび上がって、すぐに消えた。
その晩。
行為の余韻に浸って体を投げ出しながらも、ロックオンは胸の中に込み上げた罪悪感に苛まれた。
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