全く、どうかしている…。
あの晩以来。ロックオンはアレルヤの姿を目にする度に、妙な罪悪感に苛まれて落ち着かない気分だった。別に、彼を見る目が変わった訳ではない。アレルヤはいつもと何も変わっていない。それなのに、あの手に触れられて、強く体を犯されているような感覚に陥っただなんて、彼に悪い。
(ごめんな、アレルヤ)
何も知らず、静かに佇んでいる横顔を見詰めて、ロックオンは胸の中でそっと謝罪の言葉を吐いた。
同時に、何かが体の中で疼く。ミッション中にはそんなことは忘れ去っているのだけど、休暇が訪れたりすると、なぜだか気持ちがとても揺らいだ。
(参ったな……)
本当に、どうかしている。そりゃ、緊張の連続で体も精神的にも疲れているのだろう。でも、自分をコントロールする術は身に着けているつもりだ。
自分は、アレルヤとは違う。あんなに真っ直ぐでもないし、無垢でもない。
とは言っても…。まともに恋愛などしたことがないのは、アレルヤに限ったことではないのかもしれない。自分だってそうだ。両親と妹をテロで亡くしてから、真っ当だと言えるような生き方はしていない。いつも危険と隣合わせで、染み付いた硝煙の匂いも罪の匂いも、簡単に消せるものではない。本気じゃない戯れのような関係なら、何度もあるけれど…。誰かにそんな気持ちを真っ直ぐに向けられて、軽くあしらったこともある。でも、そんなときこちらに向けられる真剣な目には、胸が痛んだ。
もし、自分が本気でそんなものにハマってしまったら、どうなるだろう。想像するだけで、ぞくりと背筋を冷たいものが走る抜ける。考えるまでもない。そんなことは、ご免だった。
だから、こんな風に訳の解からない感情を持て余したままなのは、危険なのだ。やはり、適当に気晴らしするしかないか。
幸いなことに、店で適当に飲んでいるだけで、大抵相手は向こうからやって来た。
今日は、間違ってもアレルヤのことを思い出したりしないように、女性がいい。大人で、柔らかい腕で抱き締めてくれるような。
そう思って、夜の街へ出掛けて行ったのだけれど。
一番最初に声を掛けて来たのはロックオンが望んでいた人物ではなかった。自分より、少し若い男。身長は同じくらいだろうか。
体つきが、そうだ…どことなく彼に似ている。アレルヤ…彼に、少しだけ。
そう思った途端、何故か拒絶する気は少しもなくなってしまった。
肩に腕を回され、ロックオンはどくりと鼓動が高鳴るのを感じた。気分が高揚していたせいだろうか。そのとき、自分を見詰めるもう一つの視線には気が付かなかった。
数日後。その晩も、別の男と同じようなことを繰り返して、ホテルの駐車場で別れた。車に乗り込んでエンジンを掛け、発進しようとした、瞬間。急に窓がコツコツと軽く叩かれて、ロックオンはびくりと肩を揺らした。
視線をそちらに移して、思わず目を見開く。
「アレルヤ…!?」
よく見知った仲間の顔、けれどここにいるはずのない顔に、ロックオンは裏返った声を上げた。
「何だ、お前!どうして…」
「ロックオン…」
急いで窓を開けると、彼は何だか思い詰めた様子で名前を呼んで来た。
少し、疲れきった顔をしている。今偶然来たのでないことは確かだ。
一晩、外で待っていたのだろうか。自分を…?
でも、どうして。
「とにかく、乗れよ」
助手席を指して言うと、彼は大人しく車に乗り込んだ。
その途端、真っ直ぐな視線に捕えられ、居心地が悪くなる。
何だか無言のまま責められているようで、ロックオンはそっと視線をずらした。
何を言われるのかは、何となく解かる。でも、聞きたくない…。
思い切りアクセルを踏み、車を発進させると、少しの沈黙の後、アレルヤは静かに口を開いた。
「あなたの相手って、男だったんですね」
「……ああ、そうだ」
予想通りの言葉。さして動揺するでもなく、ロックオンはさらりと返答した。途端、心なしかアレルヤの気配が強張る。
「それに、この前の人と、違う…」
「お前、まさか…後を付けたのか?」
「すみません。始めは…偶然だった。あなたが酒場に入って行くのを見掛けて、出て来るのを外で待っていたんです。でも、出て来たときは、二人一緒で…」
「……」
「びっくり、しました。男の人だったから。本当に、その人があなたの恋人なのか気になって…それで、今日は…」
今日は、最初からつけていた。そう言うことだろう。そこまでして、確かめたかったのだろうか。年長者である自分の行為が、彼に少しの影響を与えることは予想していた。でも、ここまでして…。だいたい、プライベートには干渉しない。それが決まりのはずだ。
けれど、彼の気持ちを汲んで、ロックオンは淡々と尋ねた。
「…軽蔑、するか」
「…解からない。でも、どうしてこんなことを…」
「仕方ないだろ。必要なんだ、こう言うのも」
「でも、好きじゃない…んですよね」
「何……」
何だって?
そう言おうとして、ロックオンは思わず言葉を飲み込んでしまった。
顔を向けた途端、目の前に、泣きそうに歪んだアレルヤの顔があったからだ。
「アレルヤ…」
目を見開いて、彼の顔を見つめる。
どうして、そこまで…。
悲しそうな彼の顔から理由を探ろうとしたけれど、何も解からなかった。適当に取り繕う言葉も、何一つ出て来なかった。
それ以上何も言わない彼に、何か言うことも出来ず、車内には気まずい空気が流れた。
そして、数分後。
ずっと無言で何事か思い巡らしていたアレルヤは、不意に何かを決心したように顔を上げた。絡み付くような眼差しが、躊躇することなくロックオンに向けられる。
「それが…あなたにとって必要なことだとしても…もう、こんなことをしなくても、大丈夫ですよ」
「アレルヤ…?」
言っている意味が解からなくて、眉を顰める。
アレルヤの声は、いつも控えめな彼からは想像もつかないほどに強く、しっかりとした口調だった。
「相手を探して、街へ出る必要なんかない…」
「……?」
「誰でもいいと言うなら、ぼくが相手をします」
「……な」
「ぼくが、あなたを抱きます、ロックオン」
「……?!」
「それとも、抱く方がいいですか?どちらにしても、あなたの思う通りに…」
「アレルヤ…!」
どく、と鼓動が大きく跳ね上がる音がした。
彼は、一体何を言っているのか。
予想もしていなかった言葉に、ロックオンは心臓が早鐘のように鳴り出すのを感じた。
アレルヤがこんなことを言うなんて、まだ信じられない。今のは聞き間違いだろうか。
けれど、流石にもう一度聞き返すことなど出来ず、ロックオンは引き攣った笑みを浮かべた。
「何言ってんだ、んなこと出来る訳ないだろ」
「どうしてですか。知らない相手とするなら、ぼくとだって…」
「同じじゃないだろ。お前は、仲間だ」
「けど…!」
「もういい。二度とこんなことは言うな、アレルヤ」
追い縋ろうとするのを強い口調で言い伏せると、彼はそのまま口を噤んだ。
性質の悪い冗談だ。彼が、こんなことを言うなんて。
けれど、先ほどの眼差しは、到底戯れを口にしている様子ではなかった。
でも、考えたくない。仲間と、そんなことになるなど、想像も出来ない。仲間と、いや、アレルヤと…。
ロックオンもそれ以上は何も口にすることが出来ず、二人を乗せた車は、ただ無言のまま長い道を走り続けた。
NEXT