暗い部屋に蹲ったまま、どれだけ時間が過ぎたのだろう。
頭に浮かぶのは、ルイスの声ばかりだ。自分を呼ぶ声。
何故か、彼女はあそこにいた。約束した通り、宇宙で再会出来たと言うのに、どうしようもない思いばかりが胸に燻っている。
不安と恐怖と、それから憎しみに似た怒り。それを、そのまま刹那にぶつけてしまった。でも、罪悪感なんて消してしまうほど、込み上げて来るのは苦い感情ばかりだ。
そんな中、ふと呼び出し音がなって、沙慈は顔を上げた。
「はい……」
「俺だ。沙慈・クロスロード」
「……っ、刹那」
扉の向こうから聞こえて来た声に、沙慈は息を飲んだ。
一体、何の用だろう。また、戦えだとか、そんなことを言いに来たのだろうか。
そう思いながらも、ふらふらと立ち上がって、沙慈は扉を開けた。
「何か、用?」
素っ気無く言葉を発すると、刹那は顔を伏せた。
彼が、彼ばかりが悪い訳じゃないと解かっているけど、今はどうしても、こんな態度しか取れない。
込み上げる怒りに、無性にやり切れない悲しみが混じって、沙慈はぎゅっと拳を握り締めた。
「ぼくには、話すことなんてない」
「……」
「きみたちみたいに、戦うことなんて出来ない。どうしていいか…」
どうしていいのかなんて、解かるはずない。
ルイスを取り戻したい。そんなこと、思わないはずがない。でも、だからって、どうしたらいいんだ。
沙慈がそれ切り黙り込んでいると、ぽつ、と刹那が独り言のように呟いた。
「俺に、話せ」
「……?」
発せられた言葉の意味を咄嗟に理解出来なくて、顔を上げると、刹那は真っ直ぐにこちらを見詰めていた。先ほど、戦えとい言った時と同じ、迷いなんて少しも感じられない視線。
「何でもいい、話せば、楽になる」
「っ、そんなこと…!」
そんなこと、当の本人に言われたくない。
怒りに震える拳を握り締めて、沙慈は低い声を発した。
「ぼくを、慰めてくれるとでも?きみに、何が出来るって言うんだ」
「お前が望むなら、何でも」
「何でも、だって…?」
ふ、と口元を歪めて、沙慈は笑みを作った。
酷く歪んだ笑み。鏡を見なくたって解かる。何て醜い感情だろう。
でも、止まれない。
「きみが、ぼくに何をしてくれるって言うんだ。抱き締めてくれるとでも言うのか」
「……」
「そんな話をしに来たなら、帰ってくれ!」
そう言って、背中を向けようとした腕が、突然がしりと捕まえられた。
続いて、ドン、と背中に壁の感触がして、小さく走った衝撃に呻く。
「……っ?!」
痛みを堪えて目を上げると、すぐ側に刹那の顔があった。
真剣な眼差し。こんなに赤く燃えるような色なのに、どこか冷めている表情。
何を考えているんだろう。同情してくれているのだろうか。戦うことなど、何とも思ってないくせに。
それなのに、刹那、どうして……。
どうして、彼はこうも沙慈に構おうとするんだろう。構おうとする―、そんなんじゃない。これは、優しさだ。そうだ、彼は優しくしてくれるのだ、沙慈に。
でも、どうして。
問い掛ける言葉が、声にならない。
近付いた体温に、咄嗟に感じ取ったのは、腹の辺りで蠢く怒りと、それから胸を締め付ける痛みだった。
ぎゅっと噛み締めた唇が、ぶつりと切れて血が滲み出る。口内に溢れた錆びた鉄のような味に、沙慈は眉を顰めた。
出来たばかりの傷痕に、刹那がそっと触れて来る。自分の血に染まった彼の指先は、そのまま罪の色を表しているように見えた。
きっと、振り解こうと思えば、出来たに違いない。でも、そんな気力は残っていなかった。
でも、だからと言って、このままこの優しさを受け入れてしまったら、自分はどうなってしまうんだろう。
憎いと思う。いや、本当は憎いのは彼らじゃない。自分たちを翻弄する運命と、戦いと。
でも、その象徴であるようなソレスタルビーイングに、力を振りかざすガンダムに乗っている刹那に、慰めを与えて貰うなんて。
そんなことを許してしまえば、自分はどうなってしまうのだろう。
漠然とした不安が胸の内に広がる中、どうすることも出来なくて、沙慈はただ鋭い視線を刹那に向けた。
けれど、続いて寄せられた唇に、刹那の温かい吐息に、頭の奥が高揚したように感じた。怒りの為か、その他の要因の為なのか、自分では解からない。
「ん……っ」
ただ、ゆっくりと押し付けられ、求めるように蠢く唇に、沙慈は小さく声を漏らした。
刹那、もっと……。
もっと、滅茶苦茶にしてくれ。
何も解からなくなるほど強引に。
嫌だと首を振っても、それすら強行して、無理矢理に唇を割って、浅ましいまでに口内を犯して欲しい。それだけじゃない。力任せに腕を押さえて、衣服を裂いて、このまま滅茶苦茶にして欲しい。
きみが、無理にやったんだ。
ぼくは望んでいない。
ふと、そんな風に刹那を責める自分の未来が見えたようで、沙慈は苦い思いに顔を歪めた。
自分は、狡い。彼と解かり合うことから逃げているだけだ。
このままじゃ、傷付くだけだ。自分も、刹那も。
苦しい感情に歪んだ顔に無理に笑みを浮かべ、沙慈は間近にある刹那の顔を見詰めた。
すぅっと息を吸い込むと、何故か苦い味がした。そして、ゆっくりと吸い込んだ息を吐き出したときには、心が決まっていた。
「きみの言う慰めるって、これだけなのか」
「……!」
挑発するような台詞に、刹那が小さく息を飲む。
彼の戸惑いを吹き飛ばすように、沙慈は血とお互いの唾液で濡れた唇を赤い舌先で見せ付けるように舐めた。誘うように蠢く舌先。胸の中いっぱいに溢れる歪んだ感情と、仄かな血の匂いに酔っているみたいだ。
何を言おうとしているのか、考えるより先に唇が動く。
「こんなことじゃ……、こんなことじゃ足りない」
「沙慈・クロスロード」
「足りないよ、刹那…」
静かに、恨みの言葉でも呟くように声を発すると、直後、掴まれていた腕が引かれて、沙慈はベッドに突き飛ばされていた。
続いて圧し掛かる感触を、黙って受け入れる。
圧し掛かる刹那の体は温かくて、少し緊張するように強張っていた。
目を閉じると、体の上を辿る指先の感触がありありと感じられる。ふ、っと吐き出される吐息が首筋を掠める。抗うようにもがいた腕はきつくベッドに押さえ付けられた。少し力を込めたくらいじゃ、びくともしない。
先ほど、心の奥底で願ったように、刹那はこの不自然な行為を強行をしようとしている。そう思うと、狂喜に似た感情が胸の奥底で蠢いた。
本当は、こんなこと望んでない。必要なのはこんなことじゃない。体なんか重ねるより、もっと言葉を交わして解かり合うこと。でも、そんなこと、今は到底出来ない。刹那だって、そうだ。話せと言ったくせに、その努力を放棄して、こうして今沙慈を組み敷いている。力に任せて、足を割り開いて。
そんなことを考えながら、沙慈はふと、刹那の肩越しに薄暗い天井を見上げた。
でも……。
でも、決して忘れない。
この行為の引き金を弾いたのは、他でもない自分なのだと言うことを。
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